2022年04月06日

南部地方の民謡

{南部地方}

「南部あいや節」(南部)

♪アイヤーアヤレー(ハァヨイトヨイトヨイトヨイト)

あいの山には お杉にお玉ヤレエー

(ハァヨイトヨイト ヨイトヨイト)

お杉三味弾くヤレエーサァ玉踊るヤレー

(ハァヨイトヨイト ヨイトヨイト)

旧南部領の青森県三戸郡、岩手県宮古方面の酒盛り唄。北は青森県の八戸から南は宮城県塩釜まで、三陸海岸に広く分布している。九州天草牛深港のハイヤ節が日本海を北上、各地に根付いて変化した。

ハイヤ節は、追分節、新保広大寺と共に日本民謡の源流をなす唄(竹内勉)である。早いテンポで歯切れの良い太鼓が景気よく囃す。綾織りが盛んであった頃の仕事唄である綾節が変化したという説もある。

§○下田清美KICH-2350(03)三味線/森川弘彩、太鼓/沼沢立美。○松田とみCO

CF-13284(96)三味線/久保一繁、太鼓/佐野玲子、掛け声/中川原つと子、小笠原なみ。ちょっと苦しい唄い方だが味はある。△関下十五CRCM-10010(98)野趣はあるが声が細い。三味線/山道巧、太鼓/山道キクヨ、鉦/木村光良、掛け声/山道チマ、関下恵子。

「南部磯節」(南部)

♪奥州みちのく 南部の国は(サイショネ)

田舎なれども 一度はおいで

唄と踊りで 唄と踊りで 心コ和む

(テヤテヤテヤ サイショネ)

船乗りたちによって茨城県の「磯節」が南部の港に伝えられた。囃子言葉に磯節の名残がある。

§○つくだ貞夫COCF-13284(96)三味線/佐野佑三、太鼓/前野泉、鉦/四戸正人、囃子言葉/山道恵子。○漆原栄美子KICH-2403(03)三味線/沢田勝秋、沢田勝仁、尺八/米谷威和男、鳴り物/美鵬那る駒、美鵬成る駒、囃子言葉/西田和枝、西田美和。

「南部牛追い唄」(南部)

♪キャラホー パーパーパパパ

田舎なれどもサァーハァエ 南部の国はサァー

西も東もサァーハァエ 金の山コーラサンサエー

今度来るときサァーハァエ 持て来てたもれヤー

奥の深山のサァーハァエ なぎの葉をコーラサンサエー

岩手県は山道が多く、物資の運搬には力の強い牛が主に使われた。牛方たちは、沢内盆地の米を黒沢尻(北上市)や盛岡の南部藩の米倉へ運ぶために、三、四日も旅を続けた。その道中に唄ったのが馬方節に対する牛方節である。戦前は盛岡の星川萬多蔵が右手に青竹を持ち、床を叩きながら牛方の生活を唄いあげていた。戦後、弟子の福田岩月が舞台用のために少し甘さを加えた。旋律が美しいために人気がある。節回しを誇張したり、美声を誇ってやたらに声を張り上げ、語尾を伸ばして唄ったりすると、それでは牛追い唄にならない。掛け声のキャラホーは牛の進行を促し、パーパーパパは牛をなだめる合図。

§◎畠山孝一COCJ-31888(02)尺八/藤原正二。味、渋さ、土地の匂い、声の使い方、すべてが上手い。VICG-12(90)尺八/矢下勇。穏やかな歌唱。TFC-1208(99)尺八/高橋昭八。力ある歌唱。CRCM-10013(98)FGS-602(98)尺八/高橋竹水、掛け声/佐々木利男。/高橋竹水、掛け声/佐々木利男。○佐藤善郎OODG-73(86)尺八/斎藤参勇。〇福田こうへいKICH-280(13)尺八/村松幸一、岩井利信、掛け声/漆原栄美子。少々、伸ばし過ぎだ。

「南部牛方節」(南部)

