2022年04月01日

福島県の民謡

「会津大津絵」(福島)

♪頃は戊辰(ぼしん)の仲の秋 二十三日の朝まだき

戸の口原の戦いに やむなく引き上げ滝沢の

飯盛山によじ登り 刀を杖に見下ろせば

炎の中に鶴ケ城 早これまでと十九人

潔く血潮に染みし もみじ葉の

赤き心を偲ぶれば 袖に露散る白虎隊

「松坂」「会津めでた」と共に祝いの席で正座して唄われる。「大津絵」は滋賀県の宿場・大津の遊廓で、遊び客相手の女たちがお座敷唄として唄っていた。旅人や遊芸人たちが全国各地に広め、江戸時代末期には、はやり唄として全国で唄われた。会津人の剛直さと真面目さは、この唄を三味線唄から謡(うたい)のような唄に仕上げた。会津白虎隊の壮烈な姿を朗々と唄う。

白虎隊は慶応四(1868)年の戊辰戦争の際、十六、七の少年たちで編成された切り込み隊だ。戸の口原の戦いで西軍の大軍に押し戻され、滝沢峠を通って飯盛山に上ると、はるか鶴ヶ城には黒煙が立ち上っていた。遂に落城したと思い込んだ十九人の隊士たちは、もはやこれまでと切腹。あるいは互いに差し違えて全員が義に殉じた。

§○歌川重雄VZCG-133(97)尺八/米谷威和男、遠藤七郎、掛声/遠藤幸一。少しテンポが早い。掛声が随所に入る。COCJ-30337(99)尺八/米谷威和男。KICH-2464

(05)尺八/米谷威和男。○遠藤幸一COCF-9307(91)ちょっと線が細いが雅趣がある。尺八/渡辺輝憧、郷内霊風、囃子言葉/歌川重雄。APCJ-5036(94)味がある爺さんの声。△小池岩夫CRCM-1OO20(98)三味線/田村正夫、掛声/横山吟風。田舎のお爺さんの雰囲気で、泥臭さを残す歌唱がよい。

「会津土搗(どつ)き唄」(福島)

♪アラヤーエー めでためでたの この土搗きは

ハァー鶴の音頭で アァ亀が搗くヨーヤーレ

ヨーイサヨイ ヤラサノエーンヤレコノセ

ヤーノセーヤ コレワサエーヤーレ

(ハァヨイショ)

高い櫓(ろ)を組み、櫓の中央上部に滑車を付け、太い丸柱やおもりを吊り上げては落とし、吊り上げては落として地面を搗き固めた。木遣り系統の唄。胴搗きの字をあてることもある。大黒柱のところから搗き始め、乾(いぬい)(北西)の隅で終わるのが作法とされている。

“会津”の地名は、崇神(すじん)天皇の時代、諸国鎮撫(ちんぶ)平定(へいてい)のために北陸、東海、西海、丹波の四方面に四人の将軍が派遣された。各地を平定した四将軍が、この地で出会ったことから起こったと伝えられている。

§○吾妻栄二郎CRCM-4OO06(90)三味線/吾妻栄幹、吾妻栄継、尺八/森下房春、太鼓/美波那る駒、鉦/美波駒千枝、囃子言葉/西田和枝、西田とみ枝。調子よく、仕事唄の雰囲気で唄っている。

「会津長持唄」(福島)

♪ハァー今日はナー 日も良いヨー (ハーヤレヤレ)

ハァー天気も良いし

結びナー 合わせてヨー (ハーヤレヤレ)

ハァー縁となるダヨー (ハーヤレーヤレ)

会津一円で唄われている婚礼唄。花嫁道具を入れた箪笥(たんす)、長持を婿(むこ)方までの中間地点まで運ぶ。婿方も五人あるいは七人で出迎え、受け渡しを行う。この儀式は厳格に行われた。両方の長持担ぎの頭、宰領(さいりょう)が挨拶してから式に入る。式は上中下の三段階あって、ふつうは略式の下で行われる。長持唄で花嫁道具を婿方へ渡し、嫁方も長持唄で受け取る。無事に唄い納めると、花婿方で用意した酒と重箱で宴を開き、嫁方に扇一対と祝儀を渡し、婿方は長持唄を唄いながら帰っていく。

§○歌川重雄COCF-9307(91)抜けるような声ではないが、野良臭い趣(おもむき)があり、節よし味よし渋さよし。尺八/遠藤七郎、掛声/遠藤幸一。

「会津(あいづ)磐梯山(ばんだいさん)」(福島)

♪(ハァヨイショ)

エイヤー会津磐梯山は 宝の山よ 笹に小金が エーマタ成り下がる

(チョイサーチョイサー)

エイヤー東山から 日にちの便り 行かざなるまい エーマタ顔見せに

(チョイサーチョイサー)

(小原庄助さん 何で身上つぶした 朝寝朝酒 朝湯が大好きで

それで身上つぶした ハァもっともだもっともだ)

磐梯(いわはし)とは、天まで届く岩のはしごの意。磐梯山は猪苗代(いなわしろ)湖(こ)の北に位置する成層火山(標高1819b)で、明治二十一(1888)年の水蒸気爆発により小磐梯山の山頂を含む北側が崩壊して現在の山容となった。

明治初年のころ、越後の五ヶ浜(新潟県西蒲原郡巻町)から来た油絞りの若い衆が、市内七日町の阿弥陀寺の境内で越後の五ヶ浜甚句を唄い踊った。それが会津に広まり、盆踊り唄、会津甚句などと呼ばれたが、一時“かんしょ踊り(気違い踊り)”と呼ばれたほど熱狂的に唄い踊られた。

昭和九(1934)年頃、小唄勝太郎(1904-1974)が“小原庄助さん、なんで身上つぶした”の囃子言葉で唄うと全国に広まった。当初、地元の節回しとは異なる勝太郎節にクレームが付いたが、土地の宣伝効果が大きく、黙認された。

小原庄助のモデルとなったのは、長野県上伊那郡高遠町河南の小原出身の武士である。寛永二十(1643)年、高遠(たかとお)藩主・保科正之(ほしなまさゆき)(1611-1672)が会津に入府したとき、侍従(じじゅう)して会津に住んだ。会津藩郷頭の職にあり、明治元年の会津戦争のさなか、材木町の激戦で戦死する。

櫓(ろ)を組んで行う会津の盆踊りは江戸時代中頃から盛んに行われ、盆唄りの文句は玄如(げんじょ)節(ぶし)から転用されている。八月十三〜十八日に行われる東山温泉の盆踊りは、川の真ん中に三層の櫓を立て、二つの橋を使って櫓を取り囲み、一重二重と輪を作って踊るスケールの大きな盆踊り。

§◎歌川重雄C0CJ-31889(02)高音で味と渋さのある声。雅趣もあり、力んで肩肘張った発声をせず爽快感がある。三味線/藤本秀花、藤本秀久、笛/米谷威和男、太鼓/美波三駒、鉦/美波駒世、囃子言葉/佐藤松重、網師本律子。○地元歌手BY30-5017(85)歌川重雄か。元気のよいご婦人達のお囃子にも野趣がある。○菅原津志緒CRCM-1OO19(98)FGS-603(98)三味線/生江忠男、渡部欣宏、石井典夫、太鼓/横山吟風、小池岩夫、笛/田村正男、鉦/鈴木利光、掛声/鎌田美恵子。賑やかなお囃子で唄う田舎のおばさんの雰囲気。△小野田実28CF-2874(88)独特の味のある声で、穏やかにさらりと唄っている。三味線/本條秀太郎、本條秀、笛/佐藤華山、太鼓/美波那る駒、チャンチキ/美波祐三郎、囃子言葉/白瀬社中。△小唄勝太郎VDR-25152(88)長田幹彦補作詞、編曲/山田栄一。日本ビクター管弦楽団。三味線、鳴り物、合唱入り。音源はSP盤。山田栄一の編曲により、親しみやすく、味のある華やかな曲調が、勝太郎の歌唱とマッチしている。

