2022年04月08日

北海道の民謡


「秋(あき)鮭(あじ)大漁節」(北海道)

♪ハァー
向こう右手に 手前は コリャ左よー
共に共に引き寄せ 輪になれば コーリャ
あきあじ踊るよ 大漁網
ヤーレ曳け それ曳け 大漁網
あきあじ踊るよ 大漁節

淀川隆作詞、橋本靜玉作曲の新民謡。秋あじは秋に採れる鮭(さけ)のこと。

○九本栄一
 COCF-10982(93)三味線/佐々木孝、尺八/田中憧章、太鼓/瀬川実厳、鉦/難波鼓章、囃子言葉/松村直実、吉田瑞鳳。

「網起こし音頭」(北海道)

♪オーシコー (オーシコー) ホーラ (オーシコー) ホーラ (オーシコー)
ホイヨー (オーシコー) オーラ (オーラヨイサエー)
オーラ (オーシコー) ホーイヨ (オーシコー)
ドットーコドートコセーノ (イエー)
ハァヨヤサー (ハァヨーヤーサ) ヤサノヨーイサー (イエーエーヨヤサー)
ヨーイトーナー
(ホーラエンヤ アリャリャドッコイ ヨーイトコ ヨーイトコナオー)
ホーラエー 一にきのと(乙)のヤーエー (ヤートコセーヨーヤナ)
ホーラ 大日さまよヨ オーイトナー
(ホーラエンヤ アリャリャ ドッコイ ヨーイトコ ヨーイトコナー)

網を曵(ひ)く手を揃えるために唄われた。二十年に一度行われる伊勢神宮遷宮式(せんぐうしき)の御用材を氏子(うじこ)たちが曵く時に唄う“お木(こ)曳(び)き木遣(きや)り”が元唄。
お木曳き木遣りは、お伊勢参りの人々によって全国各地に伝えられ、松前に入って“松前木遣り”となり「網起こし音頭」となった。
鰊場(にしんば)の唄は船漕ぎ音頭に始まり、作業の進行につれて唄も変わる。陸から建網(たてあみ)(ふたのない箱状の網)まで直線状に手網を張ると、鰊は真っ直ぐ陸に向かって進み、次に陸と平行して進む。やがて鰊は手網に当たり、今度は陸と逆方向に建網に向かって進む。建網の底の部分を敷網(しきあみ)といい、鰊が建網に入ると敷網を一挙に引き上げる。これが網起こしである。
鰊は巨大な袋に詰め込まれたようになる。次に鰊を枠(わく)船の枠網に移して枠網がいっぱいになると、汲み船を横付けして大きなタモ網で鰊を汲み上げていく。この作業は沖合いで行われるために沖上げといわれ、この時の唄が「沖上げ音頭(ソーラン節)」である。

○美国鰊場音頭保存会
 COCF-9301(91)素朴で野趣があり、作業唄としての味はあるが、いまひとつスピード感に欠ける。もっと活気があってよい。船頭/須田藤次郎、囃子言葉/白川幸次郎、河崎勇、岩本義光、白川久夫。

「いいんでないかい」(北海道)

♪港函館 一度はおいでヨ 祭どきなら なおいいよ
想い出いっぱい あったかい町だヨ
口を揃えて 口を揃えて とってもいいんでないかい

関沢新一作詞、中村千里作曲、福田正編曲の新民謡。毎年八月に行われる「函館港まつり」のパレードで盛大に唄い踊られる。“いいんでないかい”は北海道よく使われる“とっても素晴らしい”の意。
昭和九(1934)年、函館は市街地の3分の1を焼失する大火に見舞われる。翌十(1935)年、意気消沈した市民を励まして、復興に立ち上がる機運を盛り上げるために「函館港まつり」が開催される。この年は、函館港開港の安政六(1859)年からちょうど77周年目の節目にあたっていた。

○佐々木基晴
 CRCM-10006(98)福田正編曲、クラウンオーケストラ。

「石狩川流れ節」(北海道)

♪ハァ男前ならナ 大雪山ヨ
大函小函の 間をぬって
滝のしぶきも 石狩川ヨ
(アイヤコーリャセーエ アイヤコーリャセー)

島野富夫作詞、原賢一作曲の新民謡。
北海道の中央部に聳える大雪山系の山々は、北海道では“たいせつざん”と呼ばれ、アイヌ民族の人々からは“カムイミンタラ”“ヌタップカウシュッペ”と呼ばれて信仰の対象とされてきた。最高峰は旭岳(2290b)である。
大雪山系の石狩岳西斜面に源流を持つ石狩川は、流域面積は利根川に次いで全国第二位。長さは信濃川、利根川に次いで第三位の大河だ。上川盆地、石狩平野を経て石狩湾に注ぐ。
大函、小函は石狩川上流にあり、柱状節理の岩が作り出す層雲峡の最も美しい場所である。川の両岸が切り立った断崖に囲まれ、函の中に閉じ込められたようなところからその名がついた。

○椿真二
 TECY-18014(90)編曲/原賢一。管弦楽伴奏。素人っぽいが元気いっぱいの演唱。編曲もよい。声に強弱を付けた唄い方をしているが、もっと素直に自然体で唄った方が聴く者には心地よい。三味線/佐々木孝、管野孝山、尺八/松本晁章、杉山照琴、太鼓/瀬川実、囃子言葉/高橋かおる、加藤幸子、大杉せい子。
○児玉笑子
 COCF-13281(96)三味線/石川一男、尺八/田中憧章、林宝憧、太鼓/得地百合子、鉦/難波鼓章、囃子言葉/細川澄美枝、松村直美。児玉笑子の声は津軽民謡の名手・浅利みきに似ていて野趣があり、素朴、未洗練な雰囲気があってしかも上手い。

「磯浜盆唄」(北海道)

♪ホレサヨーホーエ(ハァ ドウシタドシタ)
私ゃ音頭取って 踊らせるから
夜明け烏の 渡るまでとはヤーレノ コレワイノセ
(チャーマカサイサイ ヤーツケドッコイショ ササヨーイトナー)

北海道西海岸の寿都郡(すっつぐん)から、磯谷郡(いそやぐん)にかけての広い地域で唄われていた盆踊り唄。今では北海よされ節や北海盆唄に押されてしまった。もとは地固めのモンキ搗き唄で、内地の人が北海道へ開拓に入った時に持ち込んだ。
昭和六十(1985)年頃、磯谷の松本津和子が子供の頃に唄った唄を思い出し、夫の尺八奏者・松本晁(ちょう)章(しょう)に伴奏を付けてもらって電波に乗せた。古い盆踊り唄の旋律を思い出させてくれる名曲だ。

◎松本津和子
 COCF-13281(96)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、太鼓/瀬川実、鉦/難波二郎、囃子言葉/小笠原貞子、佐々木登紀恵、藤原加代子、川原加代子。年輪を重ねた女性が唄ういかにも土地の唄といった雰囲気を出している。
○佐々木基晴
 APCJ-5030(94)若々しい美声で迫力もある。お囃子方はCD一括記載。
 KICH-8202(96)三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、鳴り物/美波那る駒、美波成る駒、囃子言葉/新津美恵子、新津幸子。見事な美声。力強い演唱。
○大塚美春
 VZCG-129(97)働くおばさんの迫力。声量もあり、盆唄の楽しさを素朴に表現している。尺八/高橋光水、笛/老成参州、三味線/大塚高摩助、峰村利松和、太鼓/山田鶴三、鉦/山田鶴助、囃子言葉/大塚豆菊、大林幸子。

「いやさか音頭」(北海道)

♪(ハァ イヤサカサッサ)
きりり鉢巻き 板子の上に (ハァ イヤサカサッサ)
体まかせの ノウ北南
ソリャ北南まかせの ウ北南 (ハァ イヤサカサッサ)

囃子言葉から唄の名があり、別名「子叩き音頭」。子叩きとは漁が終わり、浜で網をかたずける前に、鰊漁に使う建網に産卵した鰊の卵を三尺(約90a)棒で叩き落とすことをいう。青森県鰺ヶ(あじが)沢(さわ)港付近で唄われていた鰺ヶ沢甚句が、弘前(ひろさき)に移入されて“どだればち”となり、北海道に移入されて「いやさか音頭」となった。積丹(しゃこたん)半島を中心とした沿岸部では酒盛り唄、盆踊り唄として唄われた。

◎今井篁山(こうざん)「北海いやさか」
 TFC-1202(99)味あり渋さあり、浜の香りがある名唱。三味線/荒谷八重子、尺八/佐藤錦水、太鼓/山田三鶴。今井篁山、本名・梅原栄(1902-1983)は岩手県江刺郡(えさしぐん)羽田村(水沢市)の生まれ。その生涯は北海道民謡の普及に捧げられた。明治四十一(1908)年、北海道砂川町に移住。今井の民謡活動は十六歳の大正七(1918)年、砂川の松前追分節研究会の“長寿会”(会長・藤田源次郎)入門から始まる。同九(1920)年秋、上京して後藤桃水の第二回追分大会に出場した。
〇初代浜田喜一
 VZCG-129(97)独特の声と節回しでいい味を出している。尺八/千葉淡景、斎藤参勇、三味線/大川佳子、市川紫、太鼓/山田鶴喜美、鉦/山田鶴男、囃子言葉/西田和枝、新津恵美子。
○太田久子
 COCJ-30331(99)元気があって野趣もある。三味線/市川きよ女、安部勲、尺八/矢下勇、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴助、囃子言葉/三浦喜美子、河東田このみ。
○松本津和子
 COCF-13281(96)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、太鼓/難波二郎、鉦/瀬川実、囃子言葉/佐々木登紀恵、藤原加代子。少しおとなしいが素朴で野趣がある。北海道の女流民謡歌手の第一人者。お囃子の佐々木登紀恵は二代目須藤隆城を継承。

「弥栄ソーラン節」(北海道)

♪ゴメに似たような姉子に惚れて(ハァ イヤサカサッサ)
からす見たような苦労するチョイ
(ヤサエー エンヤーンサー アノドッコイショ
アードッコイショ ドッコイショ)