♪ここはどこよとサァーハァエ 尋ねて聞けばヨ

ここは三戸の黄金橋 コーラサンサエー

牛よ辛かろサァーハァエ いまひと辛抱

辛抱する気に花が咲く コーラサンサエー

旧南部領三戸地方の牛方の唄。牛追い唄とほぼ同じ節回しで、物資を運びながら道中で唄った。牛方たちは八戸港で陸揚げされた塩や魚、雑貨などを牛の背に積み、馬淵川沿いに西に進んで秋田県鹿角郡に入った。戻りには、鹿角郡の鉱石などを積んで帰って行った。牛方の孤独な気持ちを紛らわせたり、眠気覚ましに唄う。

岩手県下の南部牛追い唄は、沢内から盛岡や北上へ出てくる時の唄で、東北本線を中心に西側が南部牛追い唄の節回し、東側と三戸方面が南部牛方節の節回しとなる。

成田雲竹は牧場で唄うのは牛追い節で、物資運搬のときは牛方節を唄うという。雲竹は明治四十二(1909)年から大正元(1926)年まで、五戸署。大正二(1927)年からは三戸署に勤務する巡査だった。本業よりも民謡が好きで、数多くの南部民謡を聴いて工夫と研究を重ね、自らその美声で唄い出して多くの民謡を世に紹介した。

§◎成田雲竹COCJ-30667(99)尺八/高橋竹山。○山本謙司VZCG-243(01)尺八/矢下勇厳。迫力はあるが渋さと味わいに欠ける。△岩花賢蔵COCF-9304(91)尺八/遠藤時安。岩手の南部牛追い唄とほとんど同じ曲節。

「南部馬方三下り」(南部)

♪朝のハァ出掛けに ハァあの山見れば(ハイハイ ハイハイ)

霧のかからぬ 山もない(ハイハイ ハイハイ)

南部ハァよいとこ ハァ名馬のでどこ(ハイハイ ハイハイ)

一度はハァおいでよ 駒買いに(ハイハイ ハイハイ)

三戸(三戸郡(さんのへぐん)三戸町(さんのへまち))、五戸(同郡五戸町(ごのへまち))、七戸(上北郡(かみきたぐん)七戸町(しちのへまち))は南部駒の主産地であった。馬方衆が手に松明(たいまつ)を持ち、数十頭の馬を曳きながら奥州街道を上っていった。信州(長野県)追分宿で唄い出された追分が遙かみちのくにまで伝わり、人々に好まれて唄われたのである。

§○つくだ貞夫COCF-13284(96)三味線/久保一繁、太鼓/佐野玲子、鈴/小笠原なみ。味のある声だ。○関下十五CRCM-1OO10(98)「津軽南部馬方三下り」三味線/山道巧、太鼓/河原崎知佐子、鉦/四戸圭子、掛け声/山道チマ、関下恵子。△山本謙司TOCF-5012(92)三味線/沢田勝仁、尺八/矢下勇厳、太鼓/美鵬奈る駒。VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、締太鼓/木津茂理、鈴/木津貴子。

「南部馬方節」(南部)

♪(ハーイハイ)

ハァー(ハーイ)朝の出掛けに(ハーイ)

ハァー山々(ハーイ)ハァ見ればヨー(ハーイハイ)

ハァー霧の(ハーイ)ハァーかからぬ(ハーイ)

ハァ山はない(ハーイハイ)

ハァー(ハーイ)南部片富士(ハーイ)

ハァー裾野の(ハーイ)ハァ原はヨー(ハーイハイ)

ハァー西も(ハーイ)ハァー東も(ハーイ)

ハァー馬ばかり(ハーイハイ)

南部藩祖光(みつ)行(ゆき)(1165-1236)は馬を保護する政策をとり、南部駒は全国に名声を馳せた。あちこちで開かれる馬市へ、各地から博労(ばくろう)たちが馬を曵きつつ旅を続けながらやってきた。馬の移動は主に夜のうち。この馬市の往復道中に唄われた唄である。東北各地にいろんな馬方節があるが、もとは皆同じものだ。各県から馬方節の名手が出ると、いつしかその節回しで唄われた。今日ではその唄い手の出身地を冠している。

