「あがらしゃれ」(山形)
♪ハァー たんと飲んでくりょ
なにゃないたてもヨ(ハァ コイチャ)
わしの気持ちは 酒肴(アリャ飲め ソリャ飲め)
唄の題は“召し上がれ”の意味。別名、大沢節。秋田県に境を接する最上郡安楽城(あらき)村の大沢(現在は真室川町と合併)は、秋田へ抜ける街道の宿場である。宿の主人が来客に酒をすすめる時、ここでは唄で酒をすすめる。飲まない時は両側から押さえつけ、耳を引っ張り、口に酒を注いだ。酒を飲んで正気を失えば、神々の住む世界に近づけると考えていたからだ。古風な信仰を伴った酒盛り唄はここだけに残り、土地では手拍子だけで唄っている。
戦後、県の民謡会が伴奏を付け、節も改めた。昭和三十(1955)年、最上郡出身の伊藤かづ子の唄で全国に知られるようになった。
§◎今泉侃(いまいずみただ)惇(あつ)COCF-6517(90)味と渋さある美声で、肩肘張らず気分よく端正に唄っている。お囃子方不記載。今泉侃惇(1937-)は長井市出身。十八歳から民謡を始め、昭和三十七年、第六回山形県民謡王座決定戦に出場、見事、王座を射止めた。山形県民謡を唄わせて、右に出るものはいない。○宇野幸子VZCG-133(97)味のある歌唱。ほのかな色気も感じられる。この唄はもっと野太い声の方が味があってよいのだが。尺八/矢下勇、三味線/市川紫、小沢千月、太鼓/山田三鶴、囃子言葉/飯田優子、高橋利枝。宇野は昭和二十五(1950)年、村山市生まれ。幼少の頃から母きぬえの民謡を子守唄に聴きながら育った。○佐藤松子KICH-2463(05)自然な歌唱で土の匂いも感じさせ、味わいも深い。三味線/藤本e丈、佐藤松久、尺八/米谷市郎、鳴り物/山田三鶴、山田鶴祐、囃子言葉/佐藤松笙、佐藤松重。
「あさひ音頭」(山形)
♪ハァー湯殿 月山 羽黒にかけたヨー
朝日おばこの願いはひとつ 愛がいつまで月の山(ソレ)
朝日よいとこ 人情の里ヨ
踊る心も輪もまるい 輪もまるい
渡部紀久治作詞、森菊蔵補作、市川昭介作曲、山田良夫編曲。庄内地方の最南端に位置する東田川郡朝日村村歌。朝日村は平成十七(2005)、鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、温海町と合併して鶴岡市となった。
§都はるみCACA-11779(94)。
「石切り唄(山寺石切り唄)」(山形)
♪わたしゃ羽前の ヨーイ山形育ちヨーエ
石も硬いが 気も固いヨーエ
ヤレサヨーイ ヨーイヨー(ハァ ドッコイ ドッコイ)
立石寺は、山形と宮城の県境にある凝灰岩(ぎょうかいがん)の山の上に建てられている。凝灰岩は比較的軽く、切り出しが容易であった。明治十五(1887)年から同四十(1907)年頃にかけて、全国各地から集まってきた石切り職人が石ノミ(鏨)を振るいながら唄っていた。全国を渡り歩く石職人であるため、唄に郷土色は少ない。
昭和に入り、石工の縄野桃村が唄っていたのを醍醐村(寒河江市慈恩寺)の鈴木桃春が受け継ぎ、斉藤桃青によって手が加えられた。
昭和三十一(1956)年、NHKのど自慢全国コンクールで寒河江市の工藤登が唄って入賞してから有名になった。初めは掛け声がなかったが、工藤が全国大会で唄う折、初代・鈴木(すずき)正夫(まさお)(1900-1961)にアドバイスされ、掛け声を付け加えた。
§○辻秀菁COCF-13286(96)尺八/庄司啓吉、鉦/安食秀陽、掛け声/今泉侃惇。野趣と渋さがある歌唱。○関本登美子APCJ-5033(94)野太い声に迫力がある。男唄を女性が唄うのもまた一興。△今泉侃惇VZCG-133(97)尺八/米谷威和男。山形民謡のどんな唄を唄っても、独特の味を出す。△羽柴(はしば)重(しげ)見(み)COCJ-30335(99)尺八/仁藤喜由、囃子言葉/佐藤勝弥。年老いてなお元気な職人が、仕事唄らしく、高音の美声で唄っているといった風情がある。△工藤登CRCM-1OO16(98)尺八/関義雄、菊地久蔵、石刀/庄司昭作、掛け声/庄司昭作。羽柴とは対照的に低い声で唄い、素朴な味を出している。
「置賜しょうがいな」(山形)
♪しょうがいな踊りは 今始まるぞ
爺様出てみろ 孫連れて
しょうがいな(ハァ メンゴイ メンゴイ)
米沢(よねざわ)方面一帯に「会津めでた」が伝播して定着。置賜(おきたま)地方で広く唄われる祝い唄である。仙台の「さんさ時雨」が元唄だ。歌詞は二幅一対で正座して威儀を正し、手拍子で唄われる。“しょうがいな”の名は唄の最後の文句からとられた。米沢では男性が謡曲で祝い、女性がこの唄で祝う。
山形県は置賜、村山、最上(もがみ)、庄内の四地方で形成され、山形新幹線で福島県境を越えると米沢市である。米沢は置賜地方米沢盆地の入口で、名君で知られた米沢藩第九代藩主・上杉治(はる)憲(のり)(1751-1822)や上杉氏にまつわる史跡が多く残る。
§○宮下昇CRCM-10016(98)素朴なお百姓さんが唄っているような味がある。無伴奏で手拍子もなし。掛け声は結城誠一。結城は大正五(1916)年、村山市生まれ。昭和十五(1940)年、山形の結城藤右ヱ門に入門。素朴で純情な山形民謡の心を唄い続けた。
「置賜(おきたま)長持唄」(山形)
♪ハァ今日はナ 日も良しエ(ハァ ヤラヤラエー)
ハァ天気も良いし 結びナ合わせて
ハァ縁となるナエ
(ハァドッコイ ドッコイ ドッコイナ)
婚礼の祝い唄。置賜地方の中心地である米沢は、上杉治憲(鷹山)の治世で知られている。鷹山(ようざん)は、たぐいまれなる力量を持った聖人政治家であった。内村鑑三(1861-1930)はその著『代表的日本人』に、その業績の一端を紹介し、第35代アメリカ大統領J.F.ケネディ(1917-1963)は、日本で最も尊敬する政治家として鷹山の名を挙げ、フランスの名宰相クレマンソー(1841-1929)も鷹山に篤(あつ)い敬意を示している。
「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり」は鷹山が破綻寸前の米沢藩を立て直す際、藩立て直しの心構えについて説いた有名な言葉だ。
§◎今泉侃惇CRCM-10016(98)尺八/新関徳次郎、掛け声/町田忠雄。COCJ-3033