かつては処分に困るほど収穫があった鰊漁も、昭和二十九(1954)年を最後に、今ではほとんど獲れない幻の魚となってしまった。漁法は網の目を粗くした刺し網漁法が用いられている。二年ものまでの小さな鰊は目を通り抜け、頭を網の目に突っ込んで逃げられなくなった三年以上の鰊だけが収穫される。

○初代浜田喜一
 TFC-1208(99)若々しい浜田節が聴ける。音源がSP盤のために少々ノイズが入るが、唄のうまさで気にならない。囃子言葉も野趣にあふれている。三味線/高島せつ子、尺八/星義次、太鼓/佐藤三駒。桧山郡餌差町生まれの浜田喜一(1917-1985)は“追分の浜田”の異名をとり、その独特の声使いと節回しは、海の香りと情景を彷彿させる。
△吾妻栄二郎
 CRCM-4OO06(90)三味線/市川紫、市川紫峰、尺八/三野宮貴美夫、森下房春、鳴り物/美波駒三郎、美波那る駒、囃子言葉/豊藤京、豊藤奈。吾妻栄二郎(1943-)は福島県安達郡生まれ。幼少から民謡に親しみ、初代鈴木正夫の後継者といわれた中沢銀司門下。全国各地の民謡を艶のある声で意欲的に唄いこなしている。

「江差追分」(北海道)

♪<前唄>
(アーソイ ソイーソイ)
国を離れて(アーソイ)
蝦夷地が島に ヤンサノエー(アーソイ)
幾夜寝覚めの 波枕(アーソイ)
朝な夕なに 聞こゆるものはネ(アーソイ)
友呼ぶ鴎と 浪の音(アーソイ)

<本唄>
(ソイーソイ)
鴎の(アーソイ)なく音に(アーソイ)
ふと目を(アーソイ)覚まし(アーソイ ソイーソイ)
あれが(アーソイ)蝦夷地の(アーソイ)山かいな

<後唄>
(ソーイソイ)
月をかすめて 千鳥が鳴けばネ(アーソイ)
波もむせぶか 蝦夷の海

品格、曲調、難易度、人気のいずれをとっても日本民謡の王座に君臨するにふさわしい。桧山郡江差町は、江戸時代中期から鰊漁の根拠地として栄え”江差の五月は江戸にもない”とその賑わいぶりを謳われた。
本州からは盲目の遊芸芸人である瞽女(ごぜ)や、座頭(ざとう)たちが多数渡ってくる。ヤン衆(アイヌ語で内地人をヤウン衆と呼ぶ)や、鰊成り金の懐(ふところ)が目当てであった。
酒の席では内地の流行歌が盛んに唄われたが、そのなかに新潟の農村で唄われる酒盛り唄があった。曲は信州追分宿の馬子唄と、九州長崎の平戸沖で唄われた鯨漁の艪漕ぎ唄(エンヤラヤ)が組み合わさったもので、出だしの文句から松前節とよばれていた。これが洗練されて江差の追分と呼ばれるようになる。平野源三郎(1869-1918)は、唄の曲節を確立して以後の隆盛の基礎を築き、名人・三浦為七郎(1884-1950)は、江差の追分を日本の「江差追分」にまで押し上げた。
三浦は北海道茅部郡(かやべぐん)砂原(さわら)に生まれ、総領息子であったが、網元の座を弟に譲り、十七歳から民謡の旅巡業に出た。生涯、芸の完成を目指して努力を重ね、江差追分の普及に賭けたのであった。
本唄は二声上り七つ節、七節七息で約2分25秒前後に唄いあげることが要求される。昭和三十八(1963)年十月十三日「第一回江差追分全国大会」が行われた。これには98人が参加。本州勢5、江差近郊の地元勢が46、あとは全道から参加者を見た。以後、回を重ねるにつれてますます盛況の度を加えている。

◎三浦為七郎(寒月1884-?)
 250A-5OO54(89)TFC-1209(99)(前本後唄)尺八/渡部嘉章、三味線/北川千鳥、琴/斉藤琴月。金属原盤からの復刻。品のよい美声に加え、風情、味わい、節遣い、すべて文句なし。レトロな雰囲気を漂わすノイズが入るのもよいものだ。送りは曲の終わりに付けている。
 COCF-10983(93)(前本後唄)尺八/菊池淡水。
◎越中谷四三郎
 COCF-12697(95)(本唄)三味線/安田磯子、尺八/菊池淡水。越中谷(1875-1261)は、江差と函館間の乗合馬車の仕事に携わりながら、追分節の工夫に努め、新地節、浜小屋節などと分かれていた追分節の一派・詰木石節を正調江差追分として普及。陸の追分節の匂いを残す。大正中期にニッポノホンレコードにその唄声を吹き込んで以来、再三、コロムビアで録音を行っている。戦中、戦後もステージやラジオで活躍。「本唄」のお手本だ。
○青坂満
 TECY-18014(90)(前本後唄)潮風に鍛えられた強い声。尺八/柳谷泰喜知、三味線、掛声/近江タキ。
 VICG-3OO4(90)(前本後唄)尺八/湊谷七郎、三味線/近江タキ、ソイ掛け/岩坂利春。
 KICX-8414(97)(前本後唄)尺八/矢下勇、ソイ掛け/西塚勇。
 APP-4002(03)(前本後唄)三味線/近江タキ、尺八/湊谷七郎、ソイ掛け/浅沼和子。江差町生まれの青坂満(1931-)は江差追分全国大会第六回優勝者。
○近江八声
 VICG-3OO4(90)尺八/湊谷七郎、三味線/近江タキ、ソイ掛け/岩坂利春。やたらに声張り上げず、海風に鍛えられた味のある美声で唄う。真摯な姿勢と気迫が感じられる歌唱。三味線伴奏はしっとりとした風情を醸す。江差追分全国大会第一回優勝者。昭和十五(1940)年七月、江差町に生まれる。本名は誠之。
 APP-4002(03)(本後唄)三味線/近江タキ、尺八/石田広、ソイ掛け/岩坂利春。
○小笠原次郎
 VICG-3004(90)尺八/湊谷七郎、三味線/近江タキ、ソイ掛け/岩坂利春。味わい深い演唱。静謐さに満ちた近江タキの三味線が絶品。江差追分全国大会第二回優勝者。昭和十(1935)年三月、上ノ国町生まれ。
 COCF-10983(93)(本後唄)尺八/浅水舟月、ソイ掛け/佐々木基晴。
 APP-4002(03)三味線/藤田淳一、尺八/湊谷七郎、ソイ掛け/青坂満。
○初代浜田喜一
 250A-50054(89)尺八/星義次、渡辺嘉章、三味線/北川千鳥。金属原盤から復刻。鼻にかかった独特の声で、海の匂いを感じさせる歌唱は他の追随を許さない。声は三浦為七郎に似て、送りは曲の終わりに付けている。
 VDR-25243(89)(本後唄)
 VICG-3OO4(90)(前本後唄)尺八/宮代竹峰、五十嵐竹声、掛声/丸山正子。波音の擬音を入れて雰囲気を盛り上げる。送りは尺八独奏で本唄の前に入れている。
 COCF-10983(93)(前本後唄)尺八/渡辺嘉章。
 VZCG-129(97)(前本後唄)尺八/矢下勇、三味線/大川佳子、掛声/飯田優子。味、声、迫力よし。本唄の前に尺八と三味線の送り。
 TFC-1208(99)(前本後唄)尺八/菊池淡水、ソイ掛け/鎌田英一。送りなし。

「江差三下り」(北海道)

♪(ハ オセセノ セッセ ヤァオイ)
江差港の 弁天様は
(ハァ オセセノ セッセ)
わしがためには 守り神
(ハ オセセノ セッセ ヤァオイ)

江差馬方三下りの略称。馬方節に三下りの三味線の手がついたお座敷の騒ぎ唄。ヤン衆や鰊成金が落とすお金で賑う花街で盛んに唄われた。七節で唄い、五節目を高音で張っていくところは江差追分と同じである。
中山道と北国街道が分岐する信州追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)の酒席の騒ぎ唄が、旅人や瞽女たちによって北海道に伝えられ、江差三下りとなって、やがて江差追分を育てていく。馬方節は追分の街道を往来する馬子たちが唄う馬方節に、三下りの三味線の手が付いたもの。

◎土門譲
 COCJ-30331(99)三味線/浜谷ヨシエ。わびしさをそそる破れ三味線のような音色の伴奏もよい。
〇青坂満
 FGS-601(98)三味線/近江タキ、尺八/湊谷七郎。聴くほどに実によい気分に導いてくれる。味わい深い三味線と合いの手が郷愁を呼びさます。
○佐々木基晴
 KICH-8113(93)三味線/高橋祐次郎、囃子言葉/新津美恵子、新津幸子。悠揚迫らぬ歌唱。

「江差甚句」(北海道)

♪(サン ドッコイショ ドッコイショ)
江差船頭衆に どこ良て惚れた(サン ドッコイショ ドッコイショ)
汐で磨いた チョイト男ぶり(サン ドッコイショ ドッコイショ)

鰊(にしん)漁(りょう)の根拠地江差は、ヤン衆たちで大いに賑わった。盆踊りは、おらが国サの自慢の唄と喉を披露する場であった。鰊が北の海に去り、江差の町がさびれてしまうと、盆踊りもいつしかすたれてしまった。「江差甚句」は盆踊り唄のなかで残った数少ないものの一つ。昭和十四(1939)五年頃までは太鼓の伴奏で踊られていた。曲名は“じんこの架けた橋渡らねで落ちた架けた大工さんの顔見たい”という文句があり、そこから“じんこ(甚句)”と呼ばれた。

○佐々木基晴
 APCJ-5030(94)お囃子方はCD一括記載。若々しい端正な歌唱。
 KICH-8202(96)三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、鳴り物/美波那る駒、美波成る駒、囃子言葉/新津美恵子、新津幸子。
○崎野澄
 COCF-9301(91)三味線/市川竹女、尺八/佐藤錦水、太鼓/美波三駒、囃子言葉/大船勝枝。いなかの匂いがあって声にお色気もある。
△三浦一子
 COCF-13281(96)三味線/佐々木孝、中陳千壽、尺八/田中憧章、阪田明章、太鼓/瀬川実厳、鉦/細谷月章、囃子言葉/渡部章月、沢山篁美。

