2022年04月05日

岩手県の民謡

「相(あい)拳(けん)節(ぶし)(相子節)」(岩手)

♪(ハァ ヨイコラヨイコラ ヨーイトセ ハァドンドンスメスメ シャーントセ

ハァマータモ キッテハ シャーントセ)

相拳相拳と 勝負はつかぬ 勝負分からぬ 夜明けまで

(ハァ ヨイコラヨイコラ ヨーイトセ ハァドンドンスメスメ シャーントセ

ハァマータモ キッテハ シャーントセ)

相拳踊りなら 負けてもよいが 真剣勝負なら 負けられぬ

岩手、秋田県境にある湯田(ゆだ)温泉郷の湯本温泉(西和賀町)に伝えられてきた狐(きつね)拳(けん)の唄。別名、相子節。湯治客(とうじきゃく)と芸者が酒席で賑やかに行う拳遊びは、向き合った二人が庄屋(旦那)、狐、猟師(鉄砲)を身振りで表し、三すくみで勝負を繰り返す。狐は庄屋に勝ち、庄屋は猟師に勝ち、猟師は狐に勝つ。庄屋は両手を膝のうえに置き、狐は中指の爪先を目線に合わせ、手のひらを相手に八の字に向ける。鉄砲は両のこぶしで引き金を引く握り方をする。

三味線や太鼓のお囃子がつくと一層盛り上がり、勝負に負けると酒を飲まされたり、隠し芸をやらされた。江戸新吉原の幇間(ほうかん)・藤八がこの狐拳をやったので、藤八拳とも呼ばれた。秋田県の横手や湯沢方面の花柳界でも流行した。

§○菊池マセ「沢内あいけん節」COCF-13284(96)三味線/井上成美、井上成美栄、尺八/藤丸東清、太鼓/美波祐三郎、囃子言葉/佐藤理子、菅原信子。素朴さのある声に土地の匂いと味がある。△高橋正慶CRCM-1OO13(98)三味線/井上成美、尺八/高橋竹水、太鼓/佐々木利男、鉦/山崎勝世、掛け声/井上一子、池田ミサ子、中岩持勝子。少々声が細く軽い。

「岩手田植え唄」(岩手)

♪御田の神様ハーイ ハァはだござれヨー

盆の上がりのハーイ ハァ早いようにヨー

§○佐々木利男CRCM-10014(98)尺八/藤原正二。

「江刺(えさし)甚句」(岩手)

♪甚句踊りは門まで来たや 爺さま出てみろ アリャ孫連れて

甚句出てくる 座敷は狭い 狭い座敷も広くなる

江刺周辺の農山村で、酒席の騒ぎ唄として唄われている甚句の一種。南部の「なにゃとやら」から派生した秋田甚句の素朴なものが江刺に入り、江刺の甚句となった。赤坂小梅(1906-1992)が、この地を訪れてこの唄を覚え、江刺甚句の名で全国に紹介した。

江刺(奥州市)は東北本線の水沢と北上のほぼ中間、県南部の北上川東側に開けた藤原文化発祥の地で、江刺はアイヌ語のエ(川)サス(砂州)からきている。三陸海岸と遠野へ物資を運ぶ江刺の河港は、明治の中期ごろまで賑わった。市の中心である江刺区岩谷堂には、中世期、江刺氏の居城があった。現在は箪笥で知られている。毎年五月三、四日の二日間、全市を挙げて繰り広げられる「江刺甚句まつり」は、三千人以上の踊り手が街路を埋める。

§◎赤坂小梅COCJ-30700(99)編曲/細田義勝。三味線/豊藤、豊静。豊かな声量と美声、節回しの巧みさ、迫力ある演唱。小梅のうまさが存分にでている。管弦楽伴奏。△池田ミサ子CRCM-1OO13(98)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/佐々木利男、鉦/高橋竹水。少し声がふるえる。もっと強さがほしいところ。

「おいせ坂」(岩手)

♪(ハァ ヤッチョイ ヤッチョイ)

ハァーおいせ坂 ヤァハーエー 七坂八坂 九の坂

(ハァ ヤッチョイ ヤッチョイ)

ハァー十坂目に ヤァハーエー 摺(す)り鉋(がんな)かけて 渡らせる

(ハァ ヤッッチョイ ヤッチョイ)