5(99)尺八/沼沢弘、掛け声/島貫孝一。渋さと雅趣のある端正な演唱。
「かくま刈り唄」(山形)
♪(チョイチョイサ)
ハァ山は深いし かくまは伸びた(チョイサー)
お山繁盛と ハァ鳴くからす 鳴くからす
(チョイチョイサ)
かくまは食用にならないゼンマイのこと。“がくま”“男ゼンマイ”と呼ばれることもある。大きく成長すると邪魔になるので下刈りをする。この唄を世に出した加藤(かとう)桃(とう)菊(ぎく)は、山の木と木の間の“隔間を刈る唄”だといっている。
置賜郡(おきたまぐん)白鷹町(しらたかまち)から山形に抜ける狐(きつね)越(こし)峠(とうげ)の中間点、東村山郡山辺町(やまのべまち)簗沢(やなざわ)の畑谷(はたや)あたりで、下刈り作業の気晴らしに口ずさんだり、山の行き帰りで唄われていた。唄は下の一句五文字を二度繰り返す二上り甚句の一種で、東北各地に広く分布している形式のもの。
§◎加藤桃菊TFC-1203(99)尺八/加藤幸平、掛け声/清野政直。味のある爺様の声で、いかにも仕事唄らしい雰囲気を出している。桃菊(1905-2003)は山形市出身。大正年間から、ふる里の民謡発掘を心がけ、数多くの民謡を収集した。「紅花摘み唄」をはじめ、百曲近い民謡を甦(よみがえ)らせている。
東北民謡育ての親である後藤桃水から桃菊の雅号を受け、同年、日本民謡桃菊会を設立。以後六十余年にわたって県民謡界の中核として活発な活動を展開した。平成四(1992)年には、県文化向上に功績顕著な個人と団体に与えられる齋藤茂吉文化賞を受賞している。○今泉侃惇COCF-9306(91)山形の民謡であれば何でもこなす。声良し味よし渋さあり。尺八/庄司啓吉、掛け声/町田忠雄。
「菊と桔梗(ききょう)」(山形)
♪菊と桔梗は どちらが妹 同じ衣装に 対の櫛
いずれ劣らぬ 同い歳 みつみつ話す そのわけは
ドッコイ メンゴイ 思うてみしゃんせ めでたいな
東根市(ひがしねし)北西部の旧北村郡長瀞(ながとろ)地方で唄われる祝い唄。文久の頃(1861-1864)、寒河江(さがえ)に住む鶴沢政の市が上方の紅買い付け商人から習い覚えたという伝承がある。藤本e丈が三味線の手を付け、品の良い唄となっている。
§○今泉侃惇COCF-114301(97)三味線/井上良次、尺八/沼沢弘、囃子言葉/井上正子、板垣和子。○早坂光枝KICH-8203(96)庄司満里子採譜、藤本e丈編曲。三味線/藤本e丈、藤本秀康、笛/米谷威和男、鳴り物/美鵬成る駒、美鵬こま伎。○高橋きよ子CRCM-4OO42(95)三味線/本條秀太郎、本條秀五郎、胡弓/本條秀太郎、笛/望月太八、鳴り物/鼓友緑佳、鼓友緑笑。渋い味を出して唄っている。
「酒田甚句」(山形)
♪日和山 沖に飛島 朝日に白帆
月も浮かるる 最上川
船はドンドン えらい景気
今町 船場町 興屋の浜
毎晩お客は ドンドン シャンシャン
シャン酒田は良い港 繁盛じゃおまへんか
酒田港の繁盛で湧く花柳界(かりゅうかい)の酒席の騒ぎ唄。幕末から明治にかけて、江戸で流行した“そうじゃおまへんか節”が定着したもの。この唄と同系統のものが最上川上流の左沢(あてらざわ)百目木(どめき)に茶屋唄として伝わっている。山口県の「男なら」も同種の唄だ。“おまへんか”は上方言葉。肯定と否定の両義に使い分けられる。
酒田は庄内平野と最上川流域の米の集散地で、米穀倉庫群が有名。酒田港は室町時代から開け、寛文十二(1672)年、河村(かわむら)瑞(ずい)賢(けん)(1617-1699)が貯米場である瑞賢蔵を建設。西廻り船航路の寄港地となった。江戸時代に入ってから米の積み出し港として栄え、年間二千五百隻以上の北前(きたまえ)船(ぶね)で賑わったという。港の北側にある日和山(ひよりやま)公園には、明治二十八(1895)年築造といわれる日本最古の木造燈台がある。
§○渡辺喜太郎CRCM-1OO16(98)三味線/庄司まり子、太鼓/黒石よしえ、鉦/加藤桃菊。爺様が楽しく唄っている雰囲気があり、素朴で野趣がある。○宇野幸子APCJ-5033(94)美声の年増芸者の風情で、ちよっと声が濁る。伴奏者は曲別でなく、CD収録全曲のお囃子方を一括して表記している。唄と一体のお囃子方の名を記載しないのは甚だ礼を失している。○黒石よしえCOCF-9306(91)素朴さがあり渋い。婆様が唄っているようないい味があり、結構楽しんで唄っているようだ。三味線/庄司満里子、尺八/新関徳太郎、太鼓/辻政美。
「酒田船方節」(山形)
♪(ハ ヤッショマカショ)
お前来るなら 酒田においで(ハ ヤッショマカショ)
飽海(あくみ)田川(たがわ)は米の里 北と東は山また山で
羽黒(はぐろ) 月山(がっさん) 鳥海山(ちょうかいさん)は これぞ宝の山ぞかし(ハ ヤッショマカショ)
今に黄金の トコホンマニ花が咲く(ハ ヤッショマカショ)
酒席の騒ぎ唄。酒田港へ入った船人たちが三味線に合わせて賑やかに唄った。島根県方面で生まれた出雲(いずも)節(ぶし)が酒田へ移入。秋田では「秋田船方節」を生んでいる。出雲節は北前船の船乗りたちが好んで唄い、各地の港へ伝えた。江戸時代の末期、鳥取県境港あたりにいた芸者“さんこ”を称えて唄った“さんこ節”が変化したものだ。
§○今泉侃惇COCF-13286(96)渋い声で味のある演唱。三味線/藤田よね、井上良次、尺八/庄司啓吉、鉦/安食秀陽、太鼓/山田富雄、囃子言葉/今泉麗子、井上正子。○浜田百合子VICG-2041(90)野趣に富んだ歌唱で、浜の女性らしさをうまく表現している。三味線/山田孝次、尺八/遠藤幸一、小堀範興、太鼓/美鵬駒三朗、鉦/美鵬那る駒、囃子言葉/浜田笙緒、浜田百合弥。△関本登美子APCJ-5033(94)野趣があり、田舎のおっかさんが唄っているような雰囲気と風情がある。
「酒屋米とぎ唄」(山形)
♪酒屋ナ 若い衆はヤイ 大名の暮らしヨ
そばにナ 六尺ヤイ アリャ立てて飲むヨ
精米した米を洗う作業のときに唄う。酒造りの唄は工程ごとに違う唄があって、気散じや時計代わり、呼吸合わせに唄った。
