2022年03月04日

富山県の民謡

「網起し木遣り唄」(富山)
♪ヨーセー(ヨオーセー)エンヤホラショ(ヨオーセー)
ヨーント(ヨーント)……
ヤレハドッコイ(ヨウキタ)ヤーシドコィ(ヨウキタ)……
ヤーンサノ(ドーッコイ)
ホーラーエー(コラサ)北風そよそよヤーレー
(ヤッサカエーヨイヤナアドッコイ)
北風そよそよ朝日を受けて 今日も積んだか 海の幸を
ヨーイートーナー(コラサ)ドーレモ(アララカドッコイショ)
ヨーイトコ(ヨーイトコ)ホーラーエー(コラサ)
ヨイヤサー(ヨイヤサー)ヨイヤサー(ヨイヤサー)……
陸で綱を曳く作業で唄われた唄が、海の作業でも使われた。木遣りは神社造営の神木や、土木建材を運搬することをいう。作業の途中で唄われるのが木遣り唄である。
音頭取りの合図の掛け声で、一斉に力を合わせて綱を曳く。作業には常に危険が伴うものだ。音頭取りは掛け声だけでなく、仕事の安全を祈る言葉などを唄の間に入れた。木遣り唄が祝いの宴席で唄われるようになると、祝儀唄としての性格が強くなっていく。
§○鎌田英一CRCM-4OO05(90)囃子言葉/鎌田会、鳴り物/美波駒三郎社中。民謡の楽しさを力強く体現して、うまく唄っている。
「越中おわら節」(富山)
<素唄>
♪春風吹こうが あなたの恋風 身についてならない
(唄われよわしゃ囃す)
あなた百まで わしゃ九十九まで
(キタサノサー ドッコイサーノサ)
ともに白髪の オワラ生えるまで
(唄われよわしゃ囃す)
浮いたか瓢箪(ひょうたん) 軽そうにゃ流れる
行く先きゃ知らねど あの身になりたや
<字余り>
♪(唄われよわしゃ囃す)
三越路の中の 越路で見せたいものは
黒部 立山 蜃気楼 蛍烏賊(ほたるいか)
(キタサノサー ドッコイサーノサ)
余所(よそ)で聴けないものは
越中八尾(やつお) 本場のオワラ節のあや
<五文字冠り>
♪(唄われよわしゃ囃す)
雁金の翼欲しいや 海山越えて
(キタサノサー ドッコイサーノサ)
わたしゃ逢いたい オワラ人がある
唄の四句目に“おわら”と入るところから名がある。日本民謡を代表する屈指の名曲だ。三味線、太鼓、胡弓のお囃子で高調子に唄われ、幻想的で優美な踊りが付いている。海育ちで、日本海を北上して各地の港に置き土産されたハイヤ節が、神通川を上り、八尾へ入ったものが盆踊り唄に変化したものだという。
文句の字数によって、素唄(平唄)、字余り、五文字冠(かぶ)りがあり、唄い出しの長さによって三拍子、五拍子、七拍子がある。字余りは七七七五からはみ出し、個性豊かな唄い方がされる。五文字冠りは第一句が五文字で始まるものだ。
おわら節は、上の句、下の句を一息で唄いきる。この唱法は、大正時代、大阪で浄瑠璃修行をした八尾の東町生まれの江尻豊治(1890-1958)が完成させた。大正から昭和にかけて、おわら節は江尻の七拍子で統一される。江尻の唄は、言葉の意味を大切にした説得力のある唄いぶりで、微妙な節回しと息つぎは、浄瑠璃の下地があってこそできたものだった。これとは別に、やや切れ切れに唄う天満町おわらも残っている。
お囃子に胡弓を取り入れたのは輪島出身の漆職人・松本勘玄である。好きが高じて旅芸人の一座に加わり、全国を回るうち、唄物、語り物を習得。縁あって八尾で所帯を持った。明治も末の頃、越後瞽女の佐藤千代が弾く胡弓を聴く。おわらの唄や三味線に胡弓を合わせようとして研究を重ね、現在の形にまとめあげた。
踊りに旧踊りと新踊りがあり、旧踊りは男女共通だ。新踊りは男踊りと女踊りがある。観光客向けのおわら講習会や、県内の学校の運動会などで踊られているのは旧踊りで、新踊りは主に舞台演技用である。“おわら風の盆”は、初秋の風が立つ二百十日から三日間。風祭りの性格を持ち、収穫祈願の祭りであり、祖先を大切にする盂蘭盆の祭でもある。今では全国的に人気を呼び、毎年、踊りが見えないほどの観光客が八尾の町に押し寄せる。
<素唄(平唄)>
§◎桐谷正治、成瀬高志、村杉和彦、森井順一VDR-25217(89)「正調」三味線/吉川春之、古川克己、胡弓/橘賢美、太鼓/林茂、囃子言葉/坂田定信。◎桐谷正治、杉村和彦、北田重吉COCJ-32319(03)「正調」「出演用」三味線/飯島善次、吉川春之、胡弓/長谷川清二、太鼓/城岸徹、囃子/伯育男。◎竹氏修K30X-220(87)三味線/木内すみ子、胡弓/島津繁夫、太鼓/森敏行、囃子言葉/原裕貞。FGS-606(98)CRCM-