近世、奥州南部藩内から産出した馬を南部駒と呼ぶ。この地方はもともと駿馬(しゅんめ)の産地だったが、南部駒には甲斐国(山梨県南巨摩郡(みなみこまぐん))南部の地頭・南部光行が深くかかわっている。光行は治承四(1180)年、源頼朝が旗揚げした石橋山の合戦に加わり、甲斐国南部を与えられた。文治五(1189)年、頼朝の奥州征伐に従軍して功を立て、奥州九戸、閉伊(へい)、鹿角(かづの)、津軽、糠部(ぬかのぶ)の五郡をも領するようになる。鎌倉幕府が奥州に牧場を設置し、軍馬の需要増大に備えたが、甲斐で経験のある光行を糠部(ぬかぶ)での産馬育成にあたらせたのであった。

§◎畠山孝一VZCG-132(97)味、匂い、節、声、申し分なし。尺八/矢下勇、掛け声/井上成美。歌詞に唄われている南部片富士は標高2041bの岩手山(いわてさん)のことだ。○横山武山APCJ-5033(94)渋いお爺さんの声。お囃子方は一括記載。○中岩持勝子CRCM-1OO13(98)TFC-903(00)尺八/藤原正二、掛け声/池田ミサ子。良く声がでている。掛け声も元気。COCF-9304(91)尺八/藤原正二、掛け声/池田ミサ子。

「南部追分」(南部)

♪西はハァ追分 ハァ東は関所

関所ハァ番所で ままならぬ

青森県五戸(ごのへ)地方の追分節。別名「津軽追分」ともいわれる。手拍子で唄われる馬子唄調の騒ぎ唄。追分は道がふた筋に分かれている場所をいう。全国に追分は多数あるが、中山道が江戸から碓井(うすい)峠(とうげ)を越えて長野県に入り、北国街道と分岐する地点にある追分宿が特に有名。そこで唄われた追分節は全国各地の唄に大きな影響を与え、七七七五調で唄尻を長く伸ばして唄えば何でも追分と呼ばれた。

§○下田清美COCF-13284(96)三味線/佐野祐三、太鼓/佐野玲子。格調高く端正に唄っている。○川口そよCRCM-1OO10(98)三味線/山道巧、太鼓/河原崎知佐子。いなかの素朴なおばさんの雰囲気がよい。△山本謙司VZTOCF-5012(92)三味線/沢田勝仁、尺八/矢下勇厳、太鼓/美鵬奈る駒。CG-243(01)三味線/夏坂菊男、締太鼓/木津茂理。

「南部きのこ採り唄(ナントショウ節)」(南部)

♪南部殿様に よい木がござる(チョイトチョイト)

いたや楢の木 ナントショ 桂の木(チョイトチョイト)

南部お山に 山椒の木が二本(チョイトチョイト)

あがらんしょに ナントショ 飲まさんしょ(チョイトチョイト)

地下足袋(じかたび)を履き、腰には籠をつけて早朝から山に入る。安全のために、一人では山に入らないようにした。きのこを採ったら、根っこ部分を大事に抜いて土の中に戻しておく。そうすると明年にはまた生えてくる。

“いたや”は板屋(いたや)楓(かえで)のこと。雨宿りができるくらいに葉がよく繁り、板で葺いた屋根のようなのでこの名がついた。竹が育たない雪国では、水に強く、しなやかで細工し易いイタヤを使い、きのこや山菜を採りに行くとき腰に提げる籠(かっこべ)や魚釣りの魚籠(びく)を作った。

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、尺八/矢下勇厳、平太鼓/木津茂理、ちゃっぱ/木津貴子、囃子言葉/西田和枝、西田和代。雅趣もあり雰囲気もよい演唱。

「南部木挽き唄」(南部)

♪ハァ木挽きいたよだ ハァーあの沢奥にヨー

ハァ今朝もやすりの オヤサハー音がするヨー

和賀郡沢内地方の節がよく知られている。大正の末頃まで、木挽き職人は山に小屋をかけ、杣師(そまし)(樵(きこり))が切り出した原木を板にひいていた。職人はその多くが農閑期を利用した農民の副業(地元木挽き)であった。特に南部(岩手と秋田、青森の一部)出身の南部木挽きは腕がよく、樺(から)太(ふと)から近畿地方まで、各地の山へ招かれて、次第に木挽きを専業とする渡り木挽きとなった。