「江差船方節」(北海道)

♪(ハァ ヤッショマカショ)
私の芸誌を 申するならば
(ハァ ヤッショマカショ)
明治九年の大火に 家も蔵をも焼き払い
(ハァ ヤッショマカショ)
ふた親様には死に別れ 兄弟方には生き別れ
(ハァ ヤッショマカショ)
その時私は十六で 恋しきふるさとあとにして
(ハァ ヤッショマカショ)
ひとり寂しく旅に出る 着いたところは青森よ
(ハァ ヤッショマカショ)
蝦夷地通いの船に乗る 着いたところは江差の港
(ハァ ヤッショマカショ)
音に名高いまるせんの 今は娼妓と身を沈め
(ハァ ヤッショマカショ)
娼妓の勤めも辛いもの 好きなお方はよいけれど
(ハァ ヤッショマカショ)
嫌なお客の来たときは 登る梯子も針の山
(ハァ ヤッショマカショ)
落ちる涙は血の涙 ふびんと思ったらお客様
(ハァ ヤッショマカショ)
どうぞ身受けを トコサイサイしておくれ
(ハァ ヤッショマカショ)

江差の船方節。山形や秋田の船方節ほどは知られていない。島根県の出雲(いずも)節(ぶし)と呼ばれていた船頭唄が、北前船の船乗りたちによって日本海を北上。各地の港に置き土産(みやげ)されて船方節になった。

○佐々木基晴
 KICH-2461(05)三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、鳴り物/美波那る駒、囃子言葉/新津美恵子、新津幸子。

「江差餅つき囃し」(北海道)

♪(アラセ アコーノアドッコイ)
新家(あらや)サ盆が来て 灯(とう)篭(ろう)下がった(アドッコイ)
灯篭だと思ったら 福下がった(アドッコイ)
福も福だよお 多福だ(アドッコイ)
(ヨイヤマカセ ヨンヤマカセ アドッコイ)

「前奏」「こね」「からみ」「あいどり」「後奏」からなる組唄。ふかした餅米を臼に入れ、杵で練りつぶす時の唄が「こなし」。掛け合いでつくときは「からみ」。太い杵での上げ搗きから「あいどり」と、それぞれ異なった唄が唄われ、搗き上がるにつれて唄が早くなっていく。
毎年十二月も中旬を過ぎると、鰊漁で賑わった江差の料亭や問屋では、正月用の餅が搗かれた。杵の調子に合わせて三味線、笛、太鼓、薄い鉄や銅で作った皿型の茶釜を打ち合わして賑やかに囃す。餅つきはお祭り騒ぎだ。
昭和七(1932)年頃、保存会の会長・夏原律太郎が中心となり今日のかたちにまとめあげた。

○小寺勲鳳
 COCF-14301(97)三味線/中陳千寿、奥泉勇篁、石川一男、尺八/松本晁章、帰山禀章、太鼓/難波鼓章、鉦/得地百合子、囃子言葉/吉田瑞鳳、松村直実、長江亜津子、細川澄美枝。こねり、からみ、あいどりの間に「おけさ」を入れて、いかにも餅つきといった風情をうまく出している。
△大塚文雄
 KICH-8201(96)三味線/藤本e(ふじもとひで)丈(お)、尺八/米谷(よねや)威(い)和男(わお)、太鼓/山田三鶴、鉦/西泰維、囃子言葉/白瀬春子。楽しく軽快に、調子よく唄っている。

「蝦夷富士の唄」(北海道)

♪洞爺ナーアア登別 中山峠ヨ
中に蝦夷富士 聳え立つ

蝦夷富士と呼ばれる羊(よう)蹄山(ていざん)(1893m)の美しさを称え、須藤隆城が作詞作曲。北海にかた節の伴奏の手に、三味線でカッコウの鳴き声を加えてのどかな感じを出した。羊蹄山は北海道西部の後志(しりべし)支庁(しちょう)の倶知安(くっちゃん)、真狩(まっかり)、喜茂別(きもべつ)、京極、ニセコの五町境にそびえる火山だ。

○菊池智次郎
 VICG-2040(90)三味線/高橋脩次郎、尺八/下谷博康。泥臭く野趣のある歌唱。
○佐々木基晴
 KICH-2461(05)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁(まつもとちょう)章(しょう)。
○久野絹枝COCJ-30331(99)
 端正な唄い方をしている。三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章。

「古調追分」(北海道)

♪(アーソイ ソイーソイ)
別れて今更 未練じゃないが 気にかかる(アーソイ)
主はいずこで 暮らすやら(アーソイ)
雨の降る日も 風吹く夜さもネ(アーソイ)
思い出しては 忍び泣き(アーソイソーイ)

○佐々木基晴
 KICH-8113(93)雅趣あるスローテンポで唄い、江差追分の古い形を偲ばせる。三味線/千(ち)藤(ふじ)幸蔵(こうぞう)、尺八/品野竹仙、添え掛け/橘鳳華。

「女工節」(北海道)

♪たとえ海山 隔てていても
文のやり取り しておくれ
文のやり取り していても
逢わねば 恋路が薄くなる
ヤンショヤンショ

缶詰工場で働く女工さんたちが唄った。北海道から千島、樺太方面まで唄われていたナット節が変化したものだ。女工さんの思いが唄の文句になり、ナット節の囃子言葉がヤンショ・ヤンショに変えられた。
缶詰にはサケ、マス、エビ、カニが使われる。カニの缶詰には繊細で高度な技術が必要とされ、男子の作業員より女子の作業員が重用された。作業は早朝三時ごろから、深夜まで続けられる過酷なものであった。

○佐々木基晴
 CRCM-1OO05(98)穏やかな歌唱。三味線/田原賢声、尺八/浅水舟月、太鼓/増田節子。

「正調追分」(北海道)

♪<本唄>
忍路高島 およびもないが
せめて歌棄 磯谷まで

◎見(み)砂(さご)東楽(とうらく)
 TFC-1209(99)(本唄)尺八/福田蘭童、玲琴/田辺禎一。見砂(本名・見砂松太郎)は明治十(1877)年、石川県羽昨(はねさく)郡(ぐん)志雄町(しおまち)出身。その半生を北海道と東京で過ごして追分の研究に努めた。天性の美声に加え、北海道の追分に刺激されて工夫した東楽独自の追分は、正調追分と呼ばれ、関東と北陸方面で広く知られるようになった。

「ソーラン節」(北海道)

♪ヤーレンソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン(ハイハイ)
鰊来たかと カラスに聞けば
私ゃ山子だ ゴメに聞けチョイ
(ヤサエー エリヤンサー ドッコイショ アードッコイショ ドッコイショ)

“松前の米”とまで言われた鰊は、宝暦頃(1751-64)に桧山、後志(しりべし)海岸一帯で盛んに取れるようになり、文化年間(1804-1817)には日高や十勝の沿岸全域でとれた。初めはタモ網ですくって取っていたが、次第に漁法が改良され、嘉永三(1850)年には歌棄(うたすつ)、磯谷方面で建網漁法が始まる。この漁法は旧南部領のハタハタ漁法を持ち込んだものだ。漁法と一緒に南部の荷上げ木遣り唄が持ち込まれソーラン節となった。別名「沖揚げ音頭」。
建網に入った鰊を枠船の枠網に移し、枠網がいっぱいになると、曳き船で波のないところへ移動する。入った鰊をタモ網で汲んで汲み船に移すときに唄う。ソラソラと促すソーランにハイハイと応える。

○初代浜田喜一
 TECY-18013(90)旧節を二節入れているが、新節とあまり変わらない。三味線/高島せつ子、尺八/星義次、太鼓/佐藤三駒。囃子言葉不記載。
 VZCG-129(97)若々しい浜田節。尺八/渡辺輝憧、千葉淡景、三味線/大川佳子、市川紫、太鼓/山田鶴助、鉦/山田鶴喜美、囃子言葉/浜田社中。初代浜田喜一(1917-1985)は江差町出身。船乗りで追分節の名手であった浜田松鶴を父に持ち、五歳の頃から神童ぶりを発揮。昭和二十三(1948)年、病気を機に二代目を弟に譲ったが大患を克服して復帰。芸にいっそう磨きがかかった。
○大船繁三郎「鰊の沖揚唄」
 COCF-12697(95)尺八/倉部竹王、掛け声/大船繁勇。大船繁三郎は函館に住んで仲買人を営む傍ら、大正から昭和の初期にかけて大船会を主宰。江差追分の普及にあたった。
○三橋美智也
 KICH-2011(91)三味線/藤本e丈、藤本直久、尺八/米谷e、笛/米谷威和男、鳴り物/山田鶴助、山田鶴喜美、囃子言葉/飯田優子。
 KICH-2416(06)編曲/山口俊郎。三味線/豊吉、豊静、キング邦楽合唱団、キングオーケストラ。爽快感あふれる編曲で三橋の歌唱力が光る。
△伊藤多喜雄
 VPCC-80501(97)尺八/横笛/能管/米谷智、津軽三味線/山中信人、和太鼓/芹沢克修他。
 SRCL-4850(00)和太鼓/林英哲、TAKIOBAND(津軽三味線/木下伸市、佐々木光儀、尺八/小川寿也、米谷智、和太鼓/植村昌弘、鳴り物/木津茂理、ドラムス/斉藤亨)新感覚の民謡だ。「3年B組金八先生」第六シリーズ最終回(02/3/28放送)で上戸彩たちが踊るソーラン節で使われて注目を集めた。伊藤は“同時代の民謡”をキーワードに平成の新民謡運動を展開している。
△成田雲竹
 COCJ-30667(99)三味線/高橋竹山。津軽民謡の名手によるソーラン節。

「チョイサ節」(北海道)

♪ハァ大漁手ぬぐい きりりと締めて
どんと起こせば 百万両 百万両

函館が鰊漁の根拠地として栄えていた頃、漁師たちが酒盛り唄に唄っていた。上の句と下の句の間にチョイサと囃し、下の句の後に、さらにチョイサチョイサと囃す。曲は甚句の一種で四句目を二度繰り返す。今日の節回しは昭和四十三(1968)年頃、佐々木基晴がまとめあげ、伴奏もその折りに付けた。節が洗練されすぎて、昔日の漁師唄の面影はほとんどなくなっている。