10024(98)三味線/水白勉、尺八/太田文次、胡弓/島津繁夫、太鼓/森敏行、囃子言葉/竹氏進。APCJ-5038(94)◎中村晴悦COCJ-30338(99)三味線/山岸紘子、加藤勝治、胡弓/江川稔、太鼓/駒井長吉、囃子言葉/地元囃子連中。TFC-1207(99)三味線/中村紘子、胡弓/得田茂、尺八/渡辺輝憧、太鼓/山崎鎌一、囃子言葉/松本和男。なおCOCJ-32373(03)には「名人たちのおもかげ」として、橋爪儀平、江尻豊治、福島佐久一、伯育男の唄が収録されている。
<字余り>
§◎桐谷正治、杉村和彦、北田重吉COCJ-32373(03)三味線/飯島善次、古川克己、胡弓/長谷川清二、太鼓/林茂、囃子/伯育男。
<五文字冠り>
§◎桐谷正治、成瀬高志、村杉和彦、森井順一VDR-25217(89)三味線/大西明、森山正春、胡弓/長谷川情二、太鼓/長井良夫、囃子言葉/上水秋徳。
<古謡>
§◎桐谷正治、杉村和彦、北田重吉COCJ-32373(03)三味線/大西明、古川克己、胡弓/長谷川清二、太鼓/林茂、囃子/伯育男。
<豊年踊り>
§◎桐谷正治、成瀬高志、村杉和彦、森井順一VDR-25217(89)三味線/大西明、古川克己、胡弓/山田誠、太鼓/林茂、囃子言葉/坂田定信。
「お小夜節」(富山)
♪名を付きょうなら お小夜につきゃれ
お小夜器量よし 声も良し 声も良し 声も良し
(ヨイトコショー ヨイトコショー)
延享二(1745)年、加賀前田藩六代藩主・吉徳の寵愛を一身に受けた大槻伝蔵(1703-1748)は、加賀騒動で失脚して五箇山に流され、寛延元(1748)年に自害する。能登輪島出身の美人遊女お小夜も、加賀騒動にかかわった罪で東砺波郡上平村に流された。このお小夜を題材にして生まれた唄。もとは神楽舞い、まいまい唄である。
富山県の南西部、岐阜県境の庄川流域にある五箇山集落は加賀藩の流刑地であった。流されてきたお小夜は美人で、しかも芸達者であった。村人たちに唄や踊り、三味線、太鼓を教えるうち、お小夜に言い寄る男も少なくなく、やがて村の若者の子を身ごもる。流刑人の恋は許されず、村人に迷惑がかかることを悩んだお小夜は庄川に身を投げた。村人たちは、五箇山の民謡を盛んにした恩人の供養のために“お小夜塚”を建てた。墓は猪谷に通ずる道の傍にある。お小夜と若者の出逢いの場は民謡の里と呼ばれ、毎年八月、お小夜祭りが行われている。
§◎中谷賢治、竹中光一VDR-25203(89)笛/山本幸夫、胡弓/桜井猛、三味線/酒井救尽、太鼓/桜井康裕、四つ竹/酒井與四。○中谷賢治、竹中光一、原田豊治VZCP
-1067(01)お囃子方不記載。
「神楽(かぐら)踊(おど)り」(富山)
♪伊勢の太夫様ナ 春日に御座候はへ
春は日も佳しナ 嗚呼(ああ)嗚呼 春は日も佳しナ
その日も長し候はへ
神楽は、神座(かむくら)が語源とされる。神座に神を迎えるために場を清め、降臨した神をもてなし、さらに神が現れたことを表すさまざまな歌舞音曲が神楽と呼ばれる。宗教的儀礼よりも、神楽の持つ豊かな芸能性が一般大衆に喜ばれ、受け入れられた。
神楽にまつわる歌舞音曲は全国に広く流布している。中世期には、修験者(山伏)などの放浪宗教者が、釜で熱湯を沸かす“湯立て”、榊(さかき)や御幣(ごへい)、剣や杖など神の依(よ)り代(しろ)を持って舞う“採物舞い”、神懸かりによる“神勧請”などを村々に伝えた。神楽の構成や演じ方は、伝承された土地の風土や歴史によって手が加わり変容したが、基本的には似通った要素をもっている。そうした神楽は、現在でも民俗芸能として各地に伝承され、中世期の面影を伝えるものも多い。
§◎高桑敬親、沼口長松VDR-25203(89)横笛/村上忠松、村上喜由、太鼓/坂本豊吉、鍬鐘/山崎宗儀、ささら/山崎和美。○沼口長松、坂本義明VZCP-1067(01)「神楽舞」お囃子方不記載。
「五箇山(ごかやま)追分(おいわけ)」(富山)
♪ハァー 五斗俵(びょう)かついでもイナー
道若杉はイナー
(ハ オッソコソコソコ)
男伊達なら 二俵かつぐイナー
(ハ オッソコソコソコ)
牛方たちが、いろんな物資を背につけた牛を追いながら、牛の足並みや牛につけた鈴の音に合わせて唄う。