§○富田房枝VZCG-618(06)三味線/高橋祐次郎、高橋祐貴恵、尺八/米谷幸太、太鼓/山田鶴三、鉦/山田鶴祐、囃子言葉/西田美和、西田和子。野趣ある強い声。

「釜石浜唄」(岩手)

♪奥州(おく)で名高い 釜石浦は(ホイーヤホイ)

いつも大漁で 繁盛する

おらがかんばん 朝日にかもめ(ホイーヤホイ)

波に鯨の 浮く姿

釜石市の沢村遊廓で唄われていたお座敷唄。釜石は宮古とともに三陸漁業の中心地であり、安政四(1857)年、日本最初の洋式高炉が造られてからは鉄の町として栄えてきた。尾崎神社の宮司・山本茗次郎が大正初めに歌詞を作り、昭和に入り大西玉子がレコードに吹き込んだ。

§○晴海洋子COCJ-30334(99)三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、永山裕憧、囃子言葉/白瀬春子、添田和子。粋さをうまく出している。△中岩持勝子COCF-9304(91)泥臭いが味のあるお座敷唄調。三味線/井上成美、囃子言葉/池田ミサ子。△三宅敏子ZV-29(87)編曲/福田正。管弦楽伴奏。三味線/千藤幸蔵/千藤幸園、尺八/米谷龍男、囃子言葉/西田和美。お座敷調をよく出している。

「からめ節」(岩手)

♪(ハァ ドッコイ ドッコイ ドッコイナ)

田舎なれども 南部の国は 西も東も 金の山

(ハァ ドッコイ ドッコイ ドッコイナ

からめてからめて からめた黄金は 岩手の花だよ どんどと吹き出せ

ハァ ドッコイドッコイドッコイナ)

かなめ士が鉱石を金槌で叩きながら唄った。金山から掘り出された鉱石は、かなめ士と呼ばれる女性達によって、こぶし大に砕かれ、ざるに入れ、水洗いして不純物を取り除く。

慶長年間(1596-1614)、白根山金山や尾去沢(おさりざわ)金山などが続々と発見され、南部の国は西も東も金の山となった。唄は同じ南部領だった尾去沢(秋田県)から盛岡に伝えられ、お座敷用に作り変えられて定着する。金山が廃ると、仕事唄としての「からめ節」も廃ったが、明治の初年、節回しや三味線伴奏に手が加えられ、盛岡の花柳界で唄い出された。

唄の文句は盛岡の橘正三が補作。姉さんかぶりの手ぬぐいに赤たすき、大直(おおなお)利(り)と染めた前掛けを付け、小ザルを持った振り付けをした。直利とは、鉱床の中で鉱石の多い部分を指す。

盛岡南部藩第二代利(とし)直(なお)(1576-1632)の臣、南部十左衛門が発見した尾去沢鉱山のおかげで、山奥の一寒村が黄金郷と化し、南部家の財政は豊かになった。人々はそのことを大直利と囃したのである。

§◎佐藤松子KICH-8114(96)三味線/藤本e(ひで)丈(お)、藤本直久、笛/米谷(よねや)威(い)和男(わお)、鳴り物/西泰維、秋山善孝、囃子言葉/佐藤松重、井上弘子。独特の渋い声に独特の味がある松子節。○早坂光枝KICH-2462(05)三味線/藤本e丈、藤本秀輔、笛/福原由次郎、鳴り物/福原由次郎社中、囃子言葉/新井房代、山崎真由美。△成田雲竹COCJ-30670(99)三味線/高橋竹山。△古館千枝、池田ミサ子VZCG-132(97)三味線/高橋祐次郎、井上成美、太鼓/美波駒三郎、鉦/下山早苗。端正にきっちりと唄うが迫力に欠ける。もっと弾んで唄って欲しい。

「くるくる節」(岩手)

♪くるくるとナー くるくるとナー サーヨー(ア ヨイショヨイショ)

車座敷に居流れて サーンサエー(サーンサエー)

居流れてナー 居流れてナーサーヨー(ア ヨイショヨイショ)

下戸も上戸も 皆なびくサーンサエー(サーンサエー)

紙漉(かみす)き作業唄。雅趣ある名曲だ。楮(こうぞ)を溶かしたものを棒でかき混ぜる際に唄った。曲名は唄い出しの文句をとったもの。紙漉き唄として生まれたものでなく、正月にやってくる門付け芸人の唄のなかに「来る来ると今日も来る来る明日も来る長者館に福が来る」とあるのを、一関(いちのせき)近辺の農民が覚え、紙漉き仕事で唄ったものという。