木挽き唄は、職人の孤独感をまぎらわせたり、単調な作業に飽きないように鋸(のこぎり)の手に合わせて唄う。南部木挽きが、唄を全国各地に持ち回ったため、各地の木挽き唄は大同小異である。中国以西は広島木挽きの勢力下のため、唄も広島木挽きの唄となっている。曲はともに甚句が変化したもの。

§○羽柴重見COCJ-30334(99)尺八/矢下勇、松本虚山。細い枯れた声が、いかにも仕事唄らしい雰囲気をだしている。○山崎隆男COCF-13284(96)尺八/遠藤時安。

「南部駒曳き唄」(南部)

♪ハア今日は天気もよいし 日も良いし どんどと引き出せホーイホイ

めでたい目出度のヨヤー 若松さまよ(ホーイ)

枝もナーエ栄えるヨー 葉も茂る(ホーイ)

栄える枝も枝もナエー 栄えるヨー葉も茂る

南部は古くから馬の名産地として知られる。徳川幕府は、毎年、役人を南部へ派遣して良馬を買い入れてきた。

元禄四(1691)年、南部二十九代藩主南部重信は、その年の御馬買役人である諏訪部(すわべ)喜右衛門、中山勘兵衛等を中の丸に招き酒宴を開いた。波々伯(ははか)喜太郎は盛岡で流行していた唄を唄って一座を盛り上げた。唄は元禄時代の木遣り唄様のものであった。翌元禄五(1692)年から春秋二回、南部藩が見立てた百〜百五十頭の馬を盛岡の八幡(はちまん)馬場(ばば)から江戸に送るようになった際、駒の曵き手は馬行列の道中で、この唄を唄って江戸に向かった。

§◎畠山孝一CF-3456(89)尺八/矢下勇。味のある声よし、節よし、なまりよし。CRCM-10014(98)尺八/藤原正一、高橋竹水、掛け声/佐々木利男。

「南部酒屋もと摺唄」⇒「津軽酒屋もと摺り唄」(青森)

「南部じょんがら節」(南部)

♪ハー花のサーエー 頃は正月 めでたい年よ

門には門松 しめ縄かけて 一日二日は 夢見もよいし

下北郡と上北郡野辺地方面に残っている。唄の文句は正月祝いの数え唄だ。

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、締太鼓/木津茂理。

「南部甚句」(南部)

♪浜の町から(アーヤイ ホーヤイホー)

塩釜見れば(アー キタコラサッサー)

お客もてなし(アー ヤイホーヤイホー)ハーサァ茶屋の嬶(かか)

甚句の代表的な騒ぎ唄。初めの頃は浜の町、塩釜甚句、八戸甚句と呼ばれていた。塩釜とは海水を煮詰める釜のこと。古代の人々が使っていた塩は藻(も)塩(しお)焼きといって、干した海藻を焼いて作る灰塩(はいじお)であった。やがて灰塩に海水を注いで鹹(かん)水(すい)を採り、釜で煮詰めて塩を作るようになった。

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、鼓/木津茂理。△関下恵子CRCM-

1OO10(98)三味線/山道巧、太鼓/河原崎知佐子、掛け声/中村菊江、栗山恵子。わらし(童)がめんこい声を張り上げ、元気いっぱい唄っている。

「南部相撲甚句」(南部)

♪(アードスコイ ドスコイ)

アーエー(アードスコイ ドスコイ)

南部名所を甚句に説けばヨ(アードスコイ)

ハァー北上川に抱かれて 高くそびゆる岩手富士

ちゃぐちゃぐ馬コも 賑やかに

二十万石こずかたの 栄(さか)る人出の城下町

春は桜の石割で 牛馬も肥ゆる小岩井に

お茶を飲むなら南部鉄 唄は名高い外山で

沢内甚句は米所 あれは花巻獅子踊り

昔源義経や 弁慶最後は衣川

詩人石川啄木や 宮沢賢治に原敬と

相撲で先代柏戸に 弓取り式なら太田山

小兵ながらも前田川 今じゃ人気もヨーホイハァー花光ヨ

(アードスコイドスコイ)