五箇山は富山県東砺波郡(ひがしとなみぐん)の平(たいら)、上平(かみたいら)、利賀(とが)の三村にわたる庄川流域の山深い地域である。赤(あか)尾谷(おだに)、上梨(かみなし)谷(だに)、下梨(しもなし)谷(だに)、小谷(おたん)、利賀(とが)谷(だに)の五つの谷に分かれ、明治維新まで加賀藩の流刑地であった。平地との交流には、一`もある唐木峠、朴(ほおのき)峠(とうげ)を通らなければならず、そこが越中平野との追分(おいわけ)であり、ほかの谷間へ向う別れ道であった。
牛方は、城端町(じょうはなまち)(南砺(なんと)市(し))まで五箇山の塩硝(えんしょう)や生糸を運び、帰りは日用品や米を牛に背負わせて往復していた。村人は町に出た牛方が戻ってくるのを今か今かと待ち望み、鈴音と唄が聞こえると、こぞって出迎えた。
§◎江下悌治、原田豊治VZCP-1067(01)お囃子方不記載。○江村貞一VDR-2520
3(89)三味線/浜田千鶴子、大沼和雄、尺八/福田次郎、太鼓/山口茂鼓、山口鼓花、胡弓/筑波貢裕、囃子言葉/江村省次、江村宏、江村康夫。
「こきりこ(筑子)節」(富山)
♪(ハーレノサンサモ デデレコデン)
筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のかなかいじゃ
(窓のサンサモ デデレコデン ハーレノサンサモ デデレコデン)
向いの山に鳴く鵯(ひよどり)は 鳴いては下がり鳴いては上がり
(窓のサンサモ デデレコデン ハーレノサンサモ デデレコデン)
富山湾に注ぐ庄川を上っていくと、岐阜との県境近くに東砺波郡平村上梨(南砺市)がある。そこの白(はく)山宮(さんぐう)祭礼で唄い踊られてきた。しかし、次第に忘れ去られて、時の流れの中に埋もれてしまっていた。
昭和九(1934)年、高桑敬親が平村の老女・山崎しいが覚えていた唄を覚えて復活させる。唄はかなり古いもので、中世の田楽(でんがく)の流れをくむ唄のようである。こきりこは、室町時代に放下僧が唄い踊った風流芸・小切子と関係があるようだ。
永年、屋根裏でくすぶらせた竹を七寸五分に切り、両手に一本ずつ持ち、巧みに回転させながら打ち合わす。びんざさら、こきりこ、笛、太鼓のほかに、鍬(くわ)金(がね)を叩く伴奏が珍しい。烏帽子(えぼし)、水干(すいかん)姿で優雅に舞う女性の神楽舞いに続いて、こきりこを持ち、鉢巻き姿の女性が踊る。狩姿でびんざさらを鳴らしながら、勇壮軽快に踊る男踊りも印象的である。
“かなかい”は邪魔の意。囃子言葉の“さんさ”の意味は不明。びんざら板は、煩悩の数と同じ百八枚で編んであり、打ち鳴らして煩悩を払い除けるためのものだ。「こきりこ節」「越中おわら節」「麦屋節」は富山県の三大民謡。
1999年、成世昌平が唄った「はぐれコキリコ」(もず唱平作詞、聖川湧作曲)が大ヒットする。
§◎高桑敬親、沼田長松VICG-2066(91)横笛/村上忠松、村上喜由、太鼓/坂本豊吉、鍬鐘/山崎宗儀、ささら/山崎和美。ゆったりと舞いを舞うように唄う。◎沼口長松、坂本義明VZCP-1067(01)唄/。お囃子方不記載。○北本希一、勇崎博TFC-
1204(99)野趣。笛/笹田正文、笹井寿夫、太鼓/和田安三、鉦/沢田正信、ささら/古木桂夫、囃子言葉/山田龍證。野趣。○竹氏修APCJ-5038(94)声質があまり変わらぬ囃子言葉との掛け合いもよし。
「古代神」(富山)
♪おらちゃサァエーヨ
背戸に山椒(さんしょ)の木がござる
そのマ山椒の木に 蜂が巣をかけた
蜂も蜂じゃよ 足長蜂じゃ
羽根が四枚あって 足が六本ござる
そのマ蜂めに 尻に剣もござる
わしとお駒が ごはいの縁で
身上話をしておりました
そこへ蜂めが ぱっと来ちゃちくり刺す
つーと来ちゃ ちくり刺す
わしもその時ゃ 死ぬかやと思うたサエー
五箇山地方は「古代神」の宝庫である。唄は越後十日町の“広大寺くずし”が母体であり、古代神は広大寺の当て字だ。古大臣、皇大臣、広大寺などの文字があてられる。「新保広大寺」は、越後の瞽女(ごぜ)たちによって全国各地に広められた。
庄川は木流しの川狩人足が大勢集まるところである。瞽女たちは人足目当てに庄川をのぼってきた。瞽女たちの唄が五箇山に残され、古代神となった。峠一つ越えた岐阜県白川郷にも残されている。踊りは「麦屋節」と同様で、紋付袴に白(しろ)襷(だすき)、白(しろ)足袋(たび)姿で一尺五寸の杣(そま)刀(かたな)を差し、持った笠を回転させたり、上下に動かしたりして踊る。