「会津松坂」(福島)

♪朝咲いて 夜露にしおるる(アーオカ)朝顔さえも

離れまいとて からみつく(アーオカーオカ)

朝顔の 花によく似た(アーオカ)この杯よ

今日も咲け咲け 明日も咲け(アーオカーオカ)

会津一円、婚礼や祝い事の席で必ず唄われる。朝顔は花がしおれても、つるはしっかりと絡み付いている。人生行路、さまざまな苦労があるだろうが、夫婦仲良く手を取り合って乗り越えて行くようにというもの。新婚夫婦への激励の唄である。全国各地に同系統の松坂が数多く唄われているから、それと区別するために会津の二字を冠した。

“松坂”は新潟県新発田市(しばたし)生まれの検校(けんぎょう)・松波(まつなみ)謙(けん)良(りょう)が作ったという伝説がある。松坂の曲名は“松坂越えて”という唄い出しの文句をとったものだ。

§○歌川重雄COCJ-30337(99)おとなしい歌唱で少々弱いが雅趣がある。尺八/郷内霊風、囃子言葉/遠藤幸一。〇稲庭淳KICH2464(05)尺八/米谷威和男、掛け声/伊藤富美子。若さ溢れる元気いっぱいの演唱。

「会津万歳」(福島)

♪そもそもに祝い奉る ご家内安全 ご商売繁盛トヤヨ

祝いを奏したてまつる

(ウーンソコダヨ)

千代御万歳 トゥーオヤコレワヤー 明けてめでたい オヤ年新玉の

オヤ年取る始めの朝(あした)には (オヤ太夫殿 がんばれそこらが大事だ)

オヤコレワイ布袋が帆柱 オヤ押したてられて

オヤ福禄人が帆を上げる (オヤ会津の茶碗は 瀬戸物ばかりだ)

オヤコレワイ帆印なによと アレよく見てやれば

オヤ宝という字を染め抜きて(オヤ麦飯 とろろでかっこめかっこめ)

オヤコレワヤよろず宝を ヤレ積んだるが

オヤ誠にめでとうソーライける

誠にめでとうソーライけるとは とこ若には御万歳

トウホーホートハ

<才蔵>

よくもよくも これからだんだん旦那の身内の めでたい所を

御座敷の御客様に 囃子こんでな参ろうぞ

<二人>

オヤ京都にな上りて オヤ紫(し)辰(しん)殿(でん)なる御門がな

四方に開くときゃ キンキリリンのキリットナ

<太夫>

オヤキリリヤナアパラット御倉開いたが 合点かな才蔵……

二人連れの門付け芸・三河万歳の系統である。正月に新年の祝いを述べて歩く。きらびやかな衣装を身に着け、鼓(つづみ)の音に乗せたユーモラスな仕草と、会津弁の掛け合いで笑いをとった。鼓に合せて舞う姿は、昭和三十年代まで見ることができた。いまでは後継者不足で見られなくなってしまった。

§○猪俣武、猪俣富士男CRCM-1OO19(98)鼓/猪俣富士男。

「会津めでた」(福島)

♪(アー メデタイメデタイ)

めでためでたの この酒盛りは

鶴と亀とが舞い遊ぶ ショーガイナ

さんさ時雨か 萱野の雨か

音もせで来て 濡れかかる ショーガイナ

(アー メデタイメデタイ)

婚礼や祝いの席で必ず唄われる。かつては“さんさ時雨”と呼ばれ、近年になって「会津めでた」と呼ばれるようになった。祝いの席では、この唄の後に「会津松坂」を参加者全員で唱和する。宮城県の「さんさ時雨」よりスローテンポだが唄の文句は同じ。

§○歌川重雄COCF-9307(91)尺八/郷内霊風、囃子言葉/遠藤幸一。味のある美声。△猪俣武CRCM-1OO19(98)尺八/秋山新一郎、囃子言葉/菅原健志緒。渋い味。

「会津餅つき唄」(福島)

♪(アーヨイヨイヨイサ)

めでためでたの(ハァヨイサ)この餅搗きは(サーヨイヨイヨイサ)

鶴と亀とが(ハァヨイサ)ヤレ舞い遊ぶ(サーヨイヨイヨイサ)

「ハァ鍋を売ってもいい嬶(かか)求めろ(ソレ)いい嬶求めりゃ一生の宝だ」

餅は日本人の祝い事にはかかせない。正月や小正月などの祝い事があると、人々は餅を搗いて祝った。会津には婚礼のとき、花嫁と花婿が一緒に餅を搗く風習が残っている。粘りのある餅には、夫婦末永く助け合い離れることのないようにとの願いが込められる。農家では神仏や農具に餅を供え、豊作と家内安全を祈った。忙しい田植えが終わり、一息つく時の“さなぶり(早苗振る舞い)の餅”、刈り上げを終えたときの“刈り上げ餅”、秋の取り入れを終えた庭じまいなどでも餅を振る舞った。農家の人達は餅をつくことによってお互いの協調を図った。餅の語源は、腹持ちがよく、しかも便利に携帯できる意味の持(もち)飯(いい)からきている。

§○歌川重雄COCF-9307(91)三味線/山口利美、秋山和子、尺八/遠藤七郎、太鼓/坂内正樹、囃子言葉/石田清一、荒木和子、遠藤道子。力強さに乏しいが、味のある美声で伸びやかに唄う。

「安達さんしょ節」(福島)

♪ハァ峰の白雪 安達太良おろし 時雨降るかや さんしょ二本松

安達よいとこ ちょと来て見さんしょ

サンショ サンショ サンショナイ

ハァー木幡弁天様 七坂巡り

さんしょさんしょで さんしょ日が暮れる

安達よいとこ ちょと来て見さんしょ

サンショサン ショサンショナイ

§○吾妻栄二郎CRCM-4OO40(95)三味線/吾妻栄幹、吾妻栄継、尺八/米谷龍男、鈴木錦月、鳴り物/美波那る駒、美波奈る駒、囃子言葉/西田和枝、西田とみ枝。

「安達豊年踊り」(福島)

♪ハァ安達よいとこ ソーラエ

安達太良 西にナイト(コラショ)

ハァ東名所の ソーラエ

アレサ稚児舞台ナイト(チィサーチョイサー)

福島県は地形や気候風土などから、会津、中通り、浜通りの三地方に分けられる。会津地方は、北方から県央部に延長する奥羽山脈より西側の地域。中通り地方は、奥羽山脈の東面付近から阿武(あぶ)隈(くま)高地に達するまでの地域。浜通り地方は阿武隈高地以東、太平洋沿岸部までである。

詩人で彫刻家の高村光太郎(1883-1956)の妻・智恵子(1886-1938)の故郷で知られる安達郡(あだちぐん)は、中通りの福島市と郡山市の中間に位置し、安達太良や阿武隈の山並みに抱かれた地域だ。那須火山帯に属する安達(あだ)太良(たら)連峰(れんぽう)は、磐梯朝日国立公園の南端に位置し、南から和尚山、安達太良山、船明神山、鉄山(てつざん)、箕輪山(みのわやま)、鬼面山(きめんざん)と、南北に約9kmにわたって連なっている。主峰の安達太良山は標高1700mの休火山。別名「乳首山(ちくびやま)」。

§○吾妻栄二郎CRCM-4OO06(90)三味線/吾妻栄幹、吾妻栄輝、笛/黒子参峰、太鼓/美波駒三郎、〆太鼓/美波那る駒、鉦/美波祐三郎、囃子言葉/西田和枝、西田とみ枝。節回しは埼玉県の「秩父音頭」に似ている。

「飯坂小唄」(福島)

♪ハァ恋の陸奥(みちのく)ナ(サテサテサテ)

恋の陸奥 人目を信夫(しのぶ)(アリャヤットサノサ)

首尾も飯坂 湯の煙(サテ)