◎佐々木基晴
 APCJ-5030(94)お囃子方は一括記載ため不明。

「出船音頭」(北海道)

♪ハァー エエンヤ エッサエッサ出船の朝だよ(ソラ エーンヤコーラ)
主の音頭で 船足揃うヨ
若いおいらは(ホーイサ ホイサト)波乗り越えて
そうだその意気 ドーントネ

昭和三十四(1959)年、田原賢声が函館港を題材にして作り、翌年一月、佐々木基晴(1926-)が唄って評判になった。
波声(はごえ)船頭が唄う音頭に合わせて櫓(ろ)櫂(かい)が繰られ、出漁の船足が一層早まって行く。佐々木は昭和二十九(1954)年、「この声百万ドル第1回全国大会で優勝。すっきりとした節回しと爽快な声で、北海道の民謡を数多く掘り起こし、全国に紹介した。

◎佐々木基晴
 APCJ-5030(94)お囃子方は一括記載。自信に満ちた歌唱で好感が持てる。
 CF-3661(89)自信に満ちた若々しい声で明るく唄う。
○武花烈子
 K30X-216(87)少々品のない唄い方だが味はある。編曲・三味線/藤本e丈、藤本秀波、尺八/武花栄風、囃子言葉/千葉武峰、高野武美。
△石黒篁鈴
 COCF-9301(91)男唄を女性が唄っているが味はある。三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/松本晁章、太鼓/瀬川実、鉦/田中憧章、囃子言葉/小笠原貞子、沢山篁美。

「道南口説」(北海道)

♪オイヤーサァエー
オイヤ 私ゃこの地の 荒浜育ち
声の悪いのは 親ゆずりだよ
節の悪いのは 師匠ないゆえに
一つ唄いましょう はばかりながら

北海道の玄関口である函館から磯谷(いそや)までの地名を織り込んだ口説(くど)きだ。“サエ節”とか“広大寺くずし”と呼ばれる越後の唄が瞽女(ごぜ)や座頭(ざとう)たちによって北海道に移入された。“広大寺くずし”は「新保(しんぽ)広大寺(こうだいじ)」が字余りで長編化したもの。昭和三十(1960)年代初め、佐々木基晴の声で世に出る。
「新保広大寺」は群馬県で「八木節」、秋田県で「飴(あめ)売り唄」、青森県で「じょんがら節」を生み出す。オイヤサエは、ごめんくださいの意。瞽女さんは三味線を携えて農山村を巡り歩く盲目の女性遊行芸人だ。一年のほとんどを旅に過ごした。門付けが終わり、夜になると瞽女宿に集まってもらった村人を前に、段物や口説(くどき)、民謡などを聴かせて、米や祝儀を貰った。瞽女の組織は、越後新潟に本拠におく高田瞽女、長岡瞽女、刈羽瞽女が知られ、近年まで存続していた。

○佐々木基晴
 KICH-2461(05)三味線/高橋脩次郎、尺八/矢下勇、鳴り物/美波那る駒。自信に満ちた艶のある美声でうまく聞かせる。
 COCF-13281(96)線が細くて弱い若き頃の歌唱。三味線/田原健次郎、太鼓/成田千代江。
○北海昌子
 VDR-5193(87)尺八/斉藤参勇、三味線/藤田淳一、太鼓/山田鶴喜美。漁師のおかみさんの雰囲気がある。
△外崎光男
 FGS-601(98)三味線/田原健声、尺八/浅水舟月、太鼓/佐々木基晴。枯れた渋い歌唱。
△太田久子
 COCJ-30331(99)いかにも素人っぽい漁村のおばさんの唄のようだが、なぜか懐かしい。三味線/市川きよ女、太鼓/安部勲。

「道南ナット節」(北海道)

♪(ハァ ナットナット)
波の花散る北海を 思い出したらまた来てね
木彫りの小熊を伴にして アリャご無事で内地へ戻りゃんせ
(ハァ ナットナット)

囃子言葉から命名された。明治から大正にかけて、北海道や樺太の土木人足の間で盛んに唄われた。七五調四句の今様形式をもつ明治の流行歌で、後に北海道のカニ缶工場の女工さんたちも盛んに唄うようになった。後に「女工節」となり、山形の「真室川音頭」に変化する。
日露戦争(1904)当時に流行した添田(そえだ)唖然坊(あぜんぼう)(1872-1944)のラッパ節が原調のようであり、本州からやってきた多くの労働者が北海道に持ち込んだ。

○初代浜田喜一
 VZCG-129(97)声に迫力と味があり、野趣に富む。尺八/千葉淡景、五十嵐竹声、笛/老成参州、三味線/大川佳子、市川紫、太鼓/美波駒三郎、鉦/曽我了子。浜田は、ナットは“そうだね”という意味の“ンダネ”が“ンダナット”になり、ンダが略されてナットになったと言う。
○今井篁山
 COCF-13281(96)年輪を重ねた味のある声。息遣いは苦しいが、そこに土地の匂いがあって、美声だけでない民謡本来の姿を示している。三味線/中田篁輝、奥泉勇篁、尺八/阪田明章、太鼓/難波二郎、鉦/瀬川実、囃子言葉/加藤貴美篁、加藤直美。
△奥泉勇篁
 COCF-9301(91)きっちりと唄い、声に味があるきっぷのよい男衆の歌唱。三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、太鼓/難波二郎、瀬川実、鉦/加藤幸晴、囃子言葉/松本津和子、佐々木登紀恵。
 COCF-10982(93)三味線/佐々木孝、中陳千壽、加藤孝明、尺八/阪田明章、西田北章、太鼓/難波鼓章、鉦/細谷月章、囃子言葉/石黒篁鈴、沢山篁美。

「道南盆唄」(北海道)

♪(ハァソレソレコラサッサ)
一つ唄います音頭取り頼む 音頭取りよで手が揃う
ヤリャ手が揃う 音頭とりよで手が揃う
踊り踊るならしなよく踊れ しなのよい娘を嫁にとる
ヤリャ嫁にとる しなのよい娘を嫁にとる

北海道南部一帯の盆踊り唄。当初は函館近くの亀田郡を中心に唄われていたものが、道南一円に広まった。古くは亀田盆唄と呼ばれ、秋田県の鷹ノ巣盆唄が移入したものといわれる。どちらも青森県南部の代表的な盆踊り唄「なにゃとやら」が変化したもので、南部の唄が北海道や秋田へ広まったようだ。佐々木基晴によって伴奏が付けられ復活した。

○初代浜田喜一
 VZCG-129(97)尺八/渡辺輝憧、千葉淡景、三味線/浜田勢津子、大川佳子、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴助、囃子言葉/飯田優子。迫力があり、盆踊りにふさわしい歌唱。
△佐々木基晴
 TECY-18014(90)三味線/市川きよ女、尺八/佐藤錦水他。若い声に未熟さが残る。
 COCF-9301(91)端正だが、おとなしい歌唱。三味線/市川きよ女、市川節好、尺八/佐藤天雄、大船繁三郎、太鼓/成田さよ、鉦/大場清、囃子言葉/飯田優子、伊勢谷満。
 APCJ-5030(94)伴奏者は一括記載。
△三浦喜美子COCJ-30331(99)特徴のある声で野趣もあるが、少々品がない歌唱。三味線/光股愛子、安部勲、笛/老成参州、太鼓/安部よし子、鉦/三浦華月、囃子言葉/らんまる社中。

「道南艪漕ぎ唄」⇒「北海櫓漕ぎ唄」

「十勝馬唄」(北海道)

♪霞む野原(のっぱら)(ハイ)
ハァとねっ子 跳ねて(ハイ)
馬の十勝にヨ 春が来る(ハイハイヨ)

大野恵造作詞、堀井小二朗作曲の新民謡。“とねっこ”は当年生まれの子馬のこと。十勝の馬は、江戸時代に持ち込まれた馬が北海道の気候風土に順化して、農耕作業に適したドサンコと呼ばれる北海道和種馬となった。
昭和四十(1965)年、十勝開拓の唄作りを目指した十勝民謡同好連盟の萩原信一、帯広市長の吉村博、助役の木呂子敏彦などの要請を受け「どんころ節」とともに作られた。広々とした北海道の、天地のすがすがしさが巧みに表現されている。堀井は現代尺八奏法の第一人者。同四十五(1970)年頃から全道の民謡大会などで唄われ始め、現在では毎年、馬唄の全国大会が帯広市民文化ホールで行われている。

◎橋本芳雄
 TFC-1208(99)尺八/堀井小二朗、鈴/美波駒三郎。橋本芳雄は大正十四(1925)年、秋田県仙北郡協和町出身。戦後間もなく成田収玉に師事。昭和三十四(1959)年、堀井小二朗に尺八の指導を受けることとなり、堀井が作曲した「十勝馬唄」と出会う。昭和四十一(1966)年、帯広公民館で「十勝馬唄」の発表会が開かれ、橋本の唄がレコード化された。
○横山武山
 APCJ-5030(94)少しさびのある美声で、野趣と素朴さがよい。広々とした牧場が髣髴する馬唄らしい歌唱だ。
○北海昌子
 VDR-25126(88)尺八/斉藤参勇。力強い声に素朴な迫力がある。
△馬場敏彦
 COCJ-30331(99)尺八/田中憧章。のどかさをうまく出している。

「巴(ともえ)音頭」(北海道)

♪ハァ黄金花咲く巴の港(ハソーレ).
ドント ドントドント入船 出船
千両万両の宝船(ハ シャンシャン シャントネ)

函館港は巴の形をしているため、巴港と呼ばれている。入港してくる船は全て宝船であり、巴の港には黄金の花が咲く。
田原賢声が作詞、作曲した。四連の歌詞には、函館港、函館山、湯ノ川温泉、石川啄木(1886-1912)が詠み込まれ、民謡らしい佳曲に出来あがっている。
函館山(332b)から見る夜景の美しさは世界一。近くの湯ノ川温泉には湯の香が漂い、啄木が愛した函館の町には今も詩情があふれている。

