♪(ソラ ヨーホーイ ヨーホーイ ヨーイヤセー)
エー 一合蒔いた籾(もみ)の種(ヨイ)その枡(ます)有り高は(ドッコイセ)
一石一斗(いっこくいっと) 一升(いっしょう)一合(いちごう)と一勺(いっしゃく)
(ソラ ヨーホーイ ヨーホーイ ヨーイヤセー)
讃岐(さぬき)高松(たかまつ)芸どころ どの町通ってもツンチツンツツン
ねんごけに踊って おいでまいよ
ほんどり踊って おいでまあせ
昭和三十九(1964)年にスタートして、毎年八月に行われる「高松まつり」のテーマソングだ。ふつう「一合蒔いた」といえば、この「さぬき踊り」をさす。元唄は、高松藩内で唄われていた豊年予祝踊りの唄である。
佐賀県の豊作祈願の三(さん)助(すけ)踊(おど)りや、山口県大嶺(おおみね)町(ちょう)の種蒔き唄によく似ている。昭和十(1935)年、高松市商工会議所の委嘱を受けて、郷土の詩人・河西(かわにし)新太郎(しんたろう)(1912-1990)が歌詞を新作。やがて仕事唄が座敷唄に変わっていった。昭和二十八(1953)年に、高松華陽会の芸妓・春江がレコードに吹き込んでいる。
丸亀市飯山町(はんざんちょう)の盆踊りでは、一合蒔いた、嶋(島)踊り、三つ拍子、岡(岡田)踊り、シカシカ踊りが用いられ、一合蒔いたには駆け足で踊る“せんだくおどり”“しゃらしゃんおどり”のほか“網打ち”と呼ばれる手ぬぐい一本を投網に見立てて踊る男踊りがある。囃子言葉は、籾を食べにくる雀を追う掛け声からきている。
§○鹿島久美子VDR-25153(88)小沢直与志編曲。静子、豊寿の三味線とオーケストラの伴奏に乗って元気いっぱい唄っている。
「金毘羅(こんぴら)街道(かいどう)馬子唄」(香川)
♪いざや讃(さん)州(しゅう) 金毘羅(こんぴら)へ行くも 弥生の旅の空
(アーエサッサエーサッサイ)
それ坂本を 見渡せば 姿も揃おた 菅の笠ジャエ
笠の締め紐がヤレサノ(アードシタ)殿ならよかろよ(ハイーハイ)
締みよが だるめよがヤレサノ(アードーシタ)我がままだよ
(トコドソーレソレ 親方酒手はドオージャイドオージャイ)
香川県中西部、仲多度郡(なかたどぐん)琴平町(ことひらちょう)にある金刀比羅宮(ことひらぐう)参詣の往来に唄われた。馬の背に木枠を乗せ、そこに金毘羅参りの客を三、四人乗せて運んだ馬子の唄。客に聴かせるための浄瑠璃(じょうるり)まがいの唄で、他県の馬子唄とは趣(おもむ)きが異なる。琴平(ことひら)街道は金刀比羅宮に通ずる道の総称。主なものは多度津(たどつ)、丸亀(まるがめ)、高松、伊予(いよ)の川之江、阿波池田からの街道があり“讃岐の道は金毘羅に通ずる”といわれた。
象(ぞう)頭山(ずさん)金毘羅(こんぴら)大権現(だいごんげん)と称する金刀比羅宮は、琴平山(521m)の中腹にあり、年間四百万人もの参詣客がある。琴平駅前から本宮まで785段の急な石段が続き、奥社までを数えると1368段の石段が、象頭山の山腹を縫(ぬ)うように続いている。
§○田淵政一KICH-2023(91)囃子言葉/日下晴美。
「金比羅(こんぴら)舟々(ふねふね)」(香川)
♪金比羅舟々 追風(おいて)に帆掛けてシュラシュシュシュ
回れば四国は 讃州(さんしゅう)那珂(なか)の郷(ごうり)象頭山 金比羅大権現
(一度回れば)
幕末から明治初年にかけて全国で大流行した。金刀比羅宮がある琴平町を中心に唄われた拳遊びのお座敷唄。金比羅参りの人々によって道中唄化されたものだ。
金刀比羅宮は“讃岐(さぬき)のこんぴらさん”と呼ばれ、古くから海運従事者から“海の神様”として親しまれている。延宝五(1677)年、小西可春が編纂した「玉(たま)藻集(もしゅう)」には、この山に鎮座(ちんざ)して既に三千年に近づくとあり、その由緒を誇っている。中古、本地(ほんじ)垂迹説(すいじゃくせつ)の影響を受けて金毘羅大権現と改称。永万元(1165)年、崇徳(すとく)天皇を合祀した。その後、明治元(1868)年、神仏(しんぶつ)混淆(こんこう)が廃止されて元の神社に返り、同年七月に金刀比羅宮と改称、現在に至っている。琴平山は瀬戸内海の海水が深く湾入し、潮が常に山麓を洗う湾の奥にある。
§○中村和代COCF-13289(96)久保井信夫作詞。粋さがないが野趣はある。もともとわらべ歌的だが、卑俗さもある唄だから、年配の女性が唄うほうが似合っている。三味線/片岡弘子、小笹二三子、太鼓/林直江、鉦/秋山都喜子、囃子言葉/花岡美智子。△ビクター少年民謡会VICG-2037(91)三味線/静子、豊藤、鼓/望月長三久。
「安田踊り」(香川)
♪(ハヨイーヨイー)
安田星ケ城は 夜風のままに(ハヨイーヨイー)
エーお才 可愛いの恋物語
アヨーイヤサー(ホーレイホーレイ ヤーヤートセー)
秋の芒に わしゃ招かれて(ハヨイーヨイー)
幼心の それ一筋に
アヨーイヤサー ヨーイヤサー(ホーレイホーレイ ヤーヤートセー)
[替わってしょう扇の手 千代の初めのひと踊り まずは松坂越えたい
踊りはアリャアリャサアサヨーイヤサー]
揃うた揃うたヨ 安田の踊り 見手も囃子も踊り子も
(イヤー ヨイヨイヨイーヨイーヨーイヤサー)
お盆が近づくと、あちらこちらから三味線や太鼓の音が響いてくる。各地区で空地(あきち)や校庭に櫓(やぐら)が組まれ、提灯(ちょうちん)がともされて盆踊りの稽古が始まる。日本の夏の風物詩だ。瀬戸内海に浮かぶ小豆(しょうど)島(しま)の小豆郡(しょうずぐん)内海町(うちのみちょう)安田(小豆島町安田)に伝わる「安田おどり」は、戦没者の追悼と新仏の供養のための盆踊りで、毎年八月十四日に行われる。
江戸時代の元禄(1688〜1703)の頃、大阪から移り住んだ歌舞伎役者・嵐璃(あらしり)当(とう)(1830-1874)が、京都で流行した踊りをこの地に伝え、入(い)り・手踊り・中歌・扇の手・出、という形に整えられた。手踊りと扇の手は男踊りと女踊りにわかれ、三味線と太鼓のお囃子で輪になって踊る。男は白いはっぴに黒い帯を締め、鉢巻をして団扇(うちわ)を持つ。女は浴衣に市松模様の文庫帯を締めて扇を持つ。優雅で格調高い踊りだ。昭和四十八(1973)年、香川県無形民俗文化財に指定された。
内海町は小豆島の東部に位置し、壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場がある。かつては瀬戸内海における海上交通の要衝であった。
§○高田新司APCJ-5044(94)優雅な唄と踊りを髣髴させる演唱。お囃子方不記載。
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