造酒工程は、まず酒造に適した良質の玄米が選ばれ、精米から始まる。精米は、玄米の外側に含まれるタンパク質や脂質などの成分を適度に取り除く作業である。このあと、米の表面に付いた糠分を洗い流し、水に十〜三十分程度漬け、十分な蒸気で完全に蒸す。蒸米に種(たね)麹(こうじ)を振り、それを麹室の中の床室に運んで、温度が下がらないように布で包む。
翌朝、包みをほどき、固まりをほぐして箱か麹蓋に盛り、その後、六〜七時間の仲仕事、更に四〜五時間の仕舞い仕事と呼ぶ手入れをして、麹の状態を均一にする。仕舞い仕事の後、二時間おきに積み替えをして、翌朝、香味が整ったことを確かめ、麹を麹室から出す。もろみを発酵させるための酵母を培養した酒母のほか、麹、蒸米、水を三回に分けて仕込む。熟成もろみを清酒と酒粕に分離する。次に濾過(ろか)して、タンクなどに貯蔵して熟成する。洗浄した瓶(びん)に、割水によってアルコール度数を調整した清酒をつめ、ラベルを貼って出荷となる。
§○町田忠雄CRCM-1OO16(98)個性的な声で酒造りの若い衆が唄う雰囲気をうまく出している。三味線/藤田米子、尺八/新関徳次郎、太鼓/庄司昭作。
「七階節」(山形)
♪この家に 祝いそなえし 松と竹(松ト竹)
松と竹とは この家の祝い(ソリャ)
松と竹とは この家の祝い(ハァメデタイメデタイ)
素朴で雅趣のある祝い唄。県西の村山郡一円で唄われる。五七五七七の詩型を持ち、末句の七七を繰り返して七節になるところから“七回節”と呼ばれ、回に階の字があてられた。
民謡には珍しい短歌形式で、合いの手の部分があったり、歌舞伎の台詞のようなものが挿入されたりするものもある。三味線付きの唄で歌舞伎踊りの祝い唄だけが残されたものか。
§○石子文子COCF-9306(91)派手さがなく、素朴な田舎の雰囲気。味のある声だ。三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、囃子言葉/羽柴重見。△大塚文雄KICH2463(05)編曲/白石十四男。三味線/千藤幸一、千藤幸次、囃子言葉/大塚文隆、大塚文国、大塚文寛。管弦楽伴奏。いやに力んだくせのある大塚節。美声にまかせて唄い、曲が持つ雅趣と微妙な情感を表現できないきらいがある。
「しょうがいな」(山形)⇒「置賜しょうがいな」
「庄内おばこ」(山形)
♪おばこ来るかやと(アーコリャコリャ)
たんぼのはンずれまで 出て見たば(コバエテ コバエテ)
おばこ来もせで(アーコリャコリャ)
用のない煙草売りなど ふれて来る(コバエテ コバエテ)
酒田を中心とした庄内平野の農村部で、酒の席での踊り唄として唄われてきた。歌詞は上の句と下の句が対話形式になっている珍しいもの。これが秋田に移入されて「秋田おばこ」になった。曲節に素朴なさびがあり、リズム感もよい佳曲だ。おばこは若い娘さんのこと。豊年祝いにやってくる門付け芸人の一団が唄っていた出羽節が元唄のようである。
§○辻とよ子COCF-13286(96)農村風景を彷彿させる歌唱。三味線/庄司満里子、井上良次、鉦/安食秀陽、尺八/庄司啓吉、今泉侃惇、太鼓/山田富雄、囃子言葉/今泉麗子、井上正子。○関本とみ子COCJ-30335(99)三味線/光股愛子、太鼓/岡野正夫、囃子言葉/三浦喜美子。若さがあり、強い声で野趣に富む。力強い三味線は土地の匂いがあふれている。この唄は美声だけでは唄いこなせない。
「庄内土搗き唄」(山形)
♪(アーヤサヤレ ホラヤサヤレ)
ソーランエー 今日は日もよし 天気も良いしナーエー
(アーヤサヤレ ホラヤサヤレ)
ヤートコセー ヨーイヤナー 鶴と亀との舞い遊び(ハイ)
ヨーイヨーイヨーイヤナ
ハラリャリャン コリャリャン ヨーイトナー(ハイ)
ソーリャ ハーレワ ハリャリャリャリャーン(ハイ)
ヨーイトコ ヨーイトコナー
(アーヤサヤレ アーヤサヤレ ホラヤサヤレ)
ソーランエー上げれば落ちる 土搗きの音だナーエー
(アーヤサヤレ アーヤサヤレ)
ヤートコセー ヨーイヤナー 重い土搗きで 固まる地面(ハイ)
ヨーイ ヨーイ ヨーイヤナ
ハラリャリャン コリャリャン ヨーイトナー(ハイ)
ソーリャ ハーレワ ハリャリャリャリャーン(ハイ)
ヨーイトコ ヨーイトコナー
これぞ民謡、労働の唄。かつて土搗き唄は全国各地で唄われていた。いまでは作業が機械化され、唄われる機会もなくなってしまった。
§○渡辺喜太郎CRCM-10016(98)太鼓、掛け声/黒石よしえ。野趣があり、素朴で強いなまりに味わいがある。
「庄内はいや」(山形)
♪(ア オイヤサー オイヤサ)
ハイヤー出羽の(ア オイヤサー オイヤサ)
三山 宝の山だヨ(ア オイヤサー オイヤサ)
五穀豊穣の コーリャ守り神(ア オイヤサー オイヤサ)
ハイヤー出羽の(ア オイヤサー オイヤサ)
庄内 お米のでどこヨ(ア オイヤサー オイヤサ)
秋にゃ実りの コーリャ花が咲く(ア オイヤサー オイヤサ)
賑やかな酒盛り唄。県北西部、最上川河口に開けた港町酒田を中心とする庄内平野の村で、農民達が土洗いなどと呼ぶ遊びの日に唄ってきた。九州天草や牛深(うしぶか)の酒席の騒ぎ唄であるハイヤ節が変化したものだ。
北前船の船人が置き土産していったハイヤ節は、江戸時代の末には日本全国の港で盛んに唄われた。近郷の農民が酒田に遊びに行って習い覚え、故郷へ持ち帰って唄うと、それがいつしか定着して庄内のものとなった。海のハイヤとは違う陸のハイヤ節である。東北ではイをエと発音して“はえや節”と呼ぶ。
§○辻政美(秀菁)TFC-1206(99)野趣がある元気よい爺様の唄。重厚な伴奏が付いているが、お囃子方の名前は記載されていない。辻は大正十三(1924)年、寒河江市(さがえし)の生まれ。昭和十九(1944)年、福島の初代鈴木正夫の門を叩く。同二十五(1950)年、山形の斉藤桃青が主宰する民謡会に入会して節と喉を鍛えた。COCJ-30335(99)素朴で土地の匂いがいっぱい。三味線/庄司満里子、尺八/菊地久蔵、太鼓/工藤登、鉦/山田鶴助、囃子言葉/宇野幸子、臼田せい子。○早坂光枝KIC
H-8203(96)三味線/藤本e丈、藤本秀心、藤本直秀、笛/米谷威和男、尺八/米谷和修、鳴り物/美鵬駒三朗、美鵬那る駒、囃子言葉/西田和枝、西田和美。賑やかな雰囲気をお座敷調にうまく唄っている。
「新庄節」(山形)
♪ハァー(ハキタサ)