◎佐々木基晴
 CRCM-1OO06(98)三味線/田原賢声、木村正男、尺八/浅水舟月、アコーディオン/尾崎頼彦、太鼓/松倉武次、鉦/市戸修、囃子言葉/尾崎則子、増田節子。

「どんころ節」(北海道)

♪十勝とっても ハァええ天気
みんな揃って みんな揃って 豆落し 豆落し
(ハァ ドンコロ ドンコロ)

十勝平野で豆作りする農家の生活を唄ったもの。「十勝馬唄」を作った大野恵造と堀井小二朗のコンビが、同じ昭和四十一(1966)年に作詞作曲。作業唄の感じをうまく出している。
どんころは、丸太棒で作った豆類を脱穀するローラー式の農具のこと。刈り取って乾燥させたサヤ付き豆をムシロに広げ、馬に曳かせて使う。天気のよい日に家族総出で作業をした。落ちない豆は唐棹(くるり棒)で叩いて落とす。十勝は豆の国といわれ、どんころ作業は同二十五(1950)年ごろまで続いた。

◎橋本芳雄
 TECY-18013(90)枯れた声に雅趣がある。尺八/堀井小二朗、佐藤崋山、三味線/木村富枝、太鼓/美波駒三郎、鉦/丹伊田信成、囃子言葉/小泉静子。

「鰊場音頭」(北海道)

♪ヨーイサアエー(エーアーエーエエー)ヤーサァーヨー(エエー)
ヨーエサアエー(エーアーエーエエー)オーシコー(オーシコー)
ホーラァエー(オーシコー)ホーラアヨー(オーシコー)
ヨーエーヤー(オーオーシコー)ホーラーアェー(ホーラーエー)
ホーラアヨー(オーシコーオ)ヨーエーヤー(オーオーシコー)
ホーラーアェー(ホーラーエー)ほら もう一声出して(オーシコーオ)
ホーラーアェー(ホーラーアェー)
ほら もうひとふんばりだ それ(オーシコーオ)
ヨーエーヤー(オーオーシコー)ホーラーエー(ホーラーエ)
ホーラーヨー(オーシコーオ)アヨーエーヤー(オーオーシコー)
ヤンサーノ(ドッコイ)

鰊場音頭は一連の作業唄で、それぞれが独立して愛唱されている。広義には「沖揚げ音頭」の別名があるように、出船の船漕ぎ唄で始まり、網起こし音頭、切り声音頭、沖揚げ唄(ソーラン節)、子叩き音頭(いやさか音頭)、帰りの船漕ぎ唄で構成されている。狭義には別名を「沖揚げ木遣り」とも呼ばれるように、網起こし音頭を指し、伊勢の“お木曳き唄”である松前木遣りが唄われる。

○鎌田英一
 CRCM-4OO05(90)囃子言葉/鎌田会。

「鰊場作業唄」

◎忍路鰊場の会
 KICH-2023(91)「船漕ぎの唄、網起こしの唄〜木遣り音頭、沖揚げ音頭(ソーラン節)、子はたき音頭」を演唱。

「波声(はこえ)音頭」(北海道)

♪(エーンヤヨーイドサーン ヨーイサン ヨーイドサン)
ゴメの鳴く声 夜明けに聞けば
今日も大漁だ 早起き頼む
波声囃して 出船の支度
(エーンヤヨーイドサーン ヨーイサン ヨーイドサン)

津軽海峡に面した漁港・福島町の漁師たちが、船を沖合いの鰊場に漕ぎ出す際、櫂(かい)先を揃えさせるために唄った。昭和四十七(1972)年頃、船頭の体験豊富な金沢与一がリズムと節回しを整える。
鰊は明治三十(1897)年に約97万dの収穫があったが、以後、鰊は来なくなり、昭和三十(1955)年には約2万8千dに激減した。

○佐々木基晴
 276A-5OO3(89)三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、鳴り物/美波那る駒、美波成る駒、囃子言葉/新津恵美子、新津幸子。控えめの尺八に、調子のよい三味線、太鼓の音に乗って気分よく唄っている。三味線の佐々木孝は秋田県出身で津軽三味線の名手。

「函館甚句」(北海道)

♪ともえ港よ 花咲く春に
またも沸き立つ あの北洋船

田原賢声作詞作曲の新民謡。昭和三十一(1956)年、函館開港百年を記念して作られた。
五月の中頃になると、何百隻の北洋船団が函館港に集結する。出港の日の夜明け、岸壁は見送りの家族や漁業関係者でいっぱいになる。早朝五時、各船は何枚もの大漁旗をなびかせて一斉に出漁して行く。北洋漁業は北緯四五度以北の太平洋、ベーリング海、オホーツク海など、北洋海域が操業の場である。大正後期には母船式カニ漁業、昭和初期には母船式サケ・マス漁業、さらに北千島サケ・マス流し網漁業が加わり、太平洋戦争の時まで発展を続けた。昭和十六(1941)年頃には年平均九千六百万尾の漁獲、百六十万函の生産量があった。
戦争で中断された後、昭和二十七(1952)年に再開され、母船式サケ・マス、独航船サケ・マス流し網、母船式カニ、母船式底引網、北方トロール、母船式捕鯨などが操業を開始。その後、同五十二(1977)年から二百カイリ規制が行われるようになって北洋漁業の生産量は激減する。

△石田盛一
 COCF-9301(91)三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/田中憧章、阪田明章、太鼓/細谷月章、鉦/瀬川実巌。細いかすれた声のために、迫力と味わいが薄い。四番の「今宵一夜はしみじみ酔うか」を「今宵一夜はしみじみ飲もか」と唄っている。

「浜小屋おけさ」(北海道)

♪(ハアリャサーサッサ)
赤い夕日とかもめ島 磯で波打つ浜千鳥
今日も帰らぬ もやい船
(ハアリャサーサッサ)
今日は戻りの主の船 せきくる涙を押さえつつ
添えぬ一夜を 夜着のうち

江差の花街(浜小屋)では諸国のはやり唄が盛んに唄われていた。それらを総称して浜小屋節と呼ぶ。浜小屋といっても掘っ立て小屋ではなく、三階建ての堂々たるものであった。最盛期、登録された芸妓だけでも五百人を超えていた。
初代浜田喜一の弟子・長谷川満が寿々木米若の「佐渡情話」を元にしてこの唄を唄い始めた。一連のおけさ系統の民謡とは無縁のものだ。

△千葉君子
 COCF-13281(96)三味線/佐々木孝、笛/松本晁章、太鼓/難波鼓章、囃子言葉/長江亜津子、細川澄美枝。森田圭一補作曲。少々弱弱しい歌唱だが、悲しい運命に泣く女心を唄っている風情がある。

「二(ふた)声(ご)上げ音頭」(北海道)

♪さあさこれより 唄の文句変わる
(アー イヤサカサッサ)
何と変わるべな 二声上げ
アリャ二声あげ変わるべな 二声あげ
(アー イヤサカサッサ)

ヤン衆たちの網曳き唄。函館沿岸で行われる鰊漁は建網(たてあみ)漁法が用いられるまでは曳網(ひきあみ)漁法であった。掛け声が二部になるところから二声上げという。船頭が前唄を唄い、続いてその後を船子が唄う。「ソーラン節」を唄いながらの建網漁法が採用されると、曳網漁法はだんだんすたっていった。今では唄だけが保存会によって伝承されている。

○佐々木基晴
 KICH-2461(05)三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、鳴り物/美波那る駒、美波成る駒、囃子言葉/新津美恵子、新津幸子。
○尾崎則子
 CRCM-10005(98)特徴のある可憐な声で、浜の子供が頑張って唄っているような雰囲気がある。三味線/藤田淳一、名和実、尺八/浅水舟月、田原賢声、太鼓/播磨孝雄、鉦/名和津加子、囃子言葉/渡辺れい子、三上愛子、増田節子。

「船漕ぎ流し唄」(北海道)

♪ヤーセノヤーセ(ホヤッセ)ヤーサノヤーセ(ホヤッセ)
ヤーセーホー(キタカホイサ)
あの岬(さき)越えればな また岬出てくるな
囃しを揃えてな 櫂先揃えてな
揃えてホーエ(キタカホイサ)

瞽女の唄として古くから唄われていた舟漕ぎ唄。艪(ろ)囃子(ばやし)や木遣り唄のような素朴な唄で曲想もよい。美(び)国(くに)(積丹(しゃこたん)町)の金沢余一が唄って流行をみる。現在のものは昭和四十(1965)年、札幌の尺八家・松本晁章が手を加え、佐々木孝が三味線の前奏を付けた。その後、北海道民謡の佐々木基晴はじめ、さまざまな人たちの努力で次第に知られるようになった。松本晁章は富山県出身。鴎涛(おうとう)軒(けん)小路流(こうじりゅう)家元三代目を継承。尺八と唄を教えて、多くの弟子を育てている。

◎松本晁章
 COCF-9301(91)自然な歌唱で味があり、声に渋さがある。三味線/佐々木孝、尺八/田中憧章、太鼓/難波二郎、瀬川実、鉦/加藤幸晴、囃子言葉/松本津和子、佐々木登紀恵、道下泰子。
○佐々木基晴
 TECY-18014(90)若々しく元気のよい歌唱だ。三味線/佐藤美恵、本條秀太郎、高橋修次郎、田原賢声、尺八/佐藤錦水、長谷川健治、笛/老成参州、太鼓/美波三駒、鉦/美波駒世、囃子言葉/尾崎則子、増田節子、臼渕キミ子。
 APCJ-5030(94)風邪を引く前の声みたいだが味はある。

「北洋節」(北海道)

♪晴れの出船の 黒煙
海だ男の 行くところ
たとえしぶきに 濡れよとて
泣いてくれるな 浜千鳥

沢田貞美作詞、今井篁山作曲。海に生きる男の心意気を唄っている。昭和十二(1937)年頃に作詞された。樺太や北海道の漁師や土木工事の人足たちが唄っていた北海ナット節をもとに、今井篁山(1902-1983)が工夫をこらして編曲。
今井篁山は岩手県水沢市出身。本名梅原栄。六歳の時に北海道砂川に移住。生涯を民謡一筋に生きた。