相撲甚句は江戸時代の享保の頃から唄われ、力士の口から口へと唄い継がれてきた。盛岡市の祭礼で行われる女相撲でも、力士たちが土俵を囲み、手拍子に合わせながら唄った。普通、相撲取りが唄う相撲甚句は、熊本県の「おてもやん」や「名古屋甚句」のような本調子甚句が一般的である。この本格派の本調子甚句に対して、二上りの甚句は相撲甚句くずしと呼ばれて、一段軽いものに見られた。相撲甚句には「まくら唄」「本唄」「はやし」があり、本唄ではその土地の名所を織りまぜて唄う。

§◎畠山孝一COCJ-30334(99)声に力があり、味、渋さ、申し分なし。尺八/遠藤時安、掛け声/佐藤光栄。

「南部相撲取甚句」(南部)

♪サーエ相撲といわれりゃエ 名はよけれども(キタサーコラショ)

朝の四時からエサー 丸裸(キタサーコラショキタサ)

サーエまるの裸でもエ 相撲やめられぬ(キタサーコラショ)

天下晴れてのエ サー男伊達(キタサーコラショキタサ)

相撲甚句は日本全国に伝わっている。江戸時代の享保の頃から唄われ、力士から力士へと唄い継がれてきた。現在では地方巡業や花相撲などで聴くことが出来る。まくら(枕)唄、本唄、はやしがあり、まくら唄に前唄と後唄がある。五、六人の力士が土俵上で輪になり、一人が真ん中で唄う。周りの力士は手拍子を入れ、合いの手を入れる。その土地の名所を織り交ぜ、少々猥雑(わいざつ)な文句も唄うが、華やかさの中に一種の哀愁が漂う。かつては部屋ごとか、一門で各地の勧進元を頼って全国を巡行していた。観客に楽しんで貰うために、取り組みの間の余興として定着する。本来、相撲甚句には鳴り物がないため、合い間に入れるドスコイなどの掛け声が唄を盛り上げる。現在、全国で七十を数える相撲甚句会がある。

§○上野まつのCRCM-1OO10(98)三味線/山道巧、太鼓/山道キクヨ、掛け声/山道チマ、中村菊江、河原崎知佐子。なまりが強くて野趣に富み、味のある、いかにも土地の婆様の唄。

「南部銭吹唄」(南部)

♪婆様むすサーヨーオイ

二升樽提げて 何処さ行く(ハードーイドイ)

行くどもすサーヨーオイ

嫁子の里こさ 孫抱きに(ハードーイドイ)

鉄銭鋳造の際、たたらを踏みながら唄う作業唄。唄の文句は孫のお七夜に唄われる祝い唄である。祝いの席では、両手に小皿二枚ずつ持ち、それを打ち鳴らしながら踊る。

江戸時代後期、貨幣経済の進展で青銅銭が不足したために鉄銭が作られた。天明四(1784)年、幕府の許可を得て、仙台藩が鋳造した鉄銭は仙臺(せんだい)通宝(つうほう)と呼ばれる。鉄銭が東北地方を中心にかなり流通したのは、仙台藩や南部藩で製鉄が盛んに行われていたためである。

鉄を溶かすとき、火力を強めるために鞴(ふいご)を踏んで炉に風を送る。たたらは大型で足踏式の鞴である。日本の古い鞴の多くは皮袋型で、タヌキの皮が最上とされた。これが改良されて、長方形の箱の中を気密に作り、ピストン運動で風を押し出す差(さし)鞴(ふいご)や手風琴(てふうきん)型のもの、天秤鞴などが作られた。動力も手動から、てこの原理を応用した足踏式になり、家畜や水車が使われた。

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、尺八/矢下勇厳、平太鼓/木津茂理、ちゃっぱ/木津貴子、囃子言葉/西田和枝、西田和代。

「南部大黒舞」(南部)

♪春の初めに(福大黒は 金をどっさり持って 舞い込んだヤー)

サーサ舞い込んだ 舞い込んだヤ(何を先に立て 舞い込んだヤ)

お恵比寿様を(チョイチョイ チョイサッサ)先に立て

福大黒は 舞い込んだヤ(四方の棚を 見てやればナー)