§○中村松右衛門VDR-25203(89)三味線/滝本藤三郎、胡弓/中村藤平、尺八/中川義昌、四つ竹/九里喜久治、太鼓/高田庄平。VZCP-1067(01)お囃子方不記載。○竹氏修APCJ-5038(94)土臭さがよい。他の追随を許さない発声と節とリズムだ。お囃子方は一括記載。○勇崎博、北本希一COCF-9310(91)素朴で、よそ者には真似が出来ない味がある。三味線/沢田正信、沼崎稔、胡弓/古本佳夫、太鼓/山田竜証、四つ竹/笛田正文。
「サンサイ踊り」(富山)
♪(サーイ サンサイ ヨンサイノ ヨイヨナー)
小さい子供に 花笠着せて
着せて眺めりゃ 愛らしや
(サーイ サンサイ ヨンサイノ ヨイヨナー)
姉か妹か 髷(まげ)みりゃ分かる
妹銀杏(いちょう)で 姉島田
(サーイ サンサイ ヨンサイノ ヨイヨナー)
賑やかなわらべ唄風の盆踊り唄。富山市梅沢町にある円隆寺境内を中心にして、繰り広げられる盆踊り。毎年七月十四、十五日の祇園会の宵、女の子の健やかな成長を願って行われる。女児だけの盆踊りは全国でも珍しい。唄の文句に人名や地名が唄い込まれている。
唄は寛永十六(1639)年頃、初代富山藩主・前田利次(1617-1674)が富山城に入ったことから始まったとされる。
囃子言葉は天正九(1581)年、富山城主となった佐々(さっさ)成(なり)政(まさ)(1516-1588)を揶揄(やゆ)して“もう佐々成政の世ではない”という意味が込められ、前田家の治世を称えている。曲節は素朴で優しい。
§○サンサイ踊保存会VDR-25203(89)三味線/西野隆三、胡弓/山崎一郎、太鼓/深谷金次郎。めらし(娘)わらべ(童)の唄。
「しばんば(柴姥)節」(富山)
♪(イヤーホ)
イヤエーわたしゃ生地(いくじ)の(ヨーイヨーイト)荒磯(イヤーホ)育ち
(アドッコイドッコイ)
女波(めなみ)(イヤーホ)男波(おなみ)に(イヤーホ)群れて(アドッコイドッコイ)
群れて咲くイヤー
黒部市生地(いくじ)町(まち)の盆踊り唄。ここでは昔、製塩が行われていた。燃料用の柴を刈りに行った老女たちが、柴刈り唄として唄っていたという。“柴(しば)姥(んば)”は“柴刈りの姥(うば)”のことだ。
柴刈り唄は、新川木綿の糸つむぎ唄や、糸ひき唄としても唄われていたが、明治以後は盆踊り唄になった。淡々とした地味な唄ではあるが、穏やかで、そこはかとなく哀調を帯び、踊りは優美に踊られる。
§◎竹氏修APCJ-5038(94)お囃子方は一括記載。独特の甲高い声に渋さがあり、土地の匂いが漂う。COCF-13288(96)三味線/島津繁夫、水白勉、尺八/大田文次、太鼓/森敏行、囃子言葉/藤枝俊光。○高瀬しのぶVDR-25203(89)三味線/長谷川秀夫、尺八/平田繁、囃子言葉/若田広作、幅口澄子。
「新布施(ふせ)谷(たん)節(ぶし)」(富山)
♪泣くな嘆くな 門出の朝に
泣けば駒さえ ままならなぬスイースイ
藤井凡大作詞作曲の新民謡。旧下新川郡にある布施谷は、布施川によってできた平野と段丘である。ここには優雅な「布施谷節」がある。藤井凡大(1931-1994)は、邦楽の手法を生かした新しい感覚で、上品な新民謡を作り上げた。藤井は現代邦楽の作曲分野で大きな足跡を残していて、主な作品に「東洋の楽器による交響詩『西遊記』」「筝と十七弦による三重奏曲」がある。
§○小野田実COCJ-307OO(99)お囃子方不記載。管弦楽伴奏。味のある美声で自然体の歌唱。
「せり込み蝶六」(富山)
♪ハァ ハイヤーエ ハイヤーエ ハーヨーイヤナー(ヨーイヨーイ)
ハイヤー ハイヤは越中魚津の せり込み踊りよ
花の咲く町 これわいどうじゃ(ハァソーリャヨイ)
ハイナーハイヤエ お前さんかよ 何用でござるわ
越中魚津の せり込み踊りよ
はやいて踊れよ これわいどうじゃ(ハァソーリャヨイ)
ハイヤそのせいよし これわいどうとこへんな
(ハリャハイトサヨイヤコノシュ)
おらがさヨーイヤイ これから これわい何事(ハァドシタイ)
何よとさてたずねりゃ(ハァドシタイ)
越中魚津のせり込みやれて(ハァドシタイ)
ここに同業のお茶飲む話(ハァドシタイ)
聞けば誠に御縁となりて(ハァドシタイ)
二十日と八日お日柄なれば(ハァドシタイ)
今日はゆるりとお茶飲むまいか(ハァドシタイ)
あまり渡世のせわしきままに(ハァドシタイ)