△佐々木基晴
 APCJ-5030(94)お囃子方は一括記載。

「北海数え唄」(北海道)

♪アーでは一つとせ
広い北海道の隅々も 掘れば出てくる黒ダイヤ
世界を照らす チョイト輝かすゾー

数え歌の形式は世界各国にあり、頭に数を織り込んで次々と唄っていく。数の織り込み方はさまざまで、数を順に拾っていくものや、最初の音をもじって、地名や人名を挙げたりして唄っていくものもある。純朴なわらべ唄の数え唄にくらべて、大人の数え唄には卑猥なものや下品なものが多い。

○原田栄次郎
 TECY-18013(90)作詞/杵渕一郎。三味線/福士政勝。声も野太く、野卑な感じがしないでもないが、もともと民謡は労働の唄であり、こうした未洗練さが本来の民謡の良さともいえる。

「北海金堀り唄(北海鉱堀り唄)」(北海道)

♪(ハ チンカラチン チンカラカン
チンカラカンノ ドッコイサー コーラショット)
大雪山から(ア ドッコイサッサト)
吹きくる風は(コラショット)
お山繁盛とコーリャ吹いてくる
(ハ チンカラチン チンカラカン
チンカラカンノ ドッコイサー コーラショット)
お米ゃ三文する(ア ドッコイサッサト)
お山は盛る(コラショット)
枡や斗掻きでコーリャ金(かね)量(はか)る
(ハ チンカラチン チンカラカン
チンカラカンノ ドッコイサー コーラショット)

昭和二十三(1948)年頃、新潟から北陸方面を旅行した今井篁山が、石川県出身の古老から聞き覚えた佐渡の鉱山唄(金堀唄)を改良、節回しを整えた。唄の文句は佐渡の相川金山、鶴子銀山などで石刀職人が唄っていたものと同じである。
同三十(1955)年、チンカラ唄としてレコード化。同四十年代に「北海金堀唄」と改称された。紋別市鴻之(もんべつしこうの)舞(まい)鉱山でも、金を堀り出す石刀職人たちが唄っていた。石刀節はタガネをハンマーで叩く拍子に合わせて唄う。
石刀とはハンマーのこと。石刀職人は給金さえよければ、どこの鉱山や炭鉱でも働いた。このために各地へ唄が伝わり、全国の鉱山に残る石刀節は、いずれも大同小異である。石刀節に伴奏をつけるようになると、それぞれ異なった感じの唄となった。
鴻之舞鉱山は大正四(1915)年の発見以来、戦前から戦後にかけて日本最大の金山として栄えたが、鉱脈が枯れ、昭和四十八(1973)年に閉山した。

◎今井篁山
 TECY-18014(90)三味線/中田篤輝、奥泉勇篤、太鼓/山田鶴三、尺八/佐藤正水、囃子言葉/加藤貴美篤、加藤直美。大雪山を“だいせつ”と唄っているが、正しくは“たいせつ”。
 ◎COCF-9301(91)三味線/中田篁輝、奥泉勇篁、尺八/阪田明章、太鼓/難波二郎、鉦/瀬川実、囃子言葉/加藤貴美篁、加藤直美。“お米や三文する……”の文句は佐渡の金堀唄と同じ。“斗掻き”は山本修之助の「佐渡の民謡」には斗掛とあり、とかけとルビが振ってある。
○佐々木基晴
 APCJ-5030(94)「北海鉱堀り唄」端正な歌唱で味も力もある快唱だ。
 KICH-8202(96)三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、美波那る駒、美波成る駒、囃子言葉/新津佐藤美恵子、新津幸子。
△松村洋篁
 CF-3452(89)渋さあり。三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/松本晁章、田中憧章、太鼓/瀬川実、鉦/難波二郎、囃子言葉/沢山篁美、栗村ミツ子。
△石黒篁鈴
 COCF-10982(93)三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/田中憧章、阪田明章、太鼓/瀬川実厳、鉦/難波鼓章、囃子言葉/松村直実、吉田瑞鳳。女声の金堀り唄。

「北海謙良節」⇒「松前謙良節」

「北海大黒舞い」(北海道)

♪春の初めに 福大黒が舞い込んだヤー(ソレ)
(ひとつとせ)日柄を選んで 参らるる
七福神のお酒盛 身上のぼるは舞い遊ぶ

函館市郊外、湯の川町で新春を寿ぐ大黒舞いが唄う。
明治二十(1887)年代、青森県三戸(さんのへ)方面から入植した人々が持ち込んだ南部大黒舞いが変化。昭和四十(1965)年代に札幌の佐々木孝が三味線の手を付け、松本津和子がレコーディングした。

△武花烈子
 KICH-2461(05)
 KICH-295(15)三味線/小山貢竜、小山竜浩、尺八/武花栄風、武花栄舟、鳴り物/山田鶴祐、山田祐昌、掛け声/高野武美、武花紫緒希。

「北海大漁節」(北海道)

♪ハァー春は海からヨ 景気が上がるヨ(チョイサ)
烏賊に鮭鱒チョイ ヤーレン ソーラン ソーラン鰊船よ
(ヤーレン ソーラン ソーラン鰊船よ)

往時、鰊は米にもまさる貴重な資源であった。鰊は“親は二身の子で、子は数の子”と称えられる子孫繁栄のめでたい魚。鰊漁に関連した唄のなかに大漁節の類のものがないところから、昭和二十五(1950)六年頃、須藤隆城が曲を作った。
「ソーラン節」の囃子言葉の部分と群馬の「八木節」が巧みに取り入れられている。同二十七(1952)年、松本一晴に歌詞を依頼。翌年「北海大漁節」と命名されて世に出た。門人の佐々木登記枝に唄わせたところ、同三十二(1957)三年頃から北海道で流行し始める。

○佐々木基晴
 TFC-1205(99)三味線/宮本繁、宮本繁文、尺八/佐藤仁太郎、大船繁三郎、囃子/飯田優子、佐藤悦子。
 COCF-6517(90)お囃子方不記載。
△斎藤小隆
 CF-3452(89)声がかすれ、あまり元気がないが雰囲気はある。三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/松本晁章、太鼓/瀬川実、鉦/田中憧章、囃子言葉/沢山篁美、石黒篁鈴。

「北海鱈つり節」(北海道)

♪オイヤーサァーエー(アー キタコラサッサ)
上でいうなら神威(かむい)の岬よ 次に美国に丸山岬
下でいうなら オタモイ様よ
登り一丁に 下りも一丁(ア ーキタコラサッサ)
アー都合あわせて二丁の山よ 折りと折りとに参詣をいたし
参詣いたしたその折柄に
おさご(賽銭)まいては 柏手たたく(アー キタコラサッサ)
わしの願いを叶うたならば(アー キタコラサッサ)

鱈漁は針を付けた枝縄を張る延縄(はえなわ)が用いられるため“釣り”という。
鱈釣りに出た漁師たちが、船の上で退屈しのぎに口ずさんでいた。内地から渡ってきた遊芸人や瞽女、座頭たちが唄う新潟県十日町生まれの「新保(しんぽ)広大寺(こうだいじ)」を聞き覚えて唄い出した。「津軽じょんから節」や「道南口説き」と同じ系統の唄。
北海道後志(しりべし)支庁(しちょう)古平(ふるびら)郡古平町の漁師で明治三十七(1904)年生まれの大島豊吉は、昭和三十二(1957)年ごろ、同業の田村栄蔵と語らい鱈釣りの唄を作った。春夏秋冬の歌詞がある。南茅部郡(みなみかやべぐん)(函館市)に伝わる鱈釣り口説きが下敷きになっている。

◎川原加代子
 COCF-9301(91)「タラ釣り節」漁師のおかみさんが唄うような風情があり、労働者の唄らしく唄っている。三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、太鼓/瀬川実、囃子言葉/小笠原貞子、佐々木登紀恵、藤原加代子、松本津和子。川原加代子は、佐々木登紀恵の高弟。貫禄ある歌唱に特徴がある。
○岩間章月
 TECY-18014(90)三味線/影沢藤秀、影沢藤月、尺八/武花栄風、太鼓/福原章謡、囃子言葉/岩間章月女、岩下章旭。悪声だが仕事唄らしい渋い味を出す。
〇寺崎香月
 COCF-13281(96)「松前タラ釣り節」味のある歌唱。仕事唄らしく渋く唄う。三味線/佐々木実、加藤孝晴、太鼓/瀬川実、鉦/田中憧章、囃子言葉/松村洋篁。
○佐々木基晴
 KICH-8202(96)若々しく端正な歌唱。艶のある声で雅趣に富む。佐々木基晴の独壇場だ。三味線/佐々木孝、尺八/荒木常山、鳴り物/美波那る駒、美波成る駒、囃子言葉/新津恵美子、新津幸子。
 △CRCM-1OO05(98)三味線/藤田淳一、尺八/浅水舟月、太鼓/名和津加子、囃子言葉/増田節子、渡辺れい子。
 APCJ-5030(94)

「北海たんと節」(北海道)

♪ハァひとつ日の本 北海道に
生きるこの身の有り難や 有り難や
ホイ蝦夷はよいとこ 野も山も
昇る朝日に鱗波 黄金白銀タントターント
あいこの上作 その訳だんヨ

秋田の藁打ちたんと節は昭和七(1932)八年頃、秋田の黒沢三一(1894-1967)がレコードに吹き込んだ。これをもとにして、津軽で「津軽たんと節」、北海道で「北海たんと節」が生まれた。北海道のものは、昭和十四(1939)五年頃、小樽の今井篁山が北海道風に手を入れ、歌詞は沢田貞美に依頼。沢田は北海道の名物づくしで十番までの数え唄を作った。