あの山高うて 新庄が見えぬ(ハキタサ)
新庄恋しや 山憎や(ハキタサ)
ハァー(ハキタサ)
猿羽根山(さばねやま)越え 舟形(ふながた)越えて(ハキタサ)
逢いに来たぞや 馬(ばん)(万)場(ば)町(ちょう)へ(ハキタサ)
酒席の騒ぎ唄で甚句の一種。明治六(1873)年にできた万場町(ばんばちょう)の遊廓で唄い始められた。草刈りの往来に唄っていた草刈り馬子唄(羽根沢節)が徐々に変化したものだ。万場町でお座敷唄として磨き上げられていく。野暮で小粋で哀切な味わいがある。猿羽根山は標高150b。峠は羽州街道の要所だった。
大正三(1914)年、新庄三吉座のこけら落しに来演した尾上多賀之丞に改作を頼み、振り付けも依頼して今日の新庄節が完成したという。
派手な裾模様の着流し姿でステージに立ち、スポットを浴びて美声を張り上げる当代の人気歌手たちにとって、うまく唄いこなせない唄のひとつだ。
§◎今泉侃惇COCF-6547(90)端正な歌唱に好感が持てる。加えて何ともいえない味と渋さを醸し出すうまさがある。三味線/庄司満里子、井上良次、尺八/安井鳳憧、篠塚慕憧、太鼓/美波駒輔、鉦/美波とし輔、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春恵。TFC-1202(99)三味線/庄司満里子、井上良次、尺八/渡部勇、鳴り物/工藤登、佐藤勝弥、囃子言葉/宇野きぬえ。○佐藤節子COCJ-30335(99)粘り声に野趣がある。野で働く女性の雰囲気を持ち、土地の匂いを醸し出す。三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、太鼓/美波三駒、鉦/美波駒輔、囃子言葉/添田和子、佐藤幸枝。
「新花笠音頭」(山形)
♪板谷越えれば わしらが在所
(ハァ くるりとセ)
ほれさ機織る 音がする
(ハァ くるりと回して くるりとセ)
矢野亮作詞、吉田矢健治作曲の新民謡。
§三橋美智也KICH-2184(96)白石十四男編曲。三味線/藤本e丈、キング合唱団。管弦楽伴奏。矢野、吉田矢、三橋のトリオは「お花ちゃん」(斎藤京子とのデュエット曲)「夕焼けとんび」「岩手の和尚さん」などの歌謡曲を生み出している。矢野亮は本名三上好雄(?-1986)。戦前は岡晴夫担当のレコーディングディレクターだったが、岡の曲を作詞したのをきっかけに作詞を始める。時代を鋭くとらえた視線と、古き良き日本の情景を歌に残すというコンセプトで数々のヒット曲を生み出した。最大のヒットは三橋の「りんご村から」。作曲の吉田矢健治(1923-1998)は、山口県岩国市出身。作家の司馬遼太郎とは、旧満州の四平(公主嶺)にあった陸軍戦車学校の同期生だった。
「大黒舞い」(山形)⇒「山形大黒舞い」
「花笠音頭」(山形)
♪めでためでたの 若松さまよ 枝も(チョイチョイ)
栄えて 葉も茂る(ハァ ヤッショ マカショー シャンシャンシャン)
花の山形 紅葉の天童 雪を(チョイチョイ)
眺むる 尾花沢(ハァ ヤッショ マカショー シャンシャンシャン)
昭和十(1935)年頃に作られた。花笠踊り、花笠盆踊り唄とも呼ばれる。山形の有海桃洀(1894-?)は、弟子の伊藤桃華が覚えていた土搗き唄の節に工夫をこらした。弟子の堀江友治が伴奏を、三沢新次郎が踊りの振りを付けて花笠音頭が誕生する。さらに東根市の斎藤桃菁が節回しを改良して、同二十五(1950)年、山形市役所主催の民謡大会で、弟子の結城誠一に唄わせたところ大評判となった。
唄の元となった土搗き唄は、大正八(1919)年九月着工、同十(1921)年五月に完成した尾花沢徳良湖築堤工事で唄われたもので、作業員たちは船方節や八木節などを適当にミックスして唄っていた。ヤッショマカショの囃子言葉は、土搗きの際の掛け声だ。
花笠踊り発祥の地・尾花沢では、毎年八月二十七、八日に花笠まつりの大パレードが行われている。華麗に花笠を回す踊りは、各地区ごとの伝統の笠まわし踊りとして、上町流、寺内流、安久戸流、原田流、名木沢流の五流派が受け継いでいる。
山形市で行われる花笠まつりは、八月五〜七日、山形市内のメインストリート(山形市十日町〜本町〜七日町通り)1.2kmで行われる。
参加団体は約百団体。踊手約一万人。観客数約百万人という東北の代表的な祭となった。華やかに彩られた蔵王大権現の山車を先頭に、ヤッショマカショの勇ましい掛け声と、花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響く。華麗な女踊り「薫風最上川」と勇壮な男踊り「蔵王暁光」のほかに、尾花沢の笠回しや、趣向を凝らした創作踊りなども演じられる。花笠に付けた紅色の六つの花は山形県花の紅花だ。
§◎初代鈴木正夫「花笠踊り」VFD-8172(95)小野金次郎補作詞、小沢直与志編曲。管弦楽伴奏。歌謡曲風アレンジ。鈴木正夫の聴いていて心地よい巧みな小節は、遠くて懐かしいふるさとへの郷愁を呼び起こしてくれる。○今泉侃惇28CF-2874(88)尺八/矢下勇、三味線/市川紫、小沢千月、笛/米谷威和男、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴三、囃子言葉/飯田優子、高橋利枝。COCJ-31889(02)三味線/庄司満里子、藤田よね、井上良次、尺八/庄司啓吉、鉦/安食秀陽、太鼓/山田富雄、囃子言葉/今泉麗子、井上正子。○日景裕子48CF-2420(88)三味線/立石利行、尺八/日景寛悦、太鼓/日景玲子、囃子言葉/西田和枝、阿部栄子。めんこい山形おばこの風情。○三橋美智也KICH-2417(06)藤間哲郎作詞、山口俊郎編曲。三味線/豊吉、豊寿、尺八、鳴り物/音羽会、囃子言葉/キング民謡合唱団。管弦楽伴奏。三橋(1930-1996)は巧みな小節と高音の魅力で、高度成長期歌謡界の寵児となった。彼の最盛期の声を伝えていて心地よい。山口俊郎の編曲は、民謡初心者にとって親しみやすいものとなっている。△K30-X23(85)三味線/藤本e丈、藤本秀也、尺八/菊池淡水、笛/米谷威和男、鳴り物/美波三駒、美波駒富士、囃子言葉/音羽会。管弦楽伴奏の唄と比較すると、爽快感はかなり減少。