売るの買うので日夜を明かし(ハァドシタイ)
済むの済まぬと子孫の事に(ハァドシタイ)
腹も立てたり笑いもしたり(ハァドシタイ)
罪業ばかりでは月日を暮らし(ハァドシタイ)
イサテコレカラ コレサナニゴト ハイトサァハハヨーイ
(ハァ ジャントコイ ジャントコイ)
ハァリャせいじは こりわいどうとこへんな
(ハリャハイトサア ヨイヤサノセ)
……イサテコレカラ コレサナニゴト ハイトサァハハヨーイ
(ハァ ジャントコイ ジャントコイ)
<千秋楽>
ハイめでためでたの アノ若松さまヨ
枝も栄える葉も茂る
(ソリャ輪島の習いじゃ イヤサカサッサ)
魚津市内の盆踊り唄。七月上旬から十月にかけて行われる。長編の口説きが早い調子で唄われる。
せり込みはとは早口のこと。蝶六は、ひょうきんさを意味する“ちょろける”“ちょうける”からきている。両手に扇を持つ踊りが、ひらひらと舞う極楽蝶の姿みたいだから蝶六の名がある。“せり込み”と“蝶六”を一つにして命名したのは町田佳聲(かしょう)であった。浄土真宗の盛んな土地柄だけに、もっともよく唄われる二十八日口説きは、親鸞の命日である十一月二十八日にちなんだものである。保存会が昭和二十一(1946)年に結成されている。
昭和三十一(1956)年九月の魚津市の大火で、衣装や踊りの道具など、ほとんどを焼失してしまったが、翌三十二年の秋に復活した。
§◎宮坂彦成VDR-25203(89)三味線/野崎昭雄、中島政行、胡弓/清水清治、太鼓/出島洋、囃子言葉/広田宗雄。COCF-9310(91)声に濁りがあるが、名調子の口説き。賑やかでリズミカルな佳曲。三味線/佐竹俊夫、布施宗晴、清水清治、胡弓/森久一郎、太鼓/熊本義夫、鉦/古川忠孝、囃子言葉/黒田工。
「といちんさ」(富山)
♪樋のナ サイチン機織る音に
(トイチン トイチン トイチンサ
ヤーサレーチ トーチレーチ トイチンサ トイチンサ)
拍子ナ 揃えてササ唄い出す
(ヤレカケハヤセヨトイチンサ
トイチンレーチ ヤーサレーチ トイチンサ トイチンサ)
といちんさは“樋(とい)のサイチン”が訛(なま)ったもの。五箇山では、毎年冬から春にかけ、里にやって来るみそさざいをサイチンと呼ぶ。樋や筧(かけい)を素早く伝わって、虫を食べるサイチンの動作は、土地の人たちに好まれ、さえずりは春の到来を感じさせた。敏捷な動きに見とれた母親は、娘もあの小鳥のように甲斐甲斐しく働くことを願う。そんな母親の心が、軽快なリズムと魅力ある旋律で表現されている。小鳥が舞うような振りの踊りもあり、もとの唄はわらべ唄のようである。
§○中谷賢治VDR-25203(89)笛/山本幸夫、胡弓/桜井猛、三味線/酒井救尽、太鼓/桜井康裕、四つ竹/酒井與四、囃子言葉/竹中光一。COCF-9310(91)唄/中谷賢治、三味線/酒井久進、胡弓/桜井猛、笛/山本幸夫、太鼓/山本文吉、四つ竹/酒井与四、囃子言葉/竹中光一。○江下悌治VZCP-1067(01)お囃子方不記載。○幅口澄子COC
F-13288(96)三味線/中村紘子、長谷川俊夫、尺八/渡辺輝憧、平田繁、太鼓/山崎一郎、囃子言葉/高瀬しのぶ、加戸桂子。
「新川(にいかわ)古代神」(富山)
<前唄>
♪ハイめでたサァハイヤー ハァめでたサァハイヤー
コリャドウジャイナ ハハ(ヤッタリトッタリ)
ヤッタリトッタリ 新川古代神でヨイカノカンヤ
(ヤーササハーラ ヨイカノカンヤ)
ハァこのや踊りのあの説ですが 今から数えて三百年前に
寺の坊さんで古代神という人が 盆の十三日
ドウジャイナ ハハ(ヤッタリトッタリ)
お寺のお墓前 先生方や(サイアリャサイドッコイセー)
ハァ蝋燭つけたる提灯片手 火をつけたる松明持ちて
それを振り振り唄うたいながら 死んだ仏を
ドウジャイナ ハハ(ヤッタリトッタリ)
お迎えします 先生方や(サイアリャサイドッコイセー)
ハァそして出来たがこの踊りです
そして今なお あの伝えられ 踊り唄われ
ドウジャイナ ハハ(ヤッタリトッタリ)
あのおりまする先生方や(サイアリャサイドッコイセー)
サーテキリリトショイ(サーテキリリトショイ)
ハイヤデマセーカイナコレワイトウトコヘンナハー
(アリャハイトセヨイヤコノセ)
<本唄>
♪サアーテこれからコレワイ何マァーダーモサァハハイヨー
事よ家の東にお寺さんがござる
一に早起き 二に鐘つきよ 三にさらりと戸障子を閉めて