◎今井篁山
 COCJ-30331(99)深田貞美作詞。三味線/藤本e也、藤本秀太郎、尺八/米谷威和男、太鼓/山田鶴三、鉦/山田鶴助。おじいさんが楽しく唄っているような雰囲気だ。声と息が続かないところにも味わいがある。
○佐々木基晴
 APCJ-5030(94)お囃子方は一括記載。スローテンポで唄い流す。
 KICH-2461(05)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、鳴り物/美波那る駒。
○伊藤多喜雄
 CRCM-1OO05(98)野趣がいっぱいの歌唱。三味線/佐々木光儀、三瓶秀東、尺八/佐藤功、太鼓/佐藤寿昭、鉦/加藤純子。
○加藤貴美篁
 COCF-13281(96)三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/田中憧章、瀬川実厳、鉦/佐々木登紀恵、囃子言葉/松本津和子、石黒篁鈴。野趣がある“ばあちゃん”の唄のようだ。
 COCF-10982(93)三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/田中憧章、阪田明章、鉦/難波鼓章、太鼓/瀬川実厳、囃子言葉/松村直実、吉田瑞鳳。
○清水弘子
 TECY-18014(90)お囃子/北海伴奏連中。元気のよい姉さんの唄。

「北海道音頭」(北海道)

♪ハァ咲いた日本の 北の国(ハ ヨーイヤサ)
春は遅いが 花の頃
浜はヨ浜は 大漁の鰊船
(シャンシャン シャントコイ良い所 良い所)

田原賢声作詞作曲の新民謡。北海道の良さを四連の歌詞に綴り、民謡らしく作り上げた。曲想もよい。

◎石田盛一
 TECY-18014(90)三味線/田原賢声、佐藤美恵、本條秀太郎、高橋脩太郎、尺八/長谷川健治、笛/老成参州、鉦/美波駒世、囃子言葉/言葉/増田節子、柳美代子、早坂さよ子、尾崎則子、臼渕キミ子、三上愛子。

「北海にかた節」(北海道)

♪ハァ新潟寺町の 花売り婆さま
花も売らずに 油売る

小樽の花柳界を中心に唄われた。江差が鰊漁の根拠地として賑わっていた江戸時代の末、越後の瞽女や座頭などの盲目の遊芸人たちが北海道にやってきた。
にかた節は「新潟節」のなまりで、新潟節は新潟生まれの“松坂”の異名である。松坂は越後新発田(しばた)生まれの検校(けんぎょう)・松波謙良が作ったとされ「検校節」「けんりょう節」とも呼ばれて各地に伝わった。この「北海にかた節」が秋田へ移されて「秋田にかた節」となる。

○坂本琴江
 CF-3452(89)お婆さんの声だが、野趣があってよい。前奏が約1分あり、秋田三味線の名人・梅若の華麗な三味線が聴ける。三味線/浅野梅若、尺八/大船繁三郎、多田桂山。
 △COCF-13281(96)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章。
〇佐々木登紀恵
 COCF-9301(91)野趣あり。三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章。
△佐々木基晴
 TFC-1205(99)三味線/宮本繁、宮本繁文、尺八/佐藤仁太郎、大船繁三郎。若々しい声で格調高く唄っている。
 CRCM-1OO06(98)
 FGS-601(98)三味線/田原賢声、尺八/浅水舟月。

「北海浜節」(北海道)

♪春は春はソーラン ヤン衆の声も
遠く呼ぶ呼ぶ黄金の波は(アーソイ)
せめて波風穏やかに
サーサ今日も船は行く
サーサ今日も船は行く

昭和四十一(1966)年、千葉勝友が作詞作曲。生き生きとした曲調で中間に追分を入れている。一網千両のヤン(網)衆たちが春を待ちかねて出漁していくさま、見送る家族の心情、海の男の生き甲斐が描かれ、追分を挿入することで北海道民謡らしい雰囲気を出している。
鰊漁の盛んだった頃、二月の下旬からヤン衆が続々と集まってくる。海は鰊で黒く染まり、三月から五月の海岸は鰊で沸き返った。往時の盛んな様子は残された鰊御殿や銭函という駅名から偲ぶことができる。

○三代目津軽家すわ子
 TECY-18013(90)三味線/浅草喜久弥、尺八/池田宮竜、太鼓/立花美樹。野卑な感じの曲。三代目は本名千葉ケイ子。昭和十二(1937)年、南津軽郡藤崎町出身。

「北海船方節」(北海道)

♪北海育ちの 船方さんはヨー
(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ)
荒い波風 いとやせぬヨー
(ア ドッコイショ ドッコイショ ドッコイショ)

昭和三十九(1964)年、青森県出身の民謡歌手・佐藤善郎が「塩釜甚句」をベースに作詞作曲した新民謡。くせのない親しみ易い曲になっている。

◎佐藤善郎
 VDR-25153(88)編曲/八洲秀章。尺八/千葉淡景、三味線/豊藤、静子。管弦楽伴奏。佐藤善郎は青森県三戸郡(さんのへぐん)館村(たてむら)(八戸市)出身。本名義男。昭和三十三(1958)年、民間放送三十一社主催の「お国自慢のど自慢全国大会」の決勝で「道中馬方節」を唄い優勝。唄だけでなく天竜市の「天竜ころがし」、磐田市の「粟餅つき音頭」などを作詞作曲する才能の持ち主だ。

「北海盆唄」(北海道)

♪ハァ北海名物(ハァ ドシタドシタ)
数々コリャあれどヨ(ハ ソレカラドシタ)
おらがナ おらが北海道のコリャ(ア ヤーレット)
それさナー 盆踊りヨ
(ハ エンヤーコーラヤ ハァ ドッコイ ドッコイ ドッコイナット)

戦後大流行し、北海道の代表的盆踊り唄になった。小樽市高島町へ集団で移ってきた新潟県人が越後の盆踊り唄を持ち込み、それが変化したものといわれる。北海道の炭坑で唄われていた「常磐炭坑節」が変化した「北海炭坑節」が原調のようである。
昭和二十七(1952)八年頃、今井篁山がレコードに吹き込んでから広まり始め、節回しも次第に改良された。昭和三十年代の初め、山口俊郎(1901-1981)の編曲で三橋美智也(1930-1996)が唄うと、三橋の人気とあいまって全国的な人気を呼ぶ。山口俊郎とのコンビで三橋が唄った数々の民謡は、新鮮な息吹きにあふれ、新しい時代感覚で大衆に大きくアピールした。

○三橋美智也
 KICH-2416(06)高橋掬太郎作詞、編曲/山口俊郎。三味線/豊吉、豊静、囃子言葉/キング民謡合唱団。盆唄の楽しさがあふれている。トップスターに上り詰める途上にある気鋭歌手の気迫と心意気が感じられる。三味線豊吉・豊靜姉さんの息の合った元気な三味線が聴けるのも嬉しい。三味線豊吉は、棹を短くするなどのさまざまな工夫を凝らし、三味線とオーケストラが共演しやすくすることを目指した。
 △K30X-216(87)三味線/藤本e丈、藤本秀也、尺八/米谷e水、笛/米谷威和男、鳴り物/山田三鶴、西泰維、囃子言葉/飯田優子、西田和枝。年齢を感じさせ、無理をして唄っている感じがある。笛の伴奏は曲に弱々しい感じを与えるから不要だろう。

 三橋美智也は北海道函館市近郊の上磯町(北斗市)出身。十二歳の時、全道民謡コンクールで「江差追分」を唄って優勝。「江差追分」「博多節」「米山甚句」「たんと節」「津軽おはら節」をレコードに吹き込んでいる。戦争末期から約五年間、北海道、東北で民謡巡業を続け喉を鍛えた。津軽三味線の師は白川軍八郎(1909-1962)。母方の叔父に、追分の前唄を作った名手・三浦為七郎(1884-1950)がいて、三橋が三浦の二代目を襲名している。津軽三味線の白川軍八郎は、青森県北津軽郡の金木町出身。幼い頃に失明。九歳で秋元仁太郎(仁太坊)に弟子入り。風、雪、雨などの擬音を巧みに取り入れた長泥手(太田長作)の奏法に加え、繊細な装飾音を多用して、梅田豊月(1885-1952)の梅田手をも取り込んで、十五歳で軍八郎手を編み出す。木(き)田林(だりん)松栄(しょうえ)(1911-1979)、福士(ふくし)政(まさ)勝(かつ)(1914-1969)、高橋(たかはし)竹山(ちくざん)(1910-1998)、三橋美智也、山田(やまだ)千里(ちさと)(1931-2004)などに津軽三味線の真髄を伝えた。

△伊藤多喜雄
 VPCC-80501(97)横笛/米谷智、津軽三味線/山中信人他。
△華村純子
 30CF-1751(87)三味線/本條秀太郎、本條秀若、笛/米谷威和男、太鼓/美鵬成る駒、鉦/美鵬駒理江、囃子言葉/新津美恵子、新津英子。

「北海やんれさ節」(北海道)

♪(ヤンレサ ヤンレサ ヤンレサホイ ヤンレサヤンレサ ヤンレサホイホイ)
大波小波 荒波しぶき 船は向かうぞ 大漁場へ
(ヤンレサ ヤンレサ ヤンレサホイ ヤンレサヤンレサ ヤンレサホイホイ)
やんれさ唄って 船は行く

“ヤンレサ”は漁師の掛け声。島野富夫作詞、原賢一作曲の新民謡。昭和五十二(1977)年頃に作られた。

高橋かおる
 TECY-18014(90)品格に欠ける曲調と、軽薄な歌唱はいただけない。三味線/菅野孝山、尺八/中村実、太鼓/伊藤一雄、鉦/児玉笑子、囃子言葉/鈴木タチ、下野さえ。テイチク民謡合唱団、テイチク女性コーラス。

「北海よされ踊り」(北海道)

♪(エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ ヨシテコイ ヨシテコイ)
ハァひとつ唄いましょ 北海よされ (コラサッサ)
わたしゃ音頭とるからは (ホイ ジャンジャン)
嫁もせがれも 皆おいで (コラサッサ)
夜明け烏の 渡るまで ヨサレソラヨーイ

○松前ピリカ
 TECY-18014(90)素朴で味のある歌唱。手拍手のお囃子と太鼓がよい。三味線/福士政勝、他囃子連中。北海道日高市に生まれた松前ピリカは、その半生を旅芸人として送る。原田栄次郎と結婚後は生涯の良き伴侶として共に興行を組み、旅回りで名声を博した。
ピリカとはアイヌ娘のこと。「よい、美しい、きれい、可愛い」との意味がある。

「北海よされ節」(北海道)