寄らんしょ 来らんしょ 廻らんしょ

(ササカサカサカ飯坂へ)

西條八十(1892-1970)作詞、中山晋平(1887-1952)作曲の新民謡。飯坂温泉旅館組合から委嘱された。昭和六(1931)年、西條と中山が飯坂温泉に出向いて創作。同年、藤本二三吉(1897-1976)の唄でレコード発売された。飯坂温泉の歴史は古く、景(けい)行(こう)天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折りに入湯したと伝えられ、当時は鯖(さば)湖(こ)の湯と呼ばれていた。西行や芭蕉も訪れている。

§◎藤本二三吉VDR-5172(87)三味線/小静、秀葉、鳴り物入り。昭和六(1931)年発売のSP盤から。管弦楽伴奏。○下谷二三子KICH-2013(91)三味線/藤本e丈、藤本秀輔、尺八/米谷智、鳴り物/山田三鶴、山田鶴子、囃子言葉/志村春美、小宮次子。円熟の歌唱で味のあるお座敷調。

「猪苗代音頭」(福島)

♪山は磐梯 男の姿 梅も桜も 恋をして

花は笑顔の 春化粧

猪苗代には どこ見て惚れた

山と湖 見て惚れた

モットモソウダネ ホントダネ

石本美由紀作詞、市川昭介作曲、佐伯亮編曲のご当地ソング。

§都はるみCACA-11779(94)。

「いわき沖揚舟唄」(福島)

♪船の新造と(アーナンダコラヨト)花嫁様はヨ(アーヤッサ)

アリャー誰もヨー 見たがるアレエーほしたがる

エーンヤァラーセー

(アーラーヨォーイ ヨオォーイ ヨイヤァーセーエー)

アリャーリャイ(アーコリャーリャイ)アアアヤントーセー

いわきの漁師たちの唄。作業唄というより祝い唄のようであり、格調高く唄われる。いわき市は浜通りの南部にあり、温暖な気候に恵まれている。太平洋岸60qに及ぶ海岸線に九つの港があり、古くから遠洋漁業を中心に発展してきた。

近年は国際的規制によって遠洋漁業から沿岸漁業に移行。年間水揚げ量はおよそ10万トンで、いわし類の3万9千トンを筆頭に、さんま3万2千トン、さば類8千3百トン、まぐろ類の5千トンが上位を占めている。

§○坂脇尚基COCF-6547(90)尺八/石井久、囃子言葉/山野辺正、黒田勝之。どこかのどかで雅趣があり、味と渋さは申し分なし。

「いわき浜甚句」(福島)

♪ハァー舟は一番だナ いわきの沖で

招く大漁の(アーヤッサイナ)アレサ船おろしヨー

(アー戸棚にどんぶり 胡瓜(きゅうり)もみ かつおのほやぶし たーんとたーんと

トコヤッサイ ヤッサナ)

いわき市小名(おな)浜(はま)の漁師たちの酒盛り唄。小名浜は千葉県銚子市東端の犬吠崎(いぬぼうさき)と、宮城県牡鹿郡(おしかぐん)の金華山のほぼ中間に位置する。近海、遠洋漁船の根拠地。近世は米や石炭の積み出し港として栄えた。

§○坂脇尚基COCJ-30337(99)伴奏者不記載。囃子言葉が面白く、曲想もよい。

「いわき盆唄」(福島)

♪イヤーいわき平でヤーレ(ハヨーイヨーイ)

見せたいものは(チョイナンダ チョイチョイチョイ)

イヤー桜つつじとヤーレ(ハヨーイヨーイ)

やれさ盆踊り(ウマイゾウマイゾ ソコイラガイチバンダヨ)

いわき市内の各所にある盆踊り唄はいずれもよく似た曲節を持ち、平(たいら)周辺のものを「いわき盆唄」と呼んでいる。いずれも、三句目と四句目の間に“アレサ”が入るものだ。

§○坂脇尚基COCF-13286(96)素朴で細くて高い声。囃子言葉はめんこい女の子が入れている。三味線/坂脇品子、相沢礼子、笛/樋田一美、沖田文彦、太鼓/川内常之進、鉦/細田善之助、囃子言葉/三浦千代子、渡辺美代子、西山京子。CRCM-1OO1

9(98)笛/樋口一美、沖田文彦、太鼓/石井平助、鉦/細田善之助、囃子言葉/佐藤洋子、小浜圭子、相沢礼子、三浦千代子、西山京子、渡辺美佐子。

「いわきめでた」(福島)

♪めでためでたの 若松様よ

枝もナーイ栄ゆる 葉も繁(ハー繁るヨ)繁るよナーエ

四海波 風静かな御代(みよ)に

鶴とナーイ亀とが舞いアー(ハー遊ぶヨ)遊ぶよナーエ

いわき地方に広く分布する祝い唄。婚礼に欠かせない唄で、謡曲と対にして唄われる。旋律は「南部駒曳き唄」の流れをくむ。駒曳き唄は、南部藩の御用博労たちが幕府に納める南部駒を曳く道中に唄った。

いわき市泉町周辺では、婚礼の三々九度の杯の間に、男性一同が謡曲の「高砂」「四海波」「納め」を唄うが、女性はそれより少し遅れて「めでた」を三節唱和し、最後は同時に終わるようにしている。

§○坂脇尚基CRCM-1OO20(98)三味線/坂脇品子、相沢礼子、佐藤洋子、尺八/杉内信雄、囃子言葉/小浜圭子。COCJ-30337(99)伴奏者不記載。○福井達夫TFC-907

(00)伴奏者不記載。謡曲入り。

「壁塗甚句」(福島)

♪ハァー相馬中村の 新開楼が焼けたナァ ナンダヨ

(ハァ イッチャ イッチャ イッチャナ)

焼けたその名に サイショ花が咲くナァ ナンダヨ

(ハァ イッチャ イッチャ イッチャナ)

酒席向きの陽気な唄。壁塗りの動作に似た踊りがつくために、別名を“壁ぬり甚句”という。こうした曲名は鳥取県の“壁ぬりさんこ節”にも見られる。客に背を向け、腰を扇情的に動かす踊りは、港の騒ぎ唄によく見られるものだ。相馬中村に、江戸時代末頃まであった新開楼を中心とした遊廓で、遊び客相手の女たちが唄っていた。相馬地方の港で唄われていた“二上り甚句”が農村部に入ったと考えられる。

§○杉本栄夫CRCM-10022(98)三味線/杉伴声、横山正雄、尺八/浜名与策、増山真一、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、森愛子。CRCM-10019(98)「元唄」三味線/小関敬義、尺八/遠藤幸守、太鼓/塚田行雄、鉦/木幡邦男、囃子言葉/杉岡八代、猪狩智子。△桃井可生APCJ-5036(94)味があり、楽しく唄っていて好感。お囃子方は一括記載。△鈴木三重子TFC-907(00)長津義司編曲。管弦楽伴奏。鈴木三重子(1931-1987)は初代鈴木正夫(1900-1961)の三女。1950年代に「愛ちゃんはお嫁に」「むすめ巡礼」などのヒットを飛ばし、第7回と第8回NHK紅白歌合戦に出場。第7回では、父親と親子同時出場を果たし、父の正夫は「常磐炭坑節」を唄い、三重子は「愛ちゃんはお嫁に」を歌った。

「神長(かんちょ)老(ろ)林(りん)節」(福島)

♪オーイおらが相馬の(ホー)

かんちょろりん節はヨ

男子(おの)らノーオサ カンチョロリン(ホー)

和子らのノーノサイ 唄始めヨ

トコイッサイノーオサ カンチョロリン(ホー)

トーテンチロリン チンチロリンノ シャーンシャン(ホーイホイ)