四に静かに学問なさる 五に後生の道大事になさる
アリャソノセカイナコレワイトウトコヘンナハァ
(アリャハイトセヨイヤコノセ)
マァーダーモサァハハイヨーサアーテこれからコレワイ何事よ
六にろくない事ないようになさる 七に七重も書くようになさる
八に八重巻読むようになさる 九には苦な事ないようになさる
十で所にお寺を建てたサアサハハイヨー
(ジャントコイジャントコイ)
今でも古代神じゃヨイカノカンヤ(ヤーササーアサヨイカノカンヤ)
<後唄>
♪ハァ上手で長けりゃ こりゃ良いけれど
下手で長けりゃ皆様方の お気に障るじゃどうじゃいなハハ
(ヤッタリトッタリ)
どなた様じゃ声継ぎ願いますヨイカノカンヤ
(ヤーササーアサヨイカノカンヤ)
新潟県と接する下新川(しもにいかわ)郡一帯で、盆踊り唄として唄い踊られてきた。五箇山の古代神と区別するために新川を冠する。寛永年間、お盆の十三日の暮れに、古大神という坊主が両手に提灯と松明を持って振りながら、この唄を唄って霊を迎えたという。その伝承が唄の文句になっている。
実際は「新保広大寺節」が瞽女(ごぜ)などの遊芸人によって全国各地に広められ、広大寺がなまって“こだいじん”となり、いつしか“古代神”の文字があてられたものだ。踊りの振りは願人坊主の踊りが基本で、早い動きのある踊りである。魚津のせり込み蝶六は、この唄から生まれた。お囃子は三味線、胡弓、太鼓。本唄から太鼓が入る。
§○野末文博COCF-9310(91)渋くて調子よし。いい味をだしている。囃子言葉も名調子で唄を支える。三味線/升方昭吉、早田敏雄、胡弓/水口功夫、太鼓/谷一男。○片原正治VICG-2066(91)胡弓/稲谷成章、三味線/早川敏雄、谷一男、太鼓/石川喜代志。調子、味、渋さ、申し分なし。
「早麦屋」(富山)
♪小谷(おたん)高草(たかそう)嶺(れい) アイナ平のイナ前で
およき呼び出す イナ鳥が鳴くイナ
(小谷峠の七曲がり 昼寝しょんならよいとこじゃ
猪豆食ってホオイノホーイ)
麦屋節系統の唄に比べるとテンポが速く、曲節から受ける感じは「古代神」に近い。佐賀県で一番大きな島である馬(ま)渡島(だらじま)で、祝儀の宴で唄われていた漁師唄が日本海を北上。輪島、七尾、新湊、岩瀬、魚津といった港に上陸して“輪島まだら”“七尾まだら”と姿を変え、五箇山(南砺(なんと)市(し))に伝えられてこの唄になった。
§○中川與志一VDR-25203(89)三味線/滝本藤三郎、胡弓/中村藤平、尺八/中川義昌、四つ竹/九里喜久治、太鼓/高田庄平。VZCP-1067(01)お囃子方不記載。COCF-9310(91)三味線/滝本藤三郎、胡弓/山田耕作、太鼓/九里喜久治、尺八/中川義昌、四つ竹/中村松右衛門、囃子言葉/辻四郎。
「福光ちょんがれ(新保踊り)」(富山)
♪(アーショコショイ ショコショイ)
新保ナーエー 極楽(アースッチョコ スッチョコ)
新山地獄で ズンベラボン(ズンベラボン ズンベラボン)
中の名所は 砂子坂なー
(アーショコショイ ショコショイ)
念佛聖くずれの願人(がんにん)坊主(ぼうず)が、鉦をたたきながら諸国を唄い歩いたときの音曲である。チョンガレは“ちょろける”“ちょうける”が変化した言葉で、悪ふざけ、瓢軽の意味だ。チョボクレチョボクレ、チョンガレチョンガレの囃子言葉が入る。
チョンガレは浪花節の前身とされ、早口で軽快で冗談を交じえ、人を笑わせる説教祭文が変化したものである。ときに浄瑠璃の一部を口説きにしたものが語られたり、節だけがチョンガレのものもあった。新潟県では浪花節語りのことをチョンガレと呼んでいる。近畿地方の各地で盆踊りに唄われる「江州音頭」にも取り入れられている。
福光町(南砺市)は富山県と石川県の間にあり、白山に連なる医王山を背にし、町の真ん中を小矢部川が流れる風光明媚なところだ。棟方(むなかた)志(し)功(こう)が戦前から戦後にかけて六年間、疎開していた。
§○加賀山昭VICG-5166(91)三味線/加賀山昭宝、加賀山昭宏、笛/平林火山、太鼓/一川明、鉦/美鵬駒三朗、囃子言葉/新津美恵子、加賀山昭子。
「福光(ふくみつ)めでた」(富山)
♪めでためでたの 若松さまよ
枝も栄える 葉も茂る
飲めや大黒唄えや 恵比寿
間の酌どり 福の神
§○澤瀉秋子VZCG-616(06)三味線/藤本博久、藤本秀統、尺八/米谷智、太鼓/鼓/美鵬那る駒、鉦/チャッパ/美鵬成る駒。