♪ハァそよぐ夜風に さそいの太鼓 (コイサッサ)
いつか知らずに 櫓下
心も踊る盆唄に 昼の疲れもどこへやら
よされソラヨイ
(ハァ エンヤーコラヤット コイドッコイ ドッコイ ドッコイナット)

道南、渡島半島あたりで唄われる盆踊り唄。今井篁山(いまいこうざん)が曲節を整えた。よされ節は津軽や南部にもあり、いずれも同系統のものである。もとは天保の頃(1830-1843)に流行した出羽の国の庄内節と呼ばれる唄。

○佐々木基晴
 APCJ-5030(94)お囃子方は一括記載。
 CRCM-1OO06(98)三味線/藤田淳一、笛/田原賢声、太鼓/名和津加子、鉦/尾崎則子、囃子言葉/増田節子、渡辺れい子、三上愛子。
○松本津和子
 COCF-9301(91)素朴で野趣がある。笛/松本晁章、太鼓/難波二郎、鉦/瀬川実、囃子言葉/小笠原貞子、佐々木登紀恵、川原加代子。

「北海艪漕ぎ唄」(北海道)

♪(オースコー エーエ オースコーエー)
エンヤーサー(オースコー エーエ オースコーエンヤー)
沖でかもめが 鳴くその時は
浜は大漁の 花が咲く
(オースコー エーエ オースコーエー)
エンヤーサー(オースコー エーエ オースコーエンヤー)

積丹半島から江差、松前、函館にいたる道南の西海岸一帯で、鰊漁に生きるヤン衆たちが唄っていた。俗に“オースコ”と呼ばれる。
幕末から明治初期、富山方面から渡ってきた人たちは、郷土の唄を北海道に伝えたが、それが変化して櫓漕ぎ唄となった。元来、掛け声を中心にしたものだったが、昭和四十三(1968)年頃、佐々木基晴が今日の形にまとめ上げて世に出す。北前船が港に入るとき、伝馬船に船長を乗せて先に上陸させる。そのときに唄われる艪漕ぎ唄に似ている。

○鎌田英一
 CRCM-4OO41(95)若々しい漁師の声。三味線/本條秀太郎、本條秀明、笛/米谷智、尺八/米谷成之、鳴り物/美波駒三郎社中、囃子言葉/鎌田会。
△佐々木基晴
 CF-3452(89)「道南櫓漕ぎ唄」三味線/田原健次郎、木村正男、尺八/浅水舟月、囃子言葉/石田盛一、松倉武次郎、市戸修。声が細く、美声過ぎる嫌いがある。労働唄だからもっと野太い荒々しい唄い方が望まれる。

「ホーホラホイ節」(北海道)

♪ホーホラホーイ ホーホラホーホイ
今朝も出船が 船足止める ホーハイ ホーハイ ホーホイ
沖では櫓櫂がナ まだ手につかぬ
波に揺られてナ 帆かけて走るナ
ホーホラホーイ ホーホラホーホイ ホーホラホーホイ

北海道の「船漕ぎ流し唄」と青森県の「ホーハイ節」を合揉(ごうじゅう)したような唄。
昭和四十(1965)年代、釧路市大楽毛(おおたのしけ)の中村敏衛が唄う船漕ぎ唄に促され、田葉節郎、山本多助、川上忠雄、佐々木孝らの努力で唄ができあがる。

○川上篁吟
 COCF-10982(93)三味線/佐々木孝、加藤孝晴、尺八/松本晁章、田中憧章、太鼓/瀬川実厳、囃子言葉/松村直実、吉田翔鳳。しみじみとした雅趣と味のある歌唱。
△千葉勝友
 TECY-18014(90)三味線/浅草喜久弥、クラリネット/大野五郎、太鼓/立花美樹。声に強さと味があり、唄もうまいが伴奏楽器にクラリネットの使用はいかがなものか。サーカスやチンドン屋が使う楽器というイメージが強く民謡には似合わない。

「松前祝い唄」(北海道)

♪城下二万石 松前様は 枝も栄えて 葉も繁る
ヨーイヨーイヨーイ 葉も繁る

面白味に欠ける曲節。佐々木基晴が詞を作り編曲した。松前藩の城下町・松前には、その昔、市の南側の山に大きな松があった。それを目印にして船が往来したことから、町を松前と呼ぶようになったという。

◎佐々木基晴
 KICX-8418(97)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、鳴り物/瀬川実厳。

「松前追分」(北海道)

♪<前唄>
国を離れて 蝦夷地の島へ ヤンサノエー
幾夜寝覚めぬ 波枕
朝な夕なに 聞こゆるものはネー
友呼ぶ鴎か 波の音

<本唄>
鴎の啼く音に ふと目を覚まし
あれが蝦夷地の 浜かいな

江差追分とほとんど同じ曲調。

◎今井篁山
 TFC-1202(99)音源はSP盤。お囃子方不記載。
○佐々木基晴
 KICH-8202(96)三味線/千藤幸蔵、尺八/品野竹仙。
○加藤貴美恵
 COCF-13281(96)三味線/奥泉勇篁、尺八/田中憧章、林宝憧。野太くて野趣があるお婆さんの唄。ソイ掛けはあまりうまくない。

「松前謙良節」(北海道)

♪さてもハァ めでたい松前様は
割菱御紋は 綾錦
前に大漁の 海原や
岳の千軒 黄金湧く
城は栄えて 千代八千代
中は鶴亀 五葉の松
枝も栄えて 葉も繁る
ああ鶴々とハァ 明ける国

函館の佐々木基晴(1926-)が採譜。歌詞も作った。越後の松坂が変化したもので、松坂は新潟県新発田市生まれの検校(けんぎょう)・松波謙良が作ったとされる。越後の瞽女や座頭、船人たちが松坂を各地へ持ち回ったために、日本海側の各県で唄われている。秋田、青森、北海道の一部では検校が松坂を唄ったために検校節と呼ばれている。検校節がなまって「けんりょう節」になり、松波謙良の名と結び付いて謙良節となった。

◎佐々木基晴KICX-8411(97)
 美声すぎて、枯れた味が欲しいところだ。尺八/松本晁章。佐々木は北海道民謡を積極的に取り上げてレコード化している。
○松本知一
 KITX-8056(90)「北海謙良節」尺八/矢下勇。
 TFC-901(00)お囃子方不記載。松木知一が正しい。本名は松木登美雄。

「松前三下り」(北海道)

♪(ハ オセセノセッセ)
浪に砕ける 月影見やれ
(ハ オセセノセッセ)
あれも浮世の 仮姿(ハ オセセノセッセ)

鰊漁の根拠地江差の酒席の騒ぎ唄。長野県の追分宿で唄われていた追分節が江差に持ち込まれて変化した。本来の江差馬方三下りが詰まって江差三下りとなり、松前城下に移入されて松前三下りになった。昭和十(1935)年代に山本麗子がレコードに吹き込み、広く唄われるようになった。

○初代浜田喜一
 VZCG-129(97)独特の鼻にかかった声。迫力と味がある。尺八/渡辺輝憧、千葉淡景、三味線/浜田勢津子、大川佳子、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴助、囃子言葉/飯田優子、丸山政子。
 TFC-1208(99)伴奏者不記載。
○金谷さつき
 COCJ-30331(99)素朴な味がある。金谷は三橋美智也の母か。三味線/市川きよ女、市川節好、尺八/渡部輝憧、太鼓/大場清、囃子言葉/白瀬春子、荒木久美子。

「南茅部鱈つり口説」(北海道)

♪オイヤーアイエー
(ハァ ドッコイドッコイ)
オイヤー 唄え唄えと 唄せめられて
なんの調子で 唄出しましょうか
太鼓三味線 踊りを付けて
調子揃えば 唄出しましょか
(ハァ ドッコイドッコイ)

函館近くの南茅部(みなみかやべ)の唄。「道南口説」によく似ている。鱈を釣りながら唄う作業唄ではなく、鱈漁の合い間に口ずさんだもの。越後の瞽女唄が元唄。

○佐々木基晴
 KICH-8202(96)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、鳴り物/瀬川実厳。
△小野花子
 KICH-8204(96)三味線/澤田勝秋、澤田勝仁、尺八/米谷威和男、米谷和修、鳴り物/美鵬駒三朗、美鵬那る駒、囃子言葉/西田和枝、西田紀子。

「紋別音頭」(北海道)

♪春は海明け大漁の歌が
ひびく港の繁昌ぶり(アソレ)
荷上げいっぱい海の幸
もんもん紋別 オホーツク
一緒に唄うも いいもんだ いいもんだ(ソレ)
一緒に踊るも いいもんだ

松田靖子作詞、石本美由紀補作詞、市川昭介作曲、佐伯亮編曲。

○都はるみ
 COCA-11779(94)管弦楽伴奏。

「雇い口説き」(北海道)

♪オイヤーサァエー
ハァひとつ唄いましょ はばかりながら
唄の文句は わしゃ数しらぬ
嘘で丸めた 雇いの口説き
ハァ一に正月 雇いを頼む
二に二、三月 無理無理追われ
三つ実のある 味噌汁知らぬ
四つ夜昼 寝せねで使う

苛酷なニシン漁に雇われた労働者の愚痴を数え唄風に綴っている。このように唄うことで眠気をさまし、仕事の辛さをまぎらわせ、憂さを晴らした。

○佐々木基晴
 KICH-8202(96)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、鳴り物/美波那る駒。

「やん衆音頭」(北海道)

♪ハァー波は荒いが 度胸でやれば
何のこれしき ヤン衆育ちだよ
ヤサエー エンヤーサーノ ドッコイショ
(ハァ ドッコイショ ドッコイショ)

宮本かずや作詞、原賢一作曲の新民謡。昭和四十五(1970)年、佐々木基晴の唄で紹介された。ヤン衆のヤンはアイヌ語で本州を意味する。ヤウンの衆は二月下旬から五月下旬までのほぼ三ヶ月、東北や北陸からやってきた。

◎佐々木基晴
 KICH8401(00)三味線/佐々木孝、尺八/松本晁章、鳴り物/美波奈る駒、美波那る駒、囃子言葉/新津美恵子、新津幸子。

「よされおどり」⇒「北海よされおどり」

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