県内の手漉き和紙作りは毎年冬に行われてきた。和賀郡(わがぐん)東和町(とうわちょう)北成島(きたなるしま)(花巻市)の成島和紙と、東磐井郡(ひがしいわいぐん)東山町(ひがしやまちょう)(一関市)の東山(とうざん)和紙が有名。

楮や三椏(みつまた)の木を煮つぶし、紙すき舟に木の繊維と糊を入れ、馬鍬や竹の棒でかく拌する。細い竹ひごで編んだ竹簀(たけず)をはさんだ簀(す)桁(げた)に入れた紙料液を揺り動かして繊維を行き渡らせ、からみ合わす。これを数回繰り返し、漉(す)いた紙は紙床に重ね、一晩置いて水を切り、さらに圧搾機にかけて脱水する。楮色をした東山和紙は、繊細優美で強靭な紙質を持ち、平安時代末から平泉藤原文化遺産の一つとして受け継がれている。

§○伊藤優子COCF-13284(96)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/池田ミサ子、鉦/後田鶴助、囃子言葉/中岩持勝子、山崎勝世。野太い声に野趣がある。のどを抑えた発声をしないで、伸びやかな歌唱がほしいところ。△伊藤千恵子TFC-903(00)伴奏者不記載。野趣ある可憐さを出して唄っている。

「気仙坂(けせんざか)」(岩手)

♪気仙坂ヤァハーエー 七坂八坂 九坂

十坂目にヤァハーエー 鉋(かんな)をかけて 平らめた

それは嘘よヤァハーエー 御人足をかけて 平らめた

ヨイトソーリャー サノナーヨォホーイ

岩手県を中心に、青森、宮城両県で広く唄われている祝い唄。

気仙坂は宮城県気仙沼市から岩手県陸前高田へ抜ける旧道にある坂のことで、曲名は唄い出しの”気仙坂……”から生まれた。男が「御祝い」を唄えば、女が「気仙坂」を唄って祝った。腕のよい気仙大工を唄うところから、かつて気仙大工が唄っていた木遣り唄の一種が祝い唄になったようだ。宮城県の「銭吹き唄」「斉太郎節」「田の草取り唄」「秋田県の姉こもさ」などの元唄とされる。

§◎畠山孝一TFC-1208(99)三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、囃子言葉/岩花賢蔵。迫力があり技ありの演唱。ノイズも一興。CRCM-1OO14(98)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/山崎勝世、鉦/高橋竹水。△岩花賢蔵COCF-

13284(96)味はある。三味線/佐藤光栄、尺八/遠藤時安、太鼓/中岩持勝子、鉦/山田鶴助、囃子言葉/池田ミサ子、山崎勝世。△神谷美和子APCJ-5033(94)野趣はあるが、少しおとなしい歌唱。お囃子方は一括記載。

「御祝い」(岩手)

♪御祝いに 招かれてヤーハー

鶴のお酌で 亀は飲むヤーハー

センヤーハー 飲んだる亀は

小首振り出しゃ 鶴も舞い踊るヤーハー

ヤーめでたいヤーハー

旧南部藩の儀式唄。新年、婚礼、棟上げ式、大漁などの祝いの席で唄われる。唄い出しのセンヤーは、県中央部北上高地にある早池峰(はやちね)神社系の神(か)楽(ぐら)唄からきている。

旧南部領には“御祝い五十”といわれるほど多くの唄があり、曲節も多種多様だ。遠野市の南西部にある小友町(おともちょう)氷(すが)口(ぐち)の氷口御祝は、男女が歌詞も旋律も異なる謡曲と民謡を同時に唄う。男衆の曲目は、婚礼では高砂、四海波、春栄。年祝いでは春栄が松竹に、上棟式では桑の弓に替えて唄われる。すべての謡に対して、女衆は萬(ま)鶴亀(がき)節で唱和。続いて男女一緒に手拍子で調子をとりながら、みやこ節を唄う。

作業唄は作業形態の変化で失われていくが、祝いの席では、酔うほどに唄と踊りが披露され、そこではすでに失われた作業唄も唄われて、かろうじての民謡伝承があった。

§◎初代藤田周次郎COCF-6517(90)素朴な味わいと渋さを兼ね備え、これぞ民謡祝い唄。鼓/二代目藤田周次郎。

「沢内さんさ踊り」(岩手)