相馬郡鹿島(かしま)方面がこの唄の本場といわれる。相馬民謡のなかで最も古い唄とされているが、唄われ始めた時期は不明だ。鳶(とび)の冠(かんむり)を被った黒装束の少年少女が奇妙な呼び声をあげながら、飛ぶように踊る振りが付いていて、鳥の鳴き声から生まれた唄という説がある。節は少し異なるが、各地にカンチロリンと囃(はや)す江戸時代末頃の流行歌が残っているが、こうした流行唄が相馬地方に入って相馬風になったものか。

わらべ歌風で雅趣に富み、踊りは昭和十二(1937)三年頃、丸山のぶが振付けたといわれている。丸山は原町市を中心に民謡の普及に努めた教育者・岡(おか)和田(わだ)甫(はじめ)(1883-?)の長女。

§○杉本栄夫APCJ-5036(94)味よし、声よし、雅趣もあり。お囃子方は一括記載。CRCM-1OO19(98)唄いこんだ枯れた声。三味線/原田保夫、尺八/遠藤幸守、太鼓/塚田行雄、鉦/桃井可生、囃子言葉/杉岡八代、猪狩智子。○原田直之CF-3458(89)三味線/原田真木、斉藤徳雄、尺八/佃一生。癖のある原田節を随所に聴かせ、調子よく唄っている。○根本美紀KICH-2013(91)三味線/藤本直秀、藤本秀陽、笛/遠藤七郎、鳴り物/美波成る駒、美波駒千江、囃子言葉/西田和枝、矢吹紀子。可愛い子供が唄っているようだ。

「玄如節」(福島)

♪ハァ玄如見たさに 朝水汲めばヨー

(サアサァ ヨイヤショーエー)

姿隠しの霧が降るヨー

(アー霧が降るヨー)

姿隠しの霧が降るヨー

(サアサァ ヨイヤショーエー)

東山(ひがしやま)温泉にほど近い曹洞宗天(そうとうしゅうてん)寧寺(ねいじ)に、玄如(げんじよ)という若くて美しい僧がいた。毎朝、玄如が水汲みに下ってくる姿に、村の娘たちは思いを焦がす。そこから”玄如みたさに朝水汲めば”の文句が生まれたという。天寧寺は応永二十八(1421)年、葦名(あしな)盛(もり)信(のぶ)(?-1451)が建立した。

この種の唄は会津以外には見あたらず、発生と移入経路は不明である。一説には、飴売り“玄如”の自作の唄が評判になり、玄如はその後、江戸に行き、八百八町で玄如節を唄いながら飴売りをしたといわれている。これが江戸でまた大評判となり、玄如節を題材にした本がいくつも出版されている。寛政九(1797)年刊の黄表紙『玄(げん)猪(じょ)節(ぶし)』二巻は十遍舎(じゅっぺんしゃ)一九(いっく)の作だ。

もともとこの唄は、祭礼前夜のお籠(こも)りでの掛け唄から始まったらしく、この唄の文句は即興で作られるのが特徴で、節回しが難しいため、一時廃(すた)りかけた。会津民謡の名手山内(やまうち)磐(ばん)水(すい)の努力で再び唄われるようになった。

§◎初代山内磐水TFC-1210(99)音源がSP盤のため、ノイズがかなりある。山内(本名山内岩記)は明治三十三(1900)年十月、福島県大沼郡会津高田町に生まれた。仙台の後藤桃水と出会い、桃水に弟子入りの後、会津に埋もれた民謡を数多く世に出した。「玄如節」「大津絵」は山内の出世作とされる。昭和十一(1936)年に会津民謡会を結成。以後、盛んな活動を続けた。○猪俣武CRCM-1OO20(98)尺八/秋山新一郎、囃子言葉/大島威男、菅原津志緒。味があり、うまい。○遠藤幸一COCF-

13286(96)尺八/渡辺輝憧、郷内霊風、囃子言葉/歌川重雄、石田清一。枯れた声、枯れた味。APCJ-5036(94)お囃子方CD一括記載。

「信夫田植唄」(福島)

♪ヤーレ聞こえた

ヤーレ今日の田植えの 田の主さまは

大金持だとサーエ

(サガレーサガレー)

唄の文句、囃子言葉が面白い。福島市(旧信夫(しのぶ)郡(ぐん))東部と伊達郡(だてぐん)西部の平野部は、福島盆地または信(しん)達(たつ)平野と呼ばれている。その中を阿武(あぶ)隈川(くまがわ)が流れ、流域には比較的肥沃(ひよく)な土地が広がっている。松尾芭蕉は奥の細道を旅する途中、ここで田植えをする早乙女(さおとめ)たちの風情(ふぜい)を見て「早苗(さなえ)とる手もとや昔しのぶ摺(ずり)」と俳句に詠んだ。

忍ぶ摺りは、もじずりとも言って、信夫地方で作られていた乱れ模様の摺り衣のこと。忍(しのぶ)草(ぐさ)の汁を、模様のある石の上にかぶせた布に擦りつけて染める。

§○吾妻栄二郎CRCM-4OO06(90)三味線/吉田和貴、吾妻栄幹、尺八/米谷智、太鼓/山田鶴喜美、囃子言葉/西田和枝、西田和菜。田植の感じをうまくだしている。

「常磐炭坑節」(福島)

♪ハァ朝も早よからヨ カンテラ提げてナイ

(ハヤロヤッタネ)

坑内通いもヨ ドント主のためナイ

(ハヤロヤッタネ)

常磐(じょうばん)炭田(たんでん)で働く炭坑夫たちの盆踊り唄。炭田は茨城県から福島県いわき方面にかけて広がっている。相馬民謡の名手・初代鈴木正夫の工夫によって今日の唄に仕上がった。初めは盆踊り唄ではなく、炭坑で岩に穴をあける石(せっ)刀(とう)職人が唄っていた石刀節であった。石刀職人は、諸国の鉱山や炭坑、石切り場を唄を携(たずさ)えて歩き回った。常磐炭坑では座敷の騒ぎ唄となり、花柳界(かりゅうかい)でも三味線の手を付けて唄った。

常磐炭田は安政二(1855)年夏、片寄(かたよせ)平蔵(へいぞう)(1813-1860)が、いわき市の中心市街から南西へ約10kmに位置する湯ノ岳(594m)の麓、弥勒沢(旧白水村)で石炭の露頭を発見したことに始まる。明治の始めごろまで、採掘した石炭は十六貫を一俵として馬の背に積み、小名(おな)浜(はま)まで運び出した。常磐炭鉱は首都圏に最も近い炭鉱として、重要な役割を果たしていた。最盛期には130余の炭鉱が稼働していたが、昭和五十三(1978)年、すべて閉山となる。

第27回歴史文学賞(2002)を受賞した植松(うえまつ)三十里(みどり)の小説『燃えたぎる石』には、攘夷志士の刃にかかって最期を遂げるまでの、片寄平蔵の生き様が描かれている。

§○杉本栄夫VICG-2065(91)相馬民謡界の大御所。独特の枯れた声、味と渋さは他の追随を許さない。笛/米谷威和男、三味線/本條秀太郎、本條実、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴比呂、囃子言葉/西田和枝、白瀬孝子。○三橋美智也KICH-2418

(06)民謡の楽しさを体現した名調子。作詞/山崎正、編曲/山口俊郎。三味線/豊吉、豊寿、囃子言葉/キング民謡合唱団。モノラル録音。△KICH-2185(96)三味線/藤本e丈、藤本直久、尺八/米谷市郎、笛/米谷威和男、鳴り物/美波参駒、美波駒次、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春陽。声は往年の輝きを失っている。○伊東律子CRCM-40

049(97)三味線/谷井宗之、川上一美、尺八/谷井法童、清水法泉、太鼓/谷井法行、鉦/大滝守、囃子言葉/稲野辺千河子、吉原有美、大矢裕美。少々声がかすれるけれども野趣がある。

「新相馬節」(福島)

♪ハァー遥(はる)か彼方は 相馬の空かヨ

ナンダコラヨート(ハァ チョーイチョイ)

相馬恋しや 懐かしや

ナンダコラヨート(ハァ チョーイチョイ)