「羽根沢節」(山形)
♪(ハ キタサ)
ハァたとえ鮭川の 橋ゃ流れても(ハ キタサ)
羽根沢通いはナー 止められぬ(ハ キタサ)
ハァおらが羽根沢に 来てみやしゃんせ(ハ キタサ)
いつも変わらぬナー 湯の煙(ハ キタサ)
最上郡(もがみぐん)鮭川村(さけがわむら)にある羽根沢温泉は、鮭川に注ぐ曲川支流の渓谷にあり、大正八(1919)年、石油試掘の際に湯が噴出した。奥羽山脈の山間の静かなところにあり、湯量も多い。草刈り唄が温泉宿のお座敷で唄い替えられ、洗練されてできあがった。
§○早坂光枝KICH-8203(96)三味線/藤本e丈、藤本秀心、藤本直秀、笛/米谷威和男、尺八/米谷和修、鳴り物/美鵬駒三朗、美鵬那る駒、囃子言葉/西田和枝、西田和美。
「東根三階節」(山形)
♪お盃酒を注いだが お肴に何やら(ナニーヤラ)
何やら 松の小枝にとまる 小鷹鳥 小鷹(ホイ)
眺めて お肴に(ハー イッセーイッセー)
東根市を中心に、北村山地方や西村山地方の祝儀唄。三つの歌詞が一対になっているところから三階節と呼ばれる。東根市には、歌詞七つを一組にして唄う七階節がある。
§○辻秀菁COCF-9306(91)尺八/今泉侃惇、庄司啓吉、掛け声/会田昌志、手拍子/安食秀陽、山田富雄。素朴な味があり、仕事唄らしく唄っている。息継ぎが苦しい部分もあるが、それがかえって労働唄らしい野趣を感じさせる。
「紅花染め唄」(山形)
♪昔そもじと 紅花染めは
色がさめても ソレ気は残るテノ
(ソマレー ソマレ)
摘み取った紅花を桶に入れて足で踏み、黄色を洗い流して水を切り、一日から二日陰干しにすると粘りが出てくる。それをまた足で踏んで餅のようにする。3cmぐらいの餅型に丸めて乾燥したものを花餅といい、これが京や上方に運ばれて染め物に使用された。大変高価で貴重な品であった。
紅花染めは、紅花に梅の実の液を加え、木綿をひたして染める。紅花の里として知られる山形市高瀬地区は、アニメ映画「おもひでぽろぽろ」の舞台にもなったところ。
§○大塚文雄KICH-8112(93)尺八/米谷威和男、囃子言葉/西田和枝。
「紅花(べにばな)摘(つ)み唄」(山形)
♪千歳山(ちとせやま)からナー 紅花(こうか)の種(たね)蒔(ま)いたヨー(ハ シャンシャン)
それで山形 花だらけ(サァサ摘マシャレ 摘マシャレ)
咲いた花よりナー 見る花よりもヨー(ハ シャンシャン)
摘んで楽しい 花の唄(サァサ 摘マシャレ摘マシャレ)
県のほぼ中央部、村山郡一帯は、口紅や染料の原料となる紅花の産地である。紅花は初夏の頃に黄色の花を付け、黄色が紅色に変わると紅花摘みが行われる。茎には手を痛めるとげがあり、花摘みは露に濡れて、とげが柔らかい早朝に行われる。紅花はインドから中国をへて日本に入った。県下では、十七世紀中頃から栽培が始められる。京都方面から紅花の仲買人が大勢集まり、市が開かれた。この唄は、大正五(1916)年、東北六県の共進会が山形で開かれた折りに歌詞が作られ、昭和七(1932)年、加藤桃菊がNHK仙台放送局から初放送して一躍有名になった。
千歳山(471b)は山形市の東部にあり、全山が松に覆われた円錐形の優雅な山。千歳山の古松の精と契りを結んだ阿古耶姫(あこやひめ)伝説で知られる。
§◎加藤桃菊TFC-1203(99)三味線/庄司満里子、志村幸子、尺八/庄司啓吉、囃子言葉/遠藤セイ子。爺様の声。素朴で野趣があり、いかにも仕事唄らしい雰囲気を醸している。○岸千恵子CF-5OO2(89)力強い歌唱。お囃子方不記載。△川崎千恵子VZCG-133(97)三味線/川崎愛子、川崎英世、笛/老成参州、尺八/斉藤参男、鳴り物/美波駒世、美波駒富士、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春陽。気取りがあって、美人の姉さんが唄っているような感じを出す。
「豊年祝い唄」(山形)
♪ハァ 俵振り振り(ハ コリャコリャ)大黒舞えば(コリャ豊年ダ)
恵比寿(ハ コリャコリャ)斗升で音頭取る
(コリャ豊年ダ コリャ豊年ダ)
稲の豊作を祈願したり、豊作に感謝する唄。豊年踊りに唄われる。
§○今泉侃惇CF-3455(89)三味線/藤田よね、井上良次、尺八/沼沢弘、太鼓/美波駒三郎、鉦/美波那る駒、囃子言葉/白瀬春陽、白瀬春恵。CRCM-1OO16(98)尺八/新関徳次郎、三味線/庄司昭作、鉦/加藤桃菊、掛け声/町田忠雄。△町田忠雄COCF-13286(96)味のある明るく高い声。おめでたい気分がよく出ている。三味線/庄司満里子、藤田よね、尺八/今泉侃惇、太鼓/山田富雄、囃子言葉/今泉麗子、井上正子。
「真室川音頭」(山形)
♪わたしゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた 新庄の鴬(うぐいす)よ(ハ コリャコリャ)
花の咲くのを 待ち兼ねて コーオリャ
蕾(つぼみ)のうちから 通てくる
(ハァ ドントコイ ドントコイ)
真室川町は県の最北端にあり、豊かな山林に恵まれた土地である。大正期に鉱山(現在は廃坑)が開発され、全国各地から出稼ぎ労働者が多く集まってきた。昭和初年から鶴沢ダム(尾花沢市(おばなざわし)鶴子(つるこ))の建設工事が始まり、同六(1931)年に竣工。同十一(1936)年には、野々村集落にある民間飛行場の整備工事が始まり、同十五(1940)年から旧陸軍飛行場へ転用するための大拡張工事が始まった。全国から集まった出稼ぎ労働者がたちは、仕事が終わって酒宴が始まると、ナット節を卑猥(ひわい)に改変した「真室川花電車」を唄って大いに盛り上がっていた。ナット節は、明治期に千島(ちしま)や樺太(からふと)へ出稼ぎに行った労働者たちが唄っていた作業唄である。
昭和五(1930)年、真室川に料亭山水が建つ。真室川出身の近岡ナカエが宮城県女川(おながわ)漁港の料亭で働いていた頃、北海道の船乗りが唄うナット節を覚え、真室川へ持ち帰った。その唄は鉱山や飛行場建設に携わる労働者や兵隊たちの間で「山水小唄」と呼ばれて人気を呼ぶ。