♪揃た揃たよ 踊り子が揃た

秋の出穂より サンサまだ揃た

(ハ キタサキタサ)

馬に惚れても 馬喰(ばくろう)さんに惚れな

縞の財布が サンサ空になる

(ハ キタサキタサ)

唄の終わりにサンサヨーと囃す。盛岡市を中心に、南は和賀郡、北は岩手郡にかけて広く分布するさんさ踊りの唄。

毎年、盆になると花笠をかぶった一団が家々を順に踊り歩き、死者の霊を供養する。そんな古風な形式を今に伝える盆踊りである。土地によって少しずつ節回しが異なり、地名を冠して区別している。さんさ踊りは、なにゃとやらが変化してできた古調の秋田甚句の系統をひく。

§○河東田このみCOCJ-30334(99)三味線/安部勲、斎藤かよ、尺八/矢下勇、太鼓/酒井千恵子、鉦/斎藤金丸、囃子言葉/太田久子、北川稲子。△千葉真理子VICG

-2040(90)野趣があり、素朴さもよい。“このみ”“真理子”の名前から受けるイメージとは違い、素朴なおばさんが唄っている。

「沢内甚句」(岩手)

♪沢内三千石 (ソリャ) お米の出どこ (ハイハイト キターサ)

つけて納めた (ソリャ) コリャお蔵米 (ハイハイト キターサ)

大志田(おおしだ)羊歯(しだ)の中 (ソリャ) 貝沢野中 (ハイハイト キターサ)

まして大木原 (ソリャ) コリャ岳の下 (ハイハイト キターサ)

沢内盆地で酒盛りの席で手拍子にあわせて唄われていた。陸中川尻から和賀川に沿って上ったところに、細長い和賀郡沢内村(さわうちむら)(西和賀町)がある。ここには、かつて南部藩の隠し田があった。お米の出どこといっても豪雪地帯であり、春も遅く、必ずしも恵まれた土地であるとは言い難い。しばしば冷害、凶作に見舞われることがあった。

天保年間(1380-1843)の大飢饉のときには、年貢を軽くしてもらうために、およねという娘を藩に差し出したという伝説が残る。唄に出てくる“枡(ます)で計らねで箕(み)で計る”の“箕”は“身”であるという。

唄の母体である秋田甚句が沢内化したようだが、太鼓と手拍子だけで唄われる素朴な唄が明治から大正にかけて、湯本温泉(西和賀町)の芸妓衆が盛んに唄うようになると三味線の手が付いた。曲想もよく、雅趣もある名曲。

§◎大西玉子TFC-1202(99)三味線/藤本e丈、成田敏子、尺八/神山天水、太鼓/美波三駒、鉦/西裕之、囃子言葉/大久保正子、武田真木。COCF-12697(95)三味線/峰村利子、尺八/菊池淡水、太鼓/望月太意之助社中。若い頃の歌唱。この唄の全国普及に貢献した大西、迫力ある美声だが、息継ぎが短いのは加齢のためか。囃子言葉の武田真木は大西の娘で、民謡歌手・原田直之の妻。○漆原栄美子VZCG-132(97)三味線/照井真実都、久保田幸吉、尺八/熊谷三吉、太鼓/月折美津子、鉦/井上一子、囃子言葉/堀井睦子、鷹木陽子。可憐さを残す歌唱。○井上一子COCF-13286(96)三味線/佐藤光栄、尺八/遠藤時安、太鼓/山崎勝世、鉦/山田鶴助、囃子言葉/古館千枝、菅原やす子。少々泥臭さが残るが、その未洗練さがよい。

「さんこ女郎」(岩手)

♪さんこ女郎ヤーエ ハァーエ今朝もよく見たとや

オーサーハァー サンコサー ハーサンコー

橋元でナー 色白くヤーハァエ ハァーエ 眼眼細に見たとや

オーサーハァー サンコサー ハーサンコー

大迫(おおはざま)街道沿いの稗貫郡(ひえぬきぐん)大迫町(おおはさままち)、紫波郡(しわぐん)紫波町(しわちょう)佐(さ)比内(ひない)、盛岡市大田方面で唄われる祝い唄。この地方の田植え唄にも用いられている。貴族や大名の奥向きに勤める女性は上臈(じょうろう)と呼ばれた。この語が転じて、若い女、女性、遊女を女郎と呼んだ。