戦後、初代鈴木正夫(1900-1961)が唄い初めて全国に知られ、福島県の代表的民謡となる。鈴木正夫の師匠である相馬市中村の堀内秀之進(1876-1957)の手による民謡だ。宮城の「石投げ甚句」のハァーと、相馬の「草刈り唄」、酒盛り唄の「相馬節」を合成して作られている。

戦後、金の鈴と呼ばれる美声の鈴木正夫が改良を加え、唄い出しのハァーに人気が集まった。これに尺八の名手・榎本秀水が三味線の手を付け、民謡歌手の峰村利子が手を加えたりして今日の形になった。

堀内秀之進は、相馬藩家老職の家に生まれ「相馬流れ山」「相馬二遍返し」の曲節を確立するほか、大坪流馬術の免許皆伝で、野馬追い祭りでは藩主の名代として参加していた。

やたら美声を誇らず、民謡を唄う楽しさを存分に体現した初代鈴木正夫が、榎本秀水の尺八で唄ったものが絶品。鈴木は宮城県伊具郡(いぐぐん)生まれ。縁あって相馬郡新地町駒ヶ嶺に婿養子に入る。唄好きの鈴木は、民謡を相馬市百槻(そうましひゃくつき)にいた堀内に師事するが、姑(しゅうとめ)が唄嫌いのため、一家が寝静まってから、およそ9`離れた堀内の元に連日通ったという。

§◎初代鈴木正夫TFC-1206(99)お囃子方不記載。音源はSP盤。初期の「新相馬節」。曲のみならず声も未洗練で、野趣と魅力あふれた鈴木の声が聴ける。VD

R-25152(88)お囃子方不記載。ハイテンポで手拍子入り。初期の曲節。○杉本栄夫COCF-13286(96)三味線/本條秀太郎、本條武、尺八/矢下勇、囃子言葉/白瀬春子、白瀬孝子。味のあるかすれ声。気取らず、作らず自然体。FGS-603(98)三味線/小関敬義、尺八/原田保久、囃子言葉/猪狩智子、馬場ルリ子。△CRCM-1OO21(98)三味線/杉伴声、横山正雄、尺八/浜名与策、増山真一、囃子言葉/猪狩智子、森愛子。○三橋美智也KICH-2417(06)TFC-1209(99)三味線/藤本秀夫、藤本喜世美、尺八/渡部嘉章、囃子言葉/渡辺美千代、佐藤房子。細部まで行き届いた絶妙の三橋節。昭和二十九(1954)年、三橋はこの唄をアレンジした「酒の苦さよ」(山崎正作詞、山口俊郎編曲)で歌謡界にデビューした。

「相馬草刈り唄」(福島)

♪ハァー粋な小唄で 草刈る娘ト ナンダコラヨー

(ハチョーイチョイ)

お顔見たさに アノ回り道ト ナンダコラヨー

(ハチョーイチョイ)

ハァー俺といがねか やんがん堤の土手にト ナンダコラヨー

(ハチョーイチョイ)

籠と鎌と持って 樅の木の小枝にからまる アノあけび採り

アンチャライッタカホー

(ハ チョーイチョイ)

朝草刈りの往き帰りや、草刈り仕事で唄った。相馬地方は昔から馬が多く、馬の餌(えさ)となる草刈りは欠かせない作業であった。共同の草刈り場は阿武(あぶ)隈(くま)山脈(さんみゃく)に沿った羽黒山、羽山、天明山、国見山などの麓にあり、各地から毎日、長い道のりを馬を曳いて通ったものだ。

羽黒山の夜(よ)籠(ごも)りで、掛け唄として唄われていた羽黒節から変化した「相馬節」や「相馬甚句」を唄っているうち、次第にのんびりとした節回しになったもの。

§○杉本栄夫APCJ-5036(94)お囃子方CD一括記載。味、渋さ、楽しさ、野趣があり、力が抜けた自然体で、お百姓さんの雰囲気がいっぱい。CRCM-1OO22(98)三味線/杉伴声、横山正雄、尺八/浜名与策、増山真一、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、森愛子。△高原貞男COCF-9307(91)素朴な歌唱。三味線/影山ヨシ、太鼓/木幡秀水、囃子言葉/佐々木秀月。

「相馬木挽き唄」(福島)

♪ハァーコラ 木挽き山家の(コラショー)

山には住めどヨー(コレーナンダー)

ハァー木の実 榧の実(コラショー)

ホンニ食べやせのヨー

(コレーナンダー ザラーンコ ザランコ)

東北の木挽きの大半は南部出身であった。農閑期(のうかんき)を利用して全国各地へ渡り歩いたが、各地の木挽き唄は、その土地の名を冠して呼ばれる。

§○杉本栄夫CRCM-1OO21(98)尺八/遠藤幸守、掛け声/木幡邦男。△阿部市郎TFC-1201(99)尺八/増山真一、掛声/杉本栄夫。△原田直之COCJ-30337(99)伴奏者不記載。尺八/佃一生、掛声/不記載。癖の強い原田節を多用せず、木挽の雰囲気を出している。

「相馬甚句」(福島)

♪甚句さなかに たが茄子(なす)投げた

(ヨーイトナ ヨーイトナ)

茄子のとげやら ササ手に刺さる

(ヨーイトナ ヨーイトナ)

所によっては草刈り唄、壁塗り甚句、相馬節を指すこともあった。越後の甚句の影響を受けている。旋律は宮城県の「文字甚句」と同系統で、調子のよいヨーイトナの囃子言葉が受け、かつてはよく唄われた。曲想も面白い。

§○杉本栄一COCJ-30337(99)お囃子方不記載。味あり、野趣あり、渋さあり。

「相馬田植え唄」(福島)

♪一本植えて(ソレ)

千本と成り揃う(ホー)

街道の端(はた)の早(はや)早稲(わせ)

(ハァ ソーレカイセカイセ)

相馬地方一帯で唄われている。作業に結びついた唄というより、田植え祭りなどで村の長老が唄う神事唄がもとになっている。

§○杉本栄夫CRCM-1OO22(98)尺八/遠藤幸守、囃子言葉/杉岡八代、猪狩智子、桃井可生。

「相馬田の草取り唄」(福島)

♪(トカイトカイ)

邪魔だ邪魔だと 青田にびるも

(トカイトカイ)

なんぼ取っても 取り切れぬ

(トカイトカイ)

福島県相馬郡は、中世に下総(しもうさ)国(のくに)相馬郡より起こった千葉氏の一族・相馬氏に由来する。

相馬氏二代の相馬義(よし)胤(たね)(1548-1635)が軍功によって陸奥国行方郡(なめかたぐん)(福島県相馬郡)に地頭職を得、十一代の相馬(そうま)重胤(しげたね)が行方郡に土着した。茨城県北相馬郡、千葉県東葛飾郡(ひがしかつしかぐん)、福島県相馬郡の歴史的な関係は深く、現在も交流が続いている。

§○杉本栄夫CRCM-10022(98)囃子言葉/阿部市郎。野趣あふれるいかにも仕事唄らしい演唱だ。

「相馬土搗き唄」(福島)

♪ハァーここは大事な大黒柱

(チョイチョイ)

頼みますぞえ コラ皆様にエーエンヤーレ

サノヨーイサヨイヤラサノ エエーンヤレコノセー

(チョイチョイ)

ヤーハノ エーエンャ コレワサエーヤーレ

(ハァ ヨイショヨイショ)

家を建てる時、基礎の土を固める作業で唄われた。土搗きは、胴搗き、地搗きともいわれる。曲想もよく、節も調子も心地よく聴ける唄だ。吉日を選び、人手が多ければ多いほど、その家は繁盛するといわれ、親類縁者はじめ、村総出で土搗きを行った。四角の櫓を組み、太い丸太に何本も綱をつけ、滑車を使って数人で引き上げては落とし、引き上げては落として土を固める。