「布施(ふせ)谷(たん)節」(富山)
♪いつかハネヤー春風(アーハーレナー)
里より吹けばエヨー
山のハネヤー虚無僧(こむそう)(アーハーレナー)
腰上げてヨー めでーた めでーたの布施谷節を
吹けば田植えが近くなる
ハーレナー ハーエヤー ハーエーヨ
黒部市と魚津市の境を流れる布施川の、谷あいの村に伝わる追分調の雅趣ある唄。
今から三百年前、輪島の漆職人が漆を採るために布施谷に入り、作業中に唄っていた唄は“輪島”と呼ばれていた。その唄は寛文年間、新川木綿が地場産業として盛んになるにつれ、糸つむぎの作業唄として唄い継がれた。明治になって紡績機械が普及したため、仕事も唄も廃ってしまう。昭和の初め、安政三(1856)年生まれの畠山与元次郎がわずかにこの唄を伝えていた。富山民謡の名手・山根浅吉がその唄を覚え、今に残した。踊りは姉さんかぶりの女性による、静かなたたずまいを持った優美なもの。
§○竹氏修COCF-9310(91)尺八/大田文次、囃子言葉/森敏行。胡弓なし。味わいに欠ける。APCJ-5038(94)胡弓入り。雅趣。舟子より穏やかさあり。お囃子方は一括記載。○舟子幸松VDR-25203(89)尺八/平田繁、囃子言葉/若田広作。富山民謡向きの高音で、味と雅趣がある。COCF-13288(96)尺八/渡辺輝憧、平田繁、囃子言葉/高瀬しのぶ、幅口澄子。味あり。○高瀬しのぶGES-31316(98)尺八/平田繁、囃子言葉/幅口澄子。唄のうまい素朴なおばさん風。一生懸命に唄ってるところに好感が持てる。
「帆柱起し音頭」(富山)
♪ソリャエー 親方さんのヤーレン
ソリャヤートコセー ヨーイヤナー
親方さんの 金(かね)釣る竿じゃ ヨーイトナー
(ソラーンアラエーノ アリャアリャドッコイショ
ヨーイトコ ヨーイトーコナー)
木遣り唄。高岡市の伏木は、日本海に開けた港町として古い歴史を持っている。北前船が北海道通いをしていた頃、大坂と北海道を往復する千石船は秋になると伏木港に帰り、帆柱を倒して莚(むしろ)をかけ、雨や霜を避けて翌年の春まで冬越しをした。春になると吉日を選び柱を起こす。ロクロの綱を曳いて柱を起こすとき、鉦や太鼓で賑やかに囃し、美声でいなせな音頭取りが唄う。
§○高橋巌APCJ-5038(94)おやじ声で、味、渋さがある。さらりと自然体。ちょっと素人っぽく漁師の雰囲気を出している。お囃子方は一括記載。○中村晴悦COCF-13288(96)三味線/山岸紘子、加藤勝治、尺八/高橋祐次郎、広瀬胡憧、太鼓/駒井長吉、囃子言葉/前田祐幸、江川稔、長岡勤。○初代浜田喜一VICG-2066(91)鼻にかかって頭のてっぺんから抜けるような独特の味ある浜田節。尺八/渡辺輝憧、米谷e水、三味線/大川佳子、阿蘇北蓉、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴香、囃子言葉/浜田社中。
「麦屋(むぎや)節(ぶし)」(富山)
♪麦や菜種はイナ 二年でイナ刈るにイナ
麻が刈らりょかイナ 半ナ土用にイナ
輪島出てからイナ 今年でイナ四年イナ
元の輪島にイナ 帰りイナたい(ジャーントコイジャーントコイ)
能登半島の輪島は素麺(そうめん)の産地である。輪島で唄われていた素麺作りの粉挽き唄が五箇山に持ち込まれた。初めは“輪島”と呼んでいたが、明治四十二(1909)年、皇太子だった大正天皇に上覧するために、村長や小学校の校長などが集まって相談。歌詞や曲を統一した。その折り、唄い出しの文句から「麦屋節」と命名された。三味線、胡弓、四つ竹、太鼓のお囃子に、男は黒羽(くろは)二重(ぶたえ)の紋付き袴で白たすき、白鉢巻きで菅笠を持ち、笠を巧みに使って早い動きで踊る。着物に赤たすきの女踊りも菅笠を持つ。
“輪島”は岐阜の白川や飛騨地方にも伝わり、石川県鳳(ほう)珠(す)郡(ぐん)門前町(もんぜんまち)(輪島市)には「能登麦屋節」として残る。東礪波郡(ひがしとなみぐん)城端町(じょうはなまち)の「麦屋節」は、大正の末、平村の唄に刺激され、町内の民謡愛好家が始めたものだ。元になる唄は、九州佐賀県の馬(ま)渡島(だらじま)で祝儀の宴で唄われていた漁師唄である。それが日本海を北上し、石川県能登半島に移入されて“輪島まだら”“七尾まだら”となり、それが五箇山に伝えられた。