大迫に橋本屋という茶屋があり、そこに“さん子”という美しい娘がいたことから、この唄が生まれたという。宿場町大迫は、かつては絹の生産が盛んであり、京都との取り引きがあった。今も旧家や商家には、京都で作られたひな人形が多く残されている。

§◎井上一子CRCM-1OO13(98)尺八/高橋竹水。厳粛な、いかにも民謡祝い唄。

「雫石よしゃれ」(岩手)

♪(チョイサノサーサ チョイサノサーサ)

一つ出しますサー はばかりながら サーハーヨー

(チョイサノ サーサ)

唄の違いはサー ごめんなされ よしゃれ サァーハーヨー

(チョイサノ サーサ)

飲めや大黒サー 唄えや恵比寿 サーハーヨー

(チョイサノ サーサ)

中で酌取るサー 福の神よしゃれサァーハーヨー

岩手山の麓、雫石町(しずくいしちょう)では毎年八月中旬に雫石よしゃれ祭が開催され、雫石姉っコたちが、濃紺に白絣(かすり)模様の着物に編み笠の姿でパレードを繰り広げる。

§〇福田こうへいKICH-280(13)三味線/高橋忠大、尺八/村松幸一、笛/岩井利信、鳴り物/美鵬駒三朗、美鵬那る駒、唄ばやし/漆原栄美子。福田は平成二十四(2012)年6月、父親譲りの美声と節回しで、第25回日本民謡フェスティバルにおいてグランプリを受賞。

「渋民にかた節」(岩手)

♪ハァーさてもめでたい ハァーこの家の座敷

四つの隅から ハァー黄金湧く

ハァー差すぞ盃 ハァー中見てあがれ

中にゃ鶴亀 ハァー五葉の松

§〇福田こうへいKICH-280(13)三味線/高橋忠大、尺八/岩井利真。福田は平成二十二(2010)年「南部蝉しぐれ」で歌謡界にデビューした。

「炭焼き甚句」(岩手)

♪ハァー沢の仮橋ヤ おやじが渡る

朝の出掛けに 向山見ればナー

ハァー朝(あさ)葱(ぎ)の煙が 三すじ立つ

窯が呼んでるよ おやじ早くこいヨ

今なら出し時 赤ダイヤ

(ハァー炭焼き稼業はやめられねー ハァ ドッサリドッサリ)

作詞・細川吉登作曲・細川チエ子。

§◎福田こうへいKICH-280(13)三味線/やなだ真栄、村松幸一、尺八/岩

井利真、鳴り物/美鵬駒三朗、美鵬那る駒、唄ばやし/西田美和、西田紀子。

「外山(そとやま)節(ぶし)」(岩手)

♪わたしゃ外山の 日陰の蕨(わらび)(ハイハイ)

だれも折らずで ほだとなる

コラサーノサンサ コラサーノサンサ

わたしゃ外山の 野に咲く桔梗(ききょう)(ハイハイ)

折らば折らんせ 今のうち

コラサーノサンサ コラサーノサンサ

盛岡市から小本街道を東へ20km。石川啄木(1886-1912)の生地として知られる岩手郡玉山村(盛岡市)に、明治の初めに開かれた外山牧場がある。そこで働いている人たちが唄い始めた。まぐさにする草刈り仕事で唄っていた草刈り唄が変化したもののようだ。南部領のなにゃとやらが変化した道南盆唄や、秋田の鷹の巣盆唄のように下の句を繰り返して唄っていた。

明治三十一(1898)年、陸軍省軍馬補充部が胆沢(いさわ)郡金ケ崎町にできると、外山牧場は廃止され、唄も忘れられかけた。昭和の初期に星川萬多蔵が唄を発掘。これを武田忠一郎(1892-1970)が採譜。大西玉子に唄わせる際、返しの部分を省いて整えた。雅趣ある名曲。“ほだとなる”は、枯れるという意味。「コラサッテバヤートセ」と囃す元唄が残っている。

§○岩花賢蔵「正調外山節」TFC-1202(99)囃子言葉の“コラサノサンサ”が“ヤンコリャサッサ”となる。三味線/高橋竹山、尺八/高橋竹水、太鼓/美波駒三郎、囃子言葉/村川光国。永年唄ってきたうまさを感じさせる演唱。明るい調子で気分がよい。岩花賢蔵(1921-?)は岩手郡玉山村出身。福田岩月に師事して腕を上げ、数々ののど自慢大会に出場して優勝を飾った。○古館千枝COCJ-32325(03)三味線/佐藤光栄、尺八/遠藤時安、太鼓/山崎勝世、鉦/山田鶴助、囃子言葉/井上一子、菅原やす子。テンポを遅目に取り、素朴な味わいと土地の匂いを出している。VZCG-132(97)尺八/矢下勇、三味線/高橋祐次郎、井上成美、太鼓/美波駒三郎、鉦/秋元太吉、囃子言葉/佐々木敬子、阿部計子。