§◎杉本栄夫COCJ-30337(99)尺八/郷内霊風、太鼓/熊谷寅雄、囃子言葉/杉本栄一、桃井可生、阿部市郎。枯れた声。味あり。調子よし。個性の強いお百姓さんが唄っているような雰囲気がある。掛け声も調子よい。○CRCM-1OO22(98)「相馬胴突唄」三味線/杉伴声、横山正雄、尺八/浜名与策、増山真一、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/阿部市郎、猪狩智子、森愛子。○大塚文雄KICH-2363(01)三味線/藤本e丈、藤本秀双、尺八/米谷市郎、鳴り物/山田鶴三、囃子言葉/西田よし枝、西田とみ枝。作業唄らしい力強さがあり、節回しもうまい。

「相馬流れ山」(福島)

♪相馬流れ山ナァーエ ナァーエ(ソイ)

習いたかござれナァーエ(ソイーソイ)

五月中の申ナァーエ ナァーエ(ソイ)

アノサお野馬追いナァーエ(ソイーソイ)

野馬追いが始まるまでの、時間つぶしに唄っていた田植唄が原形。元亨三(1323)年四月、相馬重胤(?-1336)は一族郎党を引き連れ、下総国相馬郡(そうまぐん)増尾村(ますおむら)(千葉県柏市)から、陸奥国行方郡太田村の別所館(原町市中太田)へ移住した。その道すがら、故郷の流れ山を偲(しの)んで口ずさんだものが元唄であるという。

相馬野馬追いは、毎年七月二十三日から二十五日までの三日間、六百余騎の甲冑(かっちゅう)騎馬(きば)武者(むしゃ)が出場して、勇壮華麗に繰り広げられる。かつては五月の中の申の日に行われていた。原町市の雲雀ケ原(ひばりがはら)に、旧相馬領五郷(北郷、宇田郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷)の人達が数百騎の騎馬武者姿で集まり、花火を合図に打ち上げられた妙見神社の旗を奪い合う。相馬氏の始祖である平将門(たいらのまさかど)(?-940)が下総国葛飾郡小金ヶ原(千葉県流山市付近)で馬を放牧。これを兵士に追わせて軍事訓練をした故事に習う。

一日目、騎馬武者の行列が途中、相馬清水で昼食をとり、出発する折りに一回唄い、雲雀ケ原で作戦会議を済ませ、酒宴にかかる前に二回目を唄う。翌二十四日は、雲雀ケ原の式典で斉唱。最後は中村神社で斉唱する。野馬追いは中ノ郷(原町市)勢を先頭に、小高郷(小高町)、標葉(しねは)郷(浪江町、双葉町、大熊町)が続き、殿(しんがり)は北郷、宇田郷勢が進軍。午後一時、山頂の本陣から戦闘開始の法螺貝が鳴り渡ると、満を持す数百騎の騎馬武者が雲雀ヶ原一面に展開する。空高く打ち上げられた花火が炸裂し、二本のご神旗がゆっくり舞い下りてくると、騎馬武者たちは旗を目指して駆け出し、鞭を振りかざして神旗を奪い合う。

平成二十三(2011)年三月十一日、大地震と巨大津波が相馬地方を襲った。多くの人が亡くなり家を流された。野馬追いに参加する多くの馬も流され、さらに東京電力福島第一原子力発電所で爆発事故が発生する。

こうした想像を絶する大災害のなか、千年の歴史をもつ伝統行事は、犠牲者の鎮魂と復興を掲げ、大幅に規模を縮小して、同年七月二十三日から二十五日まで開催された。翌年(2012)からほぼ例年に近い形での開催となり、平成二十七(2015)年から震災前とほぼ等しいまでに回復した。

(南方)

§◎杉本栄夫CRCM-10021(98)尺八/増山真一、掛声/塚田行雄。TFC-1206(99)SP盤が音源。若き杉本の声が聴ける。声、味、技巧、いうこと無し。杉本栄夫(よしお)は大正四(1915)年、相馬郡飯豊村出身。若くして堀内秀之進の門を叩き弟子となる。その評判は後藤桃水の耳にも届き、後藤の推薦でラジオ放送に取り上げられるようになって、次々と相馬民謡を世に紹介した。○杉本栄一APCJ-5036(94)爽快感あり。父親の栄夫譲りの歌唱。お囃子方は一括記載。△大越信行COCF-9307(9

1)若々しい端正な歌唱。初代鈴木正夫と遠藤幸守を足して二で割ったような声。尺八/福田次郎、掛声/阿部市郎。COCF-13286(96)尺八/渡辺輝憧、郷内霊風、掛け声/阿部市郎。△小野田実COCJ-30337(99)伴奏者不記載。伴奏はコロムビア社中。GES-31314(02)尺八/菊池淡水、小坂淡憧、太鼓/山田三鶴、掛声/飯田優子。

(北方)

§○杉本栄夫CRCM-1OO19(98)爺様の声で、力感に乏しい。南方より素朴な形を残す。尺八/遠藤幸守、法螺/桃井可生、太鼓/塚田行雄、掛け声/杉岡八代、馬場ルリ子。

「相馬二遍返し(南方)」(福島)

♪(ハァ イッサイコレワイ パラットセ)

ハァー相馬相馬と 木(き)萱(かや)もなびく(ハァ コラヤノヤ)

なびく木萱に 花が咲く花が咲く

(ハァ イッサイコレワイ パラットセ)

南方と北方の二種があり、ふつう「相馬二遍返し」と呼ぶときは南方の節を指す。終わりの五文字を二度繰り返して唄うところから、二遍返しの名がある。羽黒神社の祭礼唄に唄われていた羽黒節が変化したものだ。山形県の「かくま刈り唄」は同系である。

江戸時代末、天明年間(1781-1788)に大飢饉があり、天保七(1836)年と同十一(1840)年には大凶作があって、相馬藩内の人口が減少した。第十一代藩主・相馬益胤(1796-1845)は家臣を各地へ遣わし、他国からの住民を呼び集めた。その折り、相馬の宣伝用に唄ったという。

囃子言葉のパラットセは、盆踊りの輪を適当に広げさせるための掛け声だ。雅趣があり節調もよい佳曲だが、婚礼の席では二遍の語が忌まれ、唄われることがない。

§◎杉本栄夫COCF-13286(96)三味線/江川麻知子、麻裕美、尺八/矢下勇、笛/老成参州、太鼓/山田鶴三、鉦/山田鶴香、囃子言葉/阿部市郎、飯田優子、西田和枝。渋さと力があり、濁りのない声は若き日の歌唱か。TFC-1206(99)音源がSP盤のため、ノイズが入る。CRCM-1OO21(98)三味線/杉本栄一、尺八/原田保久、太鼓/塚田行雄、鉦/木幡邦男、囃子言葉/杉岡八代、猪狩智子。○杉本栄一COCF-6547(90)三味線/杉本栄二、杉本真佐栄、尺八/陶正彦、吉田茂、鉦/伊藤繁則、太鼓/及川勝右衛門、囃子言葉/高橋桂子、早坂かおる。味のある渋い美声。自然体で唄っている。△小野田実COCJ-30337(99)味ある独特の声で、小野田節を聴かせる。尺八/菊池淡水、小坂淡童、三味線/岡田美佐子、藤本秀三、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴喜美、囃子言葉/飯田優子、西田和枝。

「相馬二遍返し(北方)」(福島)

♪ハァー鮎は瀬につく 鳥ゃ木にとまる

(ハイハイ)

人は情の下に住む 下に住む

(ハイーハイハイ)

この唄の文句は、宝永元(1704)年の歌謡書『落葉集』にも見られ、近世歌謡から現行の民謡に至るまで、全国に広く流布した文句である。特に盆踊り唄に多く採用され、愛唱された。

§○杉本栄夫CRCM-1OO19(98)三味線/小関敬義、尺八/遠藤幸守、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、杉岡八代。唄の間に「会津万歳」と、春日井梅鶯(1905-19