昭和二十四(1949)年、真室川の料亭紅屋の女将お春(佐藤ハル)は、真室川花電車、山水小唄と姿を変えたナット節の文句を改め、三味線の手を付けて「真室川小唄」を作り上げた。翌二十五年、伊藤かづ子がレコードに吹き込む。同二十七(1952)年、真室川町が歌詞を公募。久保幸江、榎本美佐江、林伊佐緒などがアレンジ曲を唄って全国的に流行する。品格に乏しく土俗的な唄だが、曲調は面白い。
§◎伊藤かづ子VZCG-133(97)土地の匂いが強い歌唱。清澄でない声に野趣がある。尺八/矢下勇、三味線/高橋祐次郎、高橋巌、大場清、太鼓/日影玲子、鉦/高橋美代子、囃子言葉/浅草ひでこ社中。○辻とよ子COCF-13286(96)素朴な野趣ある歌唱で、言葉は明晰。裏声を使う部分があり、巧みな三味線は唄を盛り上げる。三味線/庄司満里子、藤田よね、尺八/庄司啓吉、今泉侃惇、鉦/安食秀陽、太鼓/山田富雄、囃子言葉/今泉麗子、井上正子。△三浦喜美子48CF-2420(88)ことさらな技巧がなく、自分を民謡歌手だと思っていないような歌唱に好感が持てる。三味線/三股愛子、鈴木金雄、尺八/矢下勇、太鼓/浜田政子、鉦/池田忠弥、囃子言葉/松本松子。
「豆ひき唄」(山形)
♪豆はこう挽(ひ)けヨ(ソレ)こうして まろけドントヤーヤ
馬はこうして こうつけろ サアサ引かしゃれドントヤーヤ
風は東北風(ならい)でヨ(ソレ)日和(ひより)が続くドントヤーヤ
今年しゃ豆ひき 大当たり サアサ引かしゃれドントヤーヤ
豆ひきの作業唄。豆ひきとは、乾燥した豆殻から豆を打ち落とす作業のこと。元唄は福島県伊達地方の機織り唄ともいわれる。後藤桃水(1880-1960)が、宮城県の機織り唄に福島県伊達郡の桑摘み唄の曲節を取り入れ、まとめあげた。
§◎斉藤桃菁CRCM-1OO15(98)三味線/庄司まり子、尺八/関義雄、菊地久蔵、太鼓/工藤登、鉦/辻政美、掛け声/庄司昭作。味わいと渋さがある素朴な爺様の声。○今泉侃惇COCF-9306(91)唄の文句は明晰で、節回しに味がある。三味線/庄司満里子、井上良次、尺八/木村玲憧、太鼓/美波駒輔、鉦/美波とし輔、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春恵。○菅原志美子APCJ-5033(94)美声でお色気もあり、野趣も備えている。お囃子方はCD一括記載。
「村山馬喰節」⇒「山形馬喰節」
「最上おばこ」(山形)
♪おばこどこサ行く(コイチャ)
うしろの小山サ ほん菜コ折りに(ハオバコデモテコイ)
おばこ美しや(コイチャ)
三月ご節句の 桃の花(ハオバコデモテコイ)
素朴なおばこ節。おばこは若い娘さんのこと。愛らしい女の子に関心を抱き、なんとか気を引こうとする若者の心情が表れている。
§◎宇野きぬえCRCM-1OO15(98)尺八/新関徳次郎、掛け声/宇野幸子、臼田セイ子。野趣と味があり、声もよく出ている。宇野は大正九(1920)年、村山市生まれ。昭和二十(1945)年、結城藤右ヱ門に入門して山形県の古民謡、正調民謡を習得した。掛け声の幸子は宇野の娘。
「最上川舟唄」(山形)
♪(ヨーイサノマカショ エーンヤコラマーカセ
エーエンヤァ エーエヤァエーエ エーエヤァ エード
ヨーイサノマカショ エンヤコラマーカセ)
酒田サ行ぐさげ まめ(達者)でろちゃ ヨイトコラサノセ
はやり風邪など 引かねよに
(エーエンヤァ エーエヤァエーエ エーエヤァエード
ヨーイサノ マカショ エーンヤコラマーカセ
まっかん大根の塩汁煮塩がしょぱくて食らわんね
ちゃエーエンヤァエーエ エエーエヤァ エード
ヨーイサノ マカショ エーンヤ コラマーカセ)
最上川は全国第七位の長さ(229km)を持ち、熊本県の球磨川、静岡県の富士川と並んで日本三大急流のひとつに数えられている。山形市から北へ15km、最上川左岸の西村山郡大江町左沢(あてらざわ)は船の中継地として栄えた。
昭和十一(1936)年、NHK仙台放送局は「最上川を下る」という番組作成のため、左沢に住む渡辺国俊に協力を依頼する。渡辺は同地の民謡家・後藤岩太郎と二人で、最上川の舟唄の復元を試みた。寒河江(さがえ)の後藤作太郎、与三郎の両人から掛け声を教えてもらい、それに山形市船町から嫁いできて古い唄を知っていた菊池キクの唄を合わせた。さらに左沢の元船頭の女房・佐藤やすから“エンヤラヤ”が酒田化した“松前くずし”を聴いて、そこから最上川の舟唄をまとめあげたという。エンヤラヤは九州に生まれた鯨(くじら)漁(りょう)の艪(ろ)漕(こ)ぎ唄である。
昭和十六(1941)年五月、同放送局は民俗学者、作曲家、音楽評論家、民謡研究家など、二十一人の学識経験者を東北に招き、その地の風俗、雰囲気の中で親しく民謡を見聞し、討議を重ねるという企画を立てた。これが日本民謡研究史に残る東北民謡視聴の旅である。このときのメンバーは柳田(やなぎた)国男(くにお)、折口(おりくち)信夫(しのぶ)、土岐(とき)善(ぜん)麿(まろ)、堀内(ほりうち)敬三(けいぞう)、田辺(たなべ)尚(ひさ)雄(お)、中山(なかやま)晋(しん)平(ぺい)、信(のぶ)時(とき)潔(きよし)、町田(まちだ)嘉(か)章(しょう)(佳聲)、武田(たけだ)忠(ちゅう)一郎(いちろう)、藤井(ふじい)清水(きよみ)、小寺(こでら)融(ゆう)吉(きち)、宮原(みやはら)禎(てい)次(じ)、金子(かねこ)洋文(ようぶん)、紙(かみ)恭(きょう)輔(すけ)、西角井正慶(にしつのいまさよし)、山下彬磨(やましたしげまろ)などであり、中山晋平(1887-1952)はこの唄を聴いて、ロシアのボルガの舟歌より優れていると称賛したという。なお、二番の文句の表記を「あの娘(こ)がいねげりゃ航海乗りなどすねがった」とするのは誤りで「航海乗り」は「小鵜飼乗り」が正しい。
§◎後藤岩太郎CF-3661(89)芸の力を超えた味わいがあって、当代の人気歌手の歌唱など足元にも及ばない。最上川の流れに乗って唄われるような、いかにも船頭唄の雰囲気を醸し出している。◎COCF-12697(95)掛け声/伊藤喜助。○今泉侃惇VZCG-133(97)尺八/米谷威和男、掛け声不記載。CRCM-1OO15(98)FGS-603