「そんでこ節」(岩手)

♪そんでこがナー どこで生まれて声が良いナ コノソンデコナー

(アラソンデコナ アラソンデコナ)

声が良いナー 向かい小山の蝉の巣でナ コノソンデコナー

(アラソンデコナ アラソンデコナ)

牡(か)の鹿(しし)がナー 岩の狭間(はざま)で昼寝したナ コノソンデコナー

(アラソンデコナ アラソンデコナ)

昼寝してナー 狩人(またぎ)が来るのを夢に見たナ コノソンデコナー

(アラソンデコナ アラソンデコナ)

四方を山々に囲まれた下閉伊(しもへい)郡岩泉町(いわいずみちょう)袰(ほろ)綿(わた)地区で生まれた唄。農家の人々は、雪が消えるのを待ち兼ねて野山へ山菜を摘みに行く。数ある山菜のうち、牛尾菜(シオデ)は特に人気があり食用にする。シオデ摘みに出かけた若い男女が、あちらの谷とこちらの沢、あるいは向いの尾根同士、互いに掛け合いで唄った。語尾にコを加えたシオデコは、ソンデコに聞こえる。東北各地に広まり、秋田県では「ひでこ節」になった。

袰綿の名のいわれは、その昔、北朝勢との戦に敗れた南朝側の北畠一族の若君が、家臣とともに同地区に落ち延びてきた。彼らは一族の証として錦の母衣(ほろ)を携(たずさ)えていた。母衣は戦いの時、装飾と流れ矢防御のために鎧(よろい)の背に付ける。その地域は袰(ほろ)錦(にしき)と呼ばれたが、敵の目をあざむくために錦(にしき)を綿(わた)に改めた。唄の文句にでてくる牡(か)(雄)の鹿は落人(おちゅうど)、岩のはざまは山の奥地、狩人は追っ手を意味する。

§○河東田このみCOCJ-30334(99)三味線/安部勲、五月陽子、尺八/矢下勇、太鼓/酒井千恵子、鉦/富藤金丸、囃子言葉/太田久子、北川稲子。貫禄のある歌唱。野良の雰囲気があり、素朴な味がよい。○池田ミサ子CRCM-10014(98)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/山崎勝世、鉦/高橋竹水、囃子言葉/井上一子、中岩持勝子。うまい。△菊池マセCOCF-13284(96)三味線/井上成美、尺八/矢下勇、太鼓/美波那る駒、鉦/美波駒千江、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春陽。元気娘の唄。

「大漁御祝い唄」(岩手)

♪御祝いの事は(エーエ ハハヨイトコラサ)

ヤーハレ繁ければヨ(エーエ ハハヨイトコラサ)

尾上の松も(エーエ ハハヨイトコラサ)

ヤーハレそよめくホホヨート(エーエ ハハヨイトコラサ)

岩手県と青森県の八戸方面で祝いの席で唄われる。参会者一同が正座して威儀を正し、手拍子で唄われる。宮城県の「どや節」にも挿入されている。曲調よく雅趣もある。

§○山崎隆夫COCF-9304(91)三味線/佐藤朝男、加藤健悦、三浦正幸、笛/遠藤時安、尺八/大西正照、熊谷功、吉田謙夫、太鼓/吉田信子、鉦/明石典子、囃子言葉/千葉栄人、佐藤祐幸。

「チャグチャグ馬っこ」(岩手)

♪馬コ嬉(うれ)しか 岩手山(おやま)へ参ろ

金のくつわに 染め手綱

チャグチャグ馬コが ものいうた

じゃじゃもいねから おへれんせ

小野金次郎作詞、小沢直与志作曲。昭和三十二(1957)年、伊藤かず(一)子がレコーディング。ビクター少年民謡会の再発売盤でヒットした。

チャグチャグ馬っコは、馬の守護神である滝沢村にある蒼前(そうぜん)神社(じんじゃ)(駒形神社)へ愛馬と詣で、無病息災を祈る行事。毎年、六月の第二土曜日に行われている。戦後、藩政時代の小荷駄(こにだ)装束(しょうぞく)にならって、馬をきれいに着飾り、菅笠に薄化粧の女の子、鉢巻きを締めた男の子を乗せて行くようになった。昭和五(1930)年から、岩手山麓の駒形神社から盛岡八幡宮までパレードするようになる。