74)調で相馬名所を詠んだ浪曲が挿入されている。APCJ-5036(94)味、渋さと野趣に富む。CRCM-1OO21(98)字余り。三味線/小関敬義、尺八/遠藤幸守、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、杉岡八代。

「相馬節」(福島)

♪ハァー心せけども 今この身では ナンダコラヨート

(ハァチョイチョイ)

時節待つより コラほかはない ナンダコラヨート

(ハァチョイチョイ)

ハァー相馬中村 石屋根ばかり ナンダコラヨート

(ハァチョイチョイ)

瓦ないので コラ人が葺く ナンダコラヨート

(ハァチョイチョイ)

相馬市と宮城県伊具郡の境にある羽黒山(346m)に出羽神社がある。夜(よ)籠(ごも)りのとき「羽黒節」などと共に唄われていた。これが草刈り唄に変化し、やがて「新相馬節」へと姿を変えていく。古風なだけに今ではその影をひそめ、古老が祝宴などの酒席でわずかに唄うだけとなった。

出羽神社は、下総国(千葉県)相馬郡を領した平良(たいらのよし)文(ふみ)が東北地方平定の折りに山神を勧請。羽黒大権現と称した。平良文(886-952)、通称・村岡五郎は房総一円を支配した千葉氏の祖である。羽黒権現は聖観音と習合し、広く信仰された。祭礼は十月十七日で、今も前夜、お籠(こ)もりをする。

§○杉本栄夫CF-3458(89)三味線/杉本栄二、杉本博栄、杉本真佐栄、尺八/吉田茂、岡正彦、太鼓/杉本秀晴、囃子言葉/加藤シン、佐藤澄子。かすれ声、味はある。CRCM-10021(98)三味線/杉伴声、横山正雄、尺八/浜名与策、増山真一、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、森愛子。△斉藤千恵子COCF-9307(91)三味線/小関敬義、尺八/杉内信雄、太鼓/木幡秀水、囃子言葉/佐藤文子、片寄久子、黒脛妙子。早いテンポでちょっと下品っぽく唄うところが魅力。

「相馬盆唄」(福島)

♪(ハァ ヨーイヨーイヨーイトナコラショ)

ハァーイヨー 今年や豊年だよ(アコーリャコリャ)

穂に穂が咲いてよ(コラショ)

ハァー道の小草にも ヤレサヨー米がなるよ

(ハァ ヨーイヨーイヨーイトナ)

福島県の代表的盆踊り唄。「日光和楽踊り」や「秩父音頭」などと同系統だ。もとは夏から秋にかけて、豊年踊りの名で田の神さまに感謝しながら唄い踊ったもの。夏から秋にかけて踊るところから、いつしか盆踊り唄になった。七七七五調の五文字の前にヤレサの言葉が入るところから、ヤレサ型盆踊り唄と呼ばれ、山形、福島から茨城、埼玉、群馬にかけて広く分布する。初代鈴木正夫が節回しを巧みに改良して命名。一世を風靡する。旧相馬領の相馬、双葉郡では“盆踊り唄”と呼ばれていた。各地の盆踊りで唄い踊られ、全国に知られるようになると、古い唄い方はほとんどすたってしまう。

§◎初代鈴木正夫COCF-12697(95)尺八、太鼓、笛伴奏。お囃子方の名前は不記載。◎TFC-1206(99)音源はSP盤。お囃子方不記載。管弦楽伴奏で、ノイズがかなり入っている。○杉本栄夫CRCM-1OO20(98)三味線/杉伴声、小関敬義、尺八/浜名与策、増山真一、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、森愛子。CRCM-10019(98)「旧節」笛/遠藤幸守、杉本栄一、大太鼓/塚田行雄、小太鼓/桃井可生、鉦/木幡邦男、囃子言葉/馬場ルリ子、猪狩智子。APCJ-5036(94)お囃子方はCD一括記載。○鈴木正夫(二代目)VZCG-133(97)笛/望月太八、三味線/静子、豊静、囃子言葉/浅草ひでこ社中、編曲/小沢直与志。父親譲りの美声で楽しく唄う。管弦楽伴奏。〇三橋美智也KICH-2417(06)藤間哲郎作詩、山口俊郎編曲。三味線/豊吉、豊寿、囃子言葉/キング民謡合唱団。昭和三十年代初め、山口俊郎(1901-1981)の編曲で三橋が唄った数々の民謡は、新鮮な息吹きにあふれ、新しい時代感覚で大衆にアピールした。三橋は北海道出身。九歳の時「江差追分」で全道民謡コンクール優勝。十二歳でコロムビアレコードに「江差追分」「博多節」「米山甚句」「たんと節」「新よされ節」「じょんから節」を吹き込み、戦争末期から約五年間、北海道、東北で民謡巡業を続けて技を磨いた。津軽三味線の師は白川軍八郎(1909-1962)。母方の叔父に追分の名手三浦為七郎(1884-1950)がいて二代目を襲名している。

「新しい時代感覚と、大衆の歌である日本民謡への激しい情熱をもって、民謡を徹底的に再検討し蘇生させなければなりません」と自伝「歌ひとすじに」(1957)で述べている。

「相馬馬子唄」(福島)

♪朝のサーイーアーイート(ハイヨッ)

ハァー出掛けにサァ(ハァイ)

ハァーどの山トーエ(ハァイ)見てもト(ハイーハイト)

霧のサーイー かからぬトーエ(ハイ)

山はないト(ハーイハイ)

相馬地方の博労が、白河や各地で行われる馬市への往来に、十〜二十頭もの馬を引きながら唄った。岩手県下の「南部馬方節」が相馬化したもの。

初代鈴木正夫が天性の美声で小節をふんだんに盛り込み、正夫節の魅力あふれる華麗な馬子唄を作り上げ、昭和六(1931)年にレコードに吹き込んだ。当時の人たちは鈴木の声を“金の鈴”と称えた。

博労(ばくろう)は博(はく)楽(らく)(伯楽=馬の病を治す薬師)の手伝いをする労務者のこと。博楽の博と労務者の労をとって博労となったとの説がある。伯楽は、中国の戦国時代(BC5-BC3)に馬を相した人の名。

§○杉本栄夫APCJ-5036(94)味、素朴。自然な発声。お囃子方は一括記載。CRC

M-1OO21(98)尺八/原田保久、掛け声、鈴/杉本栄一。○杉本栄一CF-3458(89)父親譲りの雅趣と味。尺八/増山真一、掛声/及川勝右衛門。△COCF-9307(91)尺八/渡辺輝憧、郷内霊風、掛声/杉本栄夫。父親が掛け声を務め、尺八名人二人がその技を競う。

「相馬麦搗き唄」(福島)

♪麦を搗くなら 七臼(から)八臼

三臼四臼は ホントニ誰も搗く(トート)

麦を搗けたし 寝ごろも来たし

うちの親たちゃ ホントニ寝ろ寝ろと(トート)

麦搗き唄は全国にあるが、相馬のものは雅趣があり節回しも美しい。

南方と北方の唄があり、南方は原の町方面の在来の節回しで、北方は相馬民謡の指導者・堀内秀之進が編曲したものである。

相馬地方では裏作に麦を作った。麦搗きは夜なべ仕事や雨降りのときの仕事である。重労働であり、主に女性の仕事であった。七月中旬から八月にかけて行われる。土間に臼(うす)を据え、二人がかりで向き合って杵(きね)で搗く。麦を水に漬け、ふやかしてから、縦に入った筋がとれるまで搗く。単調な仕事であるために、唄で気をまぎらわせつつ杵の拍子を整えた。臼には麦を一斗から一斗二升入れ、搗き上げるのに一時間から二時間はかかる。一夜に一組が搗き上げるのは、せいぜい三臼程度であった。

踏み臼、地(じ)唐(から)臼(うす)、大唐臼などと呼ばれる臼でも搗いた。地に埋めた臼の中に穀類を入れ、足踏みで上下させる杵で搗く。「唐」とは、から臼、から棹などのように、柄が付いた仕掛けがある道具だ。