五箇山には、源平の戦いに敗れた平家の落人伝説が残っている。落人伝説は全国各地に残されているが、平家一門が倶利迦(くりか)羅(ら)の合戦を始め、源氏との戦に敗れてたどりついたのが越中五箇山であった。五箇山の平村、上平村の平は平家に由来するといわれ、唄の文句にも波の屋島とか、烏帽子(えぼし)狩(かり)衣(ぎぬ)などが出てくる。落人が華やかなりし往時を偲んで唄ったという言い伝えもある。
§◎中村松右衛門(越中五箇山麦屋節保存会)VDR-25203(89)三味線/滝本藤三郎、胡弓/山田耕筰、尺八/中川義昌、四つ竹/九里喜久治、太鼓/高田庄平。VZCP-1067
(01)お囃子方不記載。◎久里喜久治、中村松右衛門COCF-12697(95)○中村晴悦OODG-70/3(86)こういう声で唄ってほしい。三味線/山岸紘晴、大浦紘喜、胡弓/駒井長吉。TFC-1207(99)三味線/山岸紘子、胡弓/桐谷吉松、太鼓/山崎鎌一。COCJ-30
338(99)三味線/山岸紘子、加藤勝治、太鼓/駒井長吉、胡弓/井川稔、四つ竹/長谷川秀夫、囃子言葉/地元連中。○竹氏修APCJ-5038(94)文句入り。土地の匂いがいっぱい。
「弥栄(やがえ)節」(富山)
♪(エンヤーシャ ヤッシャイ)
越中高岡 鋳物(いもの)の名所(ヤガエ)
火鉢、鍋、釜、手取釜エ(ヤガエ)
(エンヤーシャ ヤッシャイ)
火鉢、鍋、釜、手取釜エ
(エンヤーシャ ヤッシャイ)
鋳物の町・高岡の、たたら踏み職人たちは、この唄を勇ましく唄いながらたたらを踏んだ。楽しい雰囲気の曲調と楽しい曲想を持っている。
たたら踏み職人は、天秤だたらに二人一組で向かい合って乗り、綱にぶらさがりながら、交互にたたらを踏んで炉に風を送った。
高岡の鋳物師は、後醍醐天皇の頃に河内から越中に入り、礪波(となみ)地方に定住して鋳物業を興した。慶長十六(1611)年、七人衆といわれた鋳物師たちが高岡市金屋町に移って仕事を盛んにした。その時、拝領した天皇の朱印状は今に伝えられている。江戸時代から唄い継がれた“たたら唄”は消えたが、昭和に入って、高岡名物の観光を兼ねた盆踊り唄として復元。囃子言葉から“やがえふ”とも呼ばれる。
§○岩黒豊治VDR-25203(89)三味線/林清作、木谷政一、笛/串田清二、太鼓/山内徹郎、鉦/牧野きよ子、きぬた/遠藤正成、囃子言葉/長谷川勇。穏やかな歌唱。ステージ歌手には出せない味わいを持つ。○牧野きよ子COCF9310(91)三味線/木谷政一、林清作、尺八/串田清二、太鼓/岩黒豊治、きぬた/遠藤正成、囃子言葉/角田勇、山内敏郎。お婆さん風の声に味と渋さがある。囃子言葉も野趣に富む。
「夜(よ)高節(たかぶし)」(富山)
♪富山名物 福野の夜高ヨ
競う万燈の ササ灯が燃える
ササドッコイサノサ(ヨイヤサー ヨイヤサー)
富山県東砺波郡(ひがしとなみぐん)福野町(ふくのまち)(南砺(なんと)市(し))に伝わる祭礼唄。山車(だし)、傘鉾などをつくり、夜(よ)高行燈(たかあんどん)と呼ばれる大屋台をかついで町内を練り歩く。
およそ三百年前、町は伊勢から御分霊を氏神として迎えることになった。御分霊が倶(く)利(り)伽羅(から)峠(とうげ)あたりまできた時、日が暮れる。町民は行燈に灯をつけて迎えたという。この故事に則って、毎年行われる大祭には、行燈を持って参詣するようになった。
§○大塚美春VDR-25203(89)尺八/渡辺輝憧、三味線/高橋祐次郎、大場清、太鼓/山田鶴助、鉦/山田鶴三、囃子言葉/西田和枝、阿部栄子。
「四つ竹節」(富山)
♪越中五箇山 蚕(かいこ)の本場
娘やりたや あの桑摘みに
宝豊かな 麦やがお里
東砺波郡(ひがしとなみぐん)平(たいら)村下(むらした)梨(なし)の踊り唄。「鳥心中」という長い口説(くど)き風の音頭が唄い継がれていた。昭和三十(1955)年頃、平村の学校に転勤してきた一教師が歌詞を作り、鳥心中の曲節で唄ってみるとうまく合った。それ以来、四つ竹節として唄われてきた。四つ竹は、偏平の二枚の竹片を重ねて両手に持ち打ち鳴らす。
§◎中村松右衛門VZCP-1067(01)お囃子方不記載。○竹氏修APCJ-5038(94)野趣があり、渋い味わいは申し分なし。お囃子方は一括記載。
posted by 暁洲舎 at 07:06| Comment(0) | 中部の民謡
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