初夏の爽やかな風の中、金銀紅紫の色とりどりの美しい装束をした百頭近くの馬が“お蒼前さま”に集まってくる。大小七十五もの鈴の音も軽やかに、頸の下に付けた鳴輪がチャグチャグと鳴る。参拝のあと、盛岡市内の八幡宮までの15qの道のりを行進。手綱(たづな)を取るのははっぴ姿の男衆だ。詞曲ともに秀逸。小節をうまく使わないと童謡になる。

じゃじゃはお姑(しゅうとめ)さん。おへれんせは、お入りなさいの意。四番の歌詞にでてくる北上川(きたかみがわ)を“きたがみ”と濁るのは誤り。

§◎伊藤かづ子VDR-25152(88)三味線/豊吉、豊藤。素朴な田舎娘の味がある歌唱。○菊池マセCF-3456(89)田舎娘が唄っているようで、なまりにも味がある。太鼓と三味が活躍。三味線/井上成美、尺八/矢下勇、太鼓/美波那る駒、鉦/美波駒千江、囃子言葉/白瀬春子、白瀬春陽。“きたかみ”と正しく唄う。○ビクター少年民謡会VZCG-132(97)編曲/小沢直与志。“きたがみ”と濁って唄う。子供の間違った読み方はたださないといけない。△テイチクわらべ会TFC-903(00)伴奏者不記載。管弦楽伴奏。わらべだけでなく、お姉さんも混じっている。こちらは“きたかみ”と正しく発音。

「どどさい節」(岩手)

♪南部名物 数々あれど 姉コ得意の どどさい節

(ドンドンサイサイ ドドサイサイ ドンドンサイサイサーイ)

山で咲く花 十七椿 里に移せば 泣いて散る

(ドンドンサイサイ ドドサイサイ ドンドンサイサイサーイ)

岩手郡雫石(しずくいし)方面の酒席の騒ぎ唄。囃子言葉が唄の名になった。

慶長年間(1596-1614)に南部氏が不来方城(こずかたじょう)を築いた際、秋田県仙北(せんぼく)地方(ちほう)から多くの職人が移り住む。このとき、南部の“なにゃとやら”から派生してできた素朴な“仙北さいさい”が雫石地方に伝えられる。「仙北さいさい」は秋田甚句の元唄だ。太鼓の拍子を言葉で代用しているうちに、それが囃子言葉となって生まれた。これが後に秋田に逆移入されてドンパン節となる。

秋田の仙北地方と雫石は古くから交流があり、盛岡と秋田を結ぶ最短道である秋田街道は、雫石までを雫石街道、雫石からは秋田往来と呼んでいた。秋田街道は、京大坂から秋田湊経由で入ってくる物資の輸送路であり、幕府や諸国の馬買役人が仙北から国見峠を越えて雫石経由で盛岡に入る要路であった。

§○佐々木利男CRCM-1OO14(98)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/山崎勝世、鉦/高橋竹水、囃子言葉/井上一子、中岩持勝子。野趣と味がある声。○佐藤節子COCJ-30334(99)三味線/江川麻知子、江川麻恵美、尺八/渡辺輝憧、武田景憧、太鼓/美波三駒、鉦/美波駒次、囃子言葉/白瀬春子、佐藤征子、佐藤よし江。技巧を排した土の匂いがする野太い声。野趣に富む。△山崎勝世CF-3456(89)三味線/佐藤光栄、尺八/遠藤時安、太鼓/中岩持勝子、鉦/山田鶴助、囃子言葉/古館千枝、菅原やす子。自然な若い声で折り目正しく唄っている。なまりが土地の色彩を豊かにしている。

「虎丈さま」⇒「南部盆唄」(南部)

「なかおくに」(岩手)