§○佐藤節子「南方」COCJ-30337(99)野趣に富んだ演唱。お囃子方は不記載だが、SP盤によれば、三味線/江川麻知子、江川麻渓、尺八/渡辺輝憧、囃子言葉/白瀬春子、佐藤征子、佐藤よし江。

「高田甚句」(福島)

♪(チョイサー)

ハァーアーア高田恋しや 伊佐須美さまよ

(チョイサーチョイサー)

森が見えます ほんにほのぼのと

(チョイサーチョイサー)

会津の盆踊りでは最も古いものだ。会津若松市の西方、大沼郡会津高田町(会津美里町)には有名な伊佐須美神社があり、毎年お盆になるとここに櫓を作り、夜を徹して踊り明かす。踊りは老若男女を問わず、一人ひとりが仮装をして踊る。

踊りの振りもよく「会津磐梯山」の踊りも、この高田甚句の振りから取られたという。新潟県下の越後甚句が阿賀野川を上り、会津地方に運ばれて高田町でも唄われた。本郷町に伝わる「本郷甚句」などと同系統。賑やかな笛と太鼓の伴奏が付いていて、素朴な曲調は「新潟甚句」などと同じだ。

会津の総鎮守・伊佐須美神社では、毎年七月十二日、高田の昼田植えの御田植祭が行われている。これは伊勢の朝田植え、名古屋熱田の夕田植えと並んで日本三田植えのひとつである

§△遠藤幸一APCJ-5036(94)味わいは薄い。CD収録全曲のお囃子方の名前は一括記載。

「伊達甚句」(福島)

♪ハァ東霊山 西吾妻山(ハイー)

北に黄金の半田山 半田山(ハイ)

(寄ランショナーイ 来ランョナーイ

ソウダナーイ 本当ニナーイ マタ来てクナンショナイ)

ハァ伊達の梁川と 保原の街道(ハイー)

万に一つの坂もない 坂もない(ハイ)

(寄ランショナーイ 来ランョナーイ

ソウダナーイ 本当ニナーイ マタ来てクナンショナイ)

東北民謡研究の第一人者・武田忠一郎(1892-1970)のすすめで、昭和七(1932)年、佐藤武重が作詞作曲した。伊達郡一帯の名所が織り込まれた詞と、相馬地方の民謡旋律を取り入れた曲作りがなされている。

§○吾妻栄二郎CRCM-4OO06(90)編曲/福田正。お囃子方不記載。

「羽黒節」(福島)

♪ハァ昔節では盃ゃこない(チョイチョイ)

今のはやりの羽黒節 羽黒節

(チョイーチョイチョイ)

相馬市北西部、羽黒山(346b)に出羽神社がある。相馬藩祖の平良文が東北地方を平定した際、出羽三山の羽黒神社を勧請して羽黒大権現と称した。

祭礼は十月十七日。前夜には老若男女がお籠もりをする。夜を徹して酒を酌み交わし、掛け唄に興じた。そこで唄われたのが「相馬節」であり「羽黒節」だ。

掛け唄は一種の唄試合である。相手を決め、交互に即興で唄の文句を作って唄い合った。歌詞が出てこなくなって、唄に詰まった方が負けである。主に男と女の対抗となり、古代の歌垣の伝統そのままに、体を賭ける求婚の場、性的解放の場ともなった。

§○杉本栄夫CRCM-10021(98)三味線/杉伴声、横山正雄、尺八/浜名与策、増山真一、太鼓/塚田行雄、囃子言葉/猪狩智子、森愛子。

「原釜大漁節」(福島)

♪ソーリャ相馬沖から 走り込む船は 明神丸ヨー

アリャエーエ エノソーリャ今日も大漁だネー

(ハァ大漁大漁)

ソーリャ相馬中村 原釜浜は 角網どころヨー

アリャエーエ エノソーリャ明日も大漁だネー

(ハァ大漁大漁)

原釜漁港で、まぐろの大漁があると、漁師たちは網元の家などに集まり、手拍子も賑やかに唄った。宮城県の「ドヤ節」「サイトコ節」「大漁唄い込み」「閖(ゆり)上(あげ)げ大漁節」などと同系統で、岩手県の「気仙坂(けせんざか)」が変化したものだ。

角網は、海面に網を施設して、回遊してきて網に入った魚を獲る小型定置網の一種である。原釜が角網を使用し始めたのは明治の中頃以降とされる。戦前、原釜の漁師はこの唄を知らず、わずかに相馬民謡会の人たちが伝えていた。宮城県亘理郡の「笠浜大漁祝い唄」を、鈴木正夫が原釜風にしたとの説もある。

原釜港は江戸時代には藩租米や塩の積出港として栄えた。明治以降は、金華山沿岸の漁場をひかえた漁港として利用されてきた。昭和三十五(1960)年、相馬港と改名。宮城、山形両県南部を包含した広域経済圏の海の玄関口となっている。

§○杉本栄夫「原釜大漁祝い唄」CF-3458(89)三味線/本條秀太郎、本條武、尺八/矢下勇、太鼓/山田鶴三、鉦/山田鶴三郎、囃子言葉/白瀬春子、白瀬孝子。力感はあまりなく尺八も弱い。APCJ-5036(94)枯れた声で自然体。△吉沢浩KICH-201

3(91)山口俊郎編曲。三味線/藤本e丈、藤本直久、囃子言葉/白瀬春子、佐藤歌子。若き日の声。好編曲で名調子。管弦楽伴奏。△佐藤節子「大漁祝い唄」COCJ-3033

7(99)お囃子方不記載。レコード盤のデータによれば、三味線/江川麻知子、江川麻佐恵、尺八/渡辺輝憧、武田景憧、太鼓/美波三駒、鉦/美波駒次、囃子言葉/白瀬春子、佐藤征子、佐藤よし江。

曲を盛り上げ、唄を引き立てるだけでなく、しっかりとした曲作りはお囃子方で決まる。名前の省略や、一括記載はお囃子方に対して礼を失している。

「三春盆唄」(福島)

♪(ハァヨイショ)

サンヤー私ゃ三春町(ハァヨーイヨーイ)

五万石育ち(チョイサット)

サンヤーお国自慢の(ハーヨイヨーイ)

アラホンニナー盆踊り(チョイサーチョイサー)

福島県郡山市の東、田村郡三春町に伝わる盆踊り唄。「相馬盆唄」「会津磐梯山」とともに、福島県を代表する盆踊り唄である。別名「三春甚句」。サンヤーと唄い始めるこの種の盆踊り唄は、いわき地方に広く分布している。曲は越後の甚句が会津を通って、いわき地方へ持ち込まれたようであり、三春では盆踊り唄や酒席の騒ぎ唄として、盛んに唄われている。「高田甚句」に似ているが、規模も大きく、お囃子も楽しい。

三春町の盆踊りは大正年間が最も盛んであった。旧暦の七月十四日から十六日までが八幡町(はちまんまち)と新町、十七日が北町、二十日が荒町。四ヶ所の路上に櫓を立て、その上に大太鼓、小太鼓、笛、鉦などの賑やかな囃子方と音頭取りが乗り、踊り手は即興で、掛け合いなどをしながら唄い踊った。男女とも仮装姿や手ぬぐい、編み笠で顔を隠して踊る。

§○杉本栄夫APCJ-5036(94)お囃子方は一括記載。△COCF-13286(96)三味線/藤本和夫、高木義子、笛/郷内霊風、太鼓/塚田行雄、熊谷寅雄、鉦/奥山幸三郎、囃子言葉/根本恵美子。○晴海洋子COCJ-30337(99)伴奏者不記載。三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、太鼓/美波三駒、鉦/美波駒世、囃子言葉/白瀬春子、添田和子。

posted by 暁洲舎 at 00:09| Comment(0) | 東北の民謡
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