(98)尺八/新関徳次郎、掛け声/町田忠雄。端正な歌唱。COCJ-32320(03)尺八/庄司啓吉、掛け声/赤城三郎、町田忠雄。船頭らしい声で強さもある。尺八は少々間延びしている。○羽柴重見COCJ-31888(02)尺八/渡辺輝憧、囃子言葉/深町昭、小林輝諷、藤光夫。高くて枯れた声。贅肉(ぜいにく)のとれた痩身(そうしん)の船頭さんの姿が彷彿(ほうふつ)する。ほとんどの歌手が酒田サ行ぐさげ」と唄うが、羽柴だけが「行ぐさけ」と唄っている。「さげ」「さけ」「はげ」の語は、関西弁で理由を表す「さかい」が移入されたものであると考えられるから「さけ」と唄うのが適切だ。△星川誠司OODG
-73(86)上州八木節保存会が、関東なまりで掛け声を掛ける。星川の追分も悪くなく、曲の構成もよい。尺八/矢下勇厳、囃子言葉/高橋龍篁、外山正一、唄/上州八木節保存会。
「もみすり唄」(山形)
♪挽(ひ)けよナー 挽け挽けヨ(ソレ)挽くほど 積もるヨ(ハーヨーイトヨイト)
積んだるナー 俵はヨ(サテ)チョイト 菊模様(ハーヨーイトヨイト)
お米ナー 一粒もヨ(ソレ)粗末にするなヨ(ハーヨーイトヨイト)
八十ナー 八度(やたび)のヨ(サテ)チョイト 手がかかる(ハーヨーイトヨイト)
昭和十一(1936)年頃、NHK仙台局が山形民謡を放送する際、山形市の民謡家・有海桃洀(ありうみとうしゅう)に“もみすり唄”の歌唱を依頼した。当地にもみすり唄が残っていなかったため、有海は近くの酒蔵で杜氏(とうじ)が唄っていた酒造り唄の中の櫂(かい)突き唄をもとにして曲を作り、歌詞も作って放送した。
昭和の初期、籾(もみ)は臼(うす)で挽いていた。収穫した米は籾殻(もみがら)で覆われている。籾摺りは籾殻を取って玄米の状態にする作業である。穂から籾を落とし、庭に敷いた筵(むしろ)に広げて十分に乾燥させる。それから籾摺り臼にかけて籾殻を取る。臼は大きなもので直径1〜1.5b、厚さ30aぐらいの丸い石を二重にし、穴をあけた上の石を牛馬や人手を使って回転させ、穴から籾を落とし、下の石と摺り合わせて籾を取る。少量の場合は小さな臼を使い、女子衆が夜なべ仕事で臼を回した。
§◎有海桃洀TFC-1201(99)掛け声不記載。音源はSP盤から。○宇井秀峰CO
CF-9306(91)派手さのない野良臭い歌唱で、いかにも作業唄という味を出している。三味線/佐藤照子、尺八/遠藤秀竹、太鼓/山田富雄、鉦/安食秀陽、掛け声/斎藤陽子、海谷清子。
「山形大津絵」(山形)
♪楽しみも(イヨー)苦しみも(ンーヤ)
嬉しきことも(ンーヤ)憂きことも
世のありさまを(ンーリャーコーリャ)つらつらと(ンー)
人の身の上(ウー)今日見れば
明日は(ジーャウー)我が身の上となる(ンー)
げに定めなき浮き雲の(ンーヤ)
月の光を見やしゃんせ(ハァーキターコーリャ)
俗謡の大津絵は、滋賀県大津の宿で売り出された絵を題材にした唄で、大津絵は古くから無病(むびょう)息災(そくさい)、雷よけ、五穀成就、良縁など、まじないの護符として用いられた。大津絵節はこれを歌詞に綴ったものだ。大津の名物唄として、文政(1818-1829)の頃から遊郭を中心に上方まで流行した。さらに幕末から明治にかけて日本全国で流行。一番の唄の文句は、福島県三春(みはる)出身の自由民権運動の指導者・河野広中(1849-1923)が作詞したといわれている。
§○辻秀菁(政美)COCF-9306(91)田舎くさいが雅趣がある。尺八/遠藤秀竹、掛け声/会田秀玉。掛け声は不明瞭。CRCM-1OO16(98)尺八/関義雄、菊地久蔵、掛け声/斉藤桃菁。斉藤桃菁は辻の師匠にあたる。音はコロムビア盤の方がよい。
「山形金堀り唄」(山形)
♪ハァおらが父さま 金山の主だナンヨ
(ハ ヨイショデコラショ)
わしも子じゃもの 山の主
(ハ ヨイショデコラショ)
鉱山の労働唄。民謡家の加藤桃菊が発掘して世に出した。現在では三味線の手が付けられ、お座敷唄として唄われている。
§○羽柴重見CF-3455(89)三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、太鼓/美波三鶴、鉦/美波駒輔、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春陽。枯れた独特の声だが、繊細すぎて迫力に欠けるきらいがあり、もう少し力強さ欲しいところ。
「山形木挽(こびき)唄」(山形)
♪ハァー旦那喜べ(コイナンダ)今度の山はヨ
(ハーゾロントコイ)
ハァー尺幅揃いの(コイナンダ)柾がでるヨ
(ハァ ゾロントイッテ ゾロントコイ)
山形県は山林が多く林業が盛んである。かつて大きな鋸(のこぎり)を持って山に入った木(こ)挽(び)きには、各地を渡り歩く渡り木挽きと、地元に定着して働く地元木挽きがあった。渡り木挽きは諸国を遍歴した西行法師になぞらえて西行さんとも呼ばれる。木挽きは、伐りだした大きな木を鋸で曳き、板などの建築材を作ることが主な仕事である。
§○町田忠雄COCJ-30335(99)味のある声。山の澄んだ空気と青空を感じさせるような歌唱である。尺八/今泉侃惇、掛け声/辻秀菁。△岡崎義右衛門CRCM-100
15(98)くせのない自然体の歌唱で、好感が持てる。尺八/新関徳次郎、掛け声/今泉侃惇。△横山武山APCJ-5033(94)渋いお爺さんの木挽きが唄っている雰囲気がある。
「山形大黒舞い」(山形)
♪サァサァサァー 儲(も)け出した儲け出したナ(ソレソレ)
コラ何がさてまた儲け出したナ(ソレソレ)
こちの旦那様お心良しで(ソレ)
商売繁盛で儲け出したナ(ソレソレ)
コラ七十五軒の蔵を建て(ソレソレ)
今年ゃ豊年よい年だよ(ソレ)
陸(おか)作(さく)田作も万作で(ソレソレ)
コラ稲を刈ってみたれば
コラ十万八千刈ったとや
四束(しそく)三把(ば)で五斗八升(アーソレソレ)
俵立てておき(ソレ)
桝も入らずに箕ではかる(ソレソレ)
コラ米を積んでみたれば
コラ七万俵 お旦那様もお喜び(アーソレソレ)
町も在郷も賑やかだよ(ソレ)
納まるところはサァ 何よりもめでたいとナ