♪さても珍し こちらの座敷

一の座敷で 嫁をとる 二の座敷で孫を抱く

三の座敷で 鶴は舞う 亀は這(は)うし この家 やからを末長く

県北端の九戸方面から、青森県の旧南部領の三戸郡にかけての祝い唄。七七の上の句と七五の下の句の間に、七五調の繰り返し部を挿入した長編の「松坂」。

新潟県新発田の検校(けんぎょう)・松波(まつなみ)謙(けん)良(りょう)が作ったとされる越後松坂は、瞽女(ごぜ)や座頭(ざとう)によって全国に広められた。あるものは会津から仙台に入り、北上して盛岡から九戸方面へ、さらに海路をたどって八戸方面に入ったものは「にかた節」の名で唄われている。初期は挿入部分に祭文を加え、祭文松坂と呼んでいたが、宮城・岩手県下で遊芸人が「おくに浄瑠璃(じょうるり)」を加えた。中に「おくに浄瑠璃」を入れるから「中おくに浄瑠璃松坂」、それが「字余り松坂」となり、二十六文字以上のものはすべて「なかおくに松坂」となった。

§○井上一子COCF-9304(91)尺八/藤原正二。CRCM-1OO13(98)尺八/高橋竹水。井上は昭和十七(1942)年、盛岡市生まれ。高校二年の頃に熊谷一夫に入門した。

「なにゃとやら(虎女さま)」⇒「南部盆唄」

「萩刈り唄」(岩手)

♪俺と行かぬか ナァーハァー あの山越えて

藁(わら)と鎌持って ナァーハァー アラ萩刈りに

萩を刈り刈り ナァーハァー お山の上で

里の馬コ ナァーハァー アラ思い出す

馬を曵(ひ)き、山の往き帰りに唄った草刈り馬子唄。南部鉄器の町で知られる水沢市周辺は米と牛と馬の産地である。夏になると山へ萩刈りに行き、萩は乾かして冬期の馬の飼料にした。夏の萩はタンパク質が多く、牛馬のご馳走になる。

§○池田ミサ子COCF-9304(91)尺八/藤原正一。低目の声に野趣がある。池田ミサ子は昭和十六(1941)年盛岡市生まれ。二代目浜田喜一門下。姉のタツ子、妹のマツ子と共に民謡三姉妹として知られている。

「盛岡さんさ踊り」(岩手)

♪(サッコラ チョイワヤッセ)

さんさ踊らばヤーイ しなよく踊れ(サッコラ チョイワヤッセ)

しなのよいのを 嫁にとるサンサヨー(サッコラ チョイワヤッセ)

踊り来る来るヤーイ お庭が狭い(サッコラ チョイワヤッセ)

お庭ひろげろ 太鼓打ちサンサヨー(サッコラ チョイワヤッセ)

盛岡市、紫波郡を中心に下閉伊郡(しもへいぐん)、和賀郡の盆踊り唄。急テンポで踊られる。

盛岡市名須川町の三ツ石神社に、鬼の手形がついた三個の大石がある。昔、付近を荒らし回る鬼に困り果てた里人たちが、三ツ石の神に悪鬼の退治を祈願した。その願いを聞き入れた神は鬼を捕らえ、悪事をしない誓いの証として、鬼に手形を押させた。岩に手形、岩手の名の由来である。鬼の退散を喜んだ人々は、大石の回りを踊った。これがさんさ踊りの始まりという。文化六(1809)年頃に成立した菅江真澄の「鄙廼(ひなの)一曲(ひとふし)」にも記述がある。

サッコラは幸呼来で、幸を呼ぶという意味。初めは明かりも衣装もいらない踊りだった。文化文政(1804-1829)期に、盛岡藩主の命で踊りが統一され、盛岡市三本柳地区に伝承された。以後、伝統をかたくなに守り、他所には教えなかった。現在は毎年八月、各地に伝わる踊りを基本に、統一された盛岡さんさ踊りが踊られている。世界一の太鼓パレードと浴衣姿も鮮やかな踊り手の大群舞だ。盛岡の別名である不来方(こずかた)は、鬼が二度とこないという意味。

§○畠山孝一CRCM-1OO14(98)笛/藤原正二、太鼓/井上佐吉、掛け声/山崎勝世、池田ミサ子、日野杉とり、佐々木利男、高橋昭八。○井上一子COCF-9304(91)横笛/藤原正二、遠藤時安、太鼓/藤原仁右衛門、囃子言葉/井上リサ、武藤洋子、藤原繁子。お神楽のような笛が活躍。囃子言葉は素朴な田舎のお婆さんの雰囲気。

posted by 暁洲舎 at 00:13| Comment(0) | 東北の民謡
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