正月になると村に大黒舞いがやってくる。頭巾(ずきん)をかぶり、はっぴを着て、たっつけ袴(はかま)をはき、右手に小槌(こづち)、左手に日の丸扇を持って、めでたい口(こう)上(じょう)を述べる。この風習は全国的なもので、めでたづくしの文句を、ほとんど節のない地口風の語りで進めていく。西村山郡河北町高島に住む斎藤力夫は、村山地方の大黒舞いを唄っていた。これを大泉さだよが覚えて節回しを改良。昭和二十四(1949)五年頃、大泉節の大黒舞いを作りあげた。これが県下に広がって山形大黒舞いとなった。
§◎大泉さだよTFC-1202(99)伴奏者、掛け声、囃子言葉は不記載。なまりがいっぱいで土の匂いがあふれる。音源はSP盤。○今泉侃惇COCF-14301(97)三味線/井上良次、太鼓/後藤昭三、鉦/山田鶴助、囃子言葉/芳賀朋子、三浦正子。自然体で野趣、味、渋さ、雰囲気申し分なし。GES-31312(02)三味線/井上良次、尺八/渡辺壮憧、安井鳳憧、太鼓/美波駒輔、鉦/美波とし輔、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春恵。○会田正志COCF-9306(91)素朴で力まず自然体。淡々と唄って、味、渋さよし。三味線/井上良次、尺八/庄司啓吉、鉦/安食秀陽、小槌/辻政美、囃子言葉/今泉麗子、井上正子。○辻政美CRCM-1OO15(98)三味線/庄司まり子、尺八/新関徳次郎、関義雄、菊地久蔵、木槌/庄司昭作、鉦/加藤桃菊、掛け声/結城誠一。FGS-603(98)△大塚文雄KICH2463(05)美声に溺れず、肩肘張らないで唄っている。元気のよい大黒舞い。三味線/藤本e丈、藤本秀茂、尺八/米谷威和男、鳴り物/福原由次郎社中、囃子言葉/初山勝輝、鈴木義雄、昆勝一郎。KICH-8112(93)山形弁の口上付き。三味線/高橋脩市郎、尺八/米谷威和男、鳴り物/荒井ふみ子、美波佐輔、囃子言葉/西田和枝、西田美和。
「山形馬喰(ばくろう)節(村山馬喰節)」(山形)
♪ハァーエードエ
竿頭(かんとう)にナァーヨーエ 幟(のぼり)のヨーエ
小坂の茶屋ヨー
最上のナーエー 馬喰さんヨーナーエ
お帰りの際にはヨー(ハーイハイト)
お寄りくださんせヨー
ほんにナァーヨーエ ほんにナァーヨーエ
待ちておるヨー(ハーイハイト)
東村山郡中山町長崎の博労の唄。長崎と尾花沢(おばなざわ)では、定期的に馬市が開かれていた。馬を買い付けにいった博労が行き帰りに唄った。長崎の馬市は西小路通りに開かれ、宝暦のころから寛政、文化の頃が最盛期だったと伝えられている。
何頭もの馬を曵きながら、馬市への往来に唄う馬方節は東北各県に数多くある。いずれもその県の代表的民謡となっているが、山形のものはあまり知られていない。
「最上川舟唄」を作った渡辺国俊は、寒河江市柴橋の柏倉栄吉が覚えていた唄を羽柴重見に覚えさせ、昭和二十二(1947)三年頃、NHKで初放送。柏倉栄吉の家は、代々、博労を稼業としていた。時折、歌詞カードに「関東に上りの」とあるのを見かけるが「竿頭に幟りの」が正しい。
§◎羽柴重見COCJ-30335(99)尺八/仁藤喜由。枯れた高音で唄う。迫力、味、渋さ申し分なし。自信に満ちた歌唱で、馬の姿が見えるようだ。COCF-13286(96)尺八/松本虚山。
「山形盆唄」(山形)
♪ハァーヤーレンヤーレン(ハヨイヨイ)
盆が来た来た 山越え野越え
(ハァ アリャアリャアリャサ)
ハァー稔る黄金の ヤーレン(ハヨイヨイ)
ヤレサ波越えて
(ハァ アリャアリャアリャサ)
山形県西部の村山、置賜(おきたま)両郡にかけて広く唄われているヤレサ型盆踊り唄。新潟県から阿賀野(あがの)川(がわ)沿いに福島県会津地方に入った「越後甚句」が変化して県南部に広まった。昭和六(1931)年、山形新聞が歌詞を募集。節は山形市飯塚町あたりのものをもとに、同地の民謡家・加藤桃菊がまとめあげた。
§○横山武山APCJ-5033(94)泥臭い声で野趣がある。○太田久子COCJ-30335
(99)三味線/市川きよ女、市川節好、尺八/矢下勇、笛/老成参州、太鼓/山田三鶴、鉦/山田鶴助、囃子言葉/三浦喜美子、河東田このみ。野太い声で土地の匂いがする歌唱。△斎藤陽子、大泉逸郎COCF-9306(91)大編成のお囃子。大泉は細いきれいな声だが、少々迫力に欠ける。三味線/佐藤秀絃、佐藤照子、後藤敏雄、鈴木昭一、松田純一、尺八/遠藤秀竹、海谷秀風、山田計秀、桜井芳明、笛/辻秀菁、太鼓/山田富雄、鉦/高木勝雄、囃子言葉/五十嵐慎、海谷清子、松田代志子。大泉は昭和十七(1942)年、山形県西村山郡河北町出身の農業従事者。平成十一(1999)年四月に発売した歌謡曲「孫」が大ヒット。長男の急性骨髄性白血病罹患(りかん)を機に、骨髄バンク支援に尽力している。
「山寺石切り唄」⇒「石切り唄」
「山寺音頭」(山形)
♪山寺街道にさんしょの木二本(サテヨイトナ)
あがらさんしょでヤンレ飲まさんしょ(ソリャ)
チャアトコセーショイヤナ(ハァリャリャンセ)
コレワイノセーササヤレサノセー(アゴキトーゴキトー)
三重県の伊勢神宮へ全国から参詣した人たちによって、伊勢音頭は全国各地に伝えられた。この唄もその系統を引いている。
山寺(宝珠山立石寺)は貞観二(860)年、比叡山第三代座主・慈(じ)覚(かく)大師円仁(えんにん)(794-86
4)が開山。奇岩が続く杉木立の間を縫って千十五段の石段が続く。元禄二(1689)年五月二十七日(新暦七月十三日)、ここを訪れた松尾芭蕉は『閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉(せみ)の声』の句を詠んでいる。円仁は延暦十三(794)年、下野国都賀郡(栃木県)の豪族壬生(みぶ)氏の出身。大同三(808)年、比叡山に登って伝教大師最澄の弟子となる。承和五(838)年に渡唐、承和十四(847)年に帰国。在唐九年間の紀行を『入唐求法巡礼行記』にまとめている。東北各地には慈覚開山の寺が多くあり、宮城県松島の瑞巌寺、岩手県平泉の中尊寺、毛越寺(もうつじ)、青森県恐山の円通寺などが知られる。
§◎斎藤桃菁TFC-1204(99)土の匂いがする味のある美声。桃菁、本名斉藤留次郎は明治三十六(1903)年、東根市出身。東北民謡育ての親である後藤桃水に師事。辻正美と共に県内の民謡を尋ね歩き、収集した民謡を加藤幸松(桃菊)、宮下昇らに伝えた。