鏡の餅も(チョイチョイ チョイサッサ)十二重ね

神のお膳も 十二膳(ソレダイトコセ)

ソレ代々と(チョイチョイ チョイサッサ)飾らせて

サァ何よりも めでたいトヤ

大黒舞いは全国各地にある。正月になると大黒様の姿に似せた衣装を付け、農家を門付けをして歩く大黒舞いが現れる。唄は秋田と山形のものにくらべると素朴さが勝っている。

大黒天は七福神の一人で、福徳や財宝を与えてくれる神様とされ、恵比寿と一緒に神棚に飾られる。狩(かり)衣(ぎぬ)のような着物、丸くて低い頭巾、左肩に大きな袋を背負い、右手には打ち出の小槌を持って米俵の上に座っている。

§○久保正幸COCF-13284(96)三味線/久保一繁、太鼓/佐野玲子、掛け声/中川原つと子、小笠原なみ。田舎くさい素朴な迫力がある大黒舞。○河原木知佐子CR

CM-1OO09(98)三味線/山道巧、尺八/奥瀬伶山、太鼓/中村菊江、鉦/木村光良、囃子言葉/山道チマ、栗山恵子、四戸圭子。おばさんの大黒舞を若いおなご衆が賑やかに囃す。

「南部田植え唄」(南部)

♪ソーレモヤーイ 今朝のはかは 千刈田のヤエー 水口に

植えたる松は 若葉(わかは)松(まつ)(ハーヨイサヨイサヨイサ)

ソーレモヤーイ 人は十和田 次郎とヤエー 太郎の

植えたる松は 若葉松(ハーヨイサヨイサヨイサ)

§○四戸圭子CRCM-1OO19(98)三味線/山道巧、尺八/奥瀬伶山、太鼓/河原崎知佐子、鉦/木村光良、掛け声/山道チマ、中村菊江。声量は乏しいが、田舎のおばばの泥臭い野趣があり、いかにも民謡らしい情緒がある。

「南部田の草取り唄」(南部)

♪今年初めて 田の草取れば ヤーレ後サ 小草コ そよと立つ

(そよと立つ ヤーレ後サ小草コ そよと立つ)

好きなあの娘と 田並びのたんぼ ヤーレ騒ぎ立てるな ぼけがらす

(ぼけがらす ヤーレ 騒ぎ立てるな ぼけがらす)

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、尺八/矢下勇厳、平太鼓・締太鼓/木津茂理、ちゃっぱ/木津貴子、囃子言葉/山本謙良、山本謙之助、山本謙吾、山本謙憧、山本謙冴。

「南部俵積み唄(俵積み唄)」(南部)

♪ハァ春の初めに この家旦那様サ

七福神のお供して 俵積みに参りた

ハァこの家旦那様は 俵積みがお好きで

お国はどこかと お聞きあるコラ

私の国はナコラ 出雲の国の大福神

日本中の渡り者コラ 俵積みの先生だ

新春を祝う“福俵積み”“福俵”“俵転がし”と呼ばれる門付け唄。旧南部領の三戸郡あたりの農家の人々が毎年正月から春三月頃まで、八戸近郊の家々を訪れて演じた。二、三人が一組となり、大黒頭巾を被って“俵積みが舞い込んだ……”と家に入ってくる。細い綱を付け、飾り付けた小さな米俵を土間から座敷へ投げ込み、俵を手前に引き寄せながら家をほめ、主をほめて、家の繁盛を祈るめでたい文句を地口風の語りで唄った。終われば米、餅、小銭などのご祝儀をもらい、次の家へと回っていった。

こうした門付け芸人も昭和七(1932)八年頃には姿を消す。三戸町豊川の大村仁蔵(1891-1973)は、蛇沢新田に住んでいた“たらじみじい(俵づみ爺)”が伝えていた門付けの文句を覚えていた。大村から唄の文句を聞いた水梨末治が節を工夫。それを八戸市の水梨勉が覚え、さらに、三味線の山道巧がタント節風の三味線伴奏を付けて、同三十七(1962)年、八戸市で行われた南部芸能大会で中村孝志に唄わせた。その後、水梨勉の師匠である舘松栄喜が唄って、全国に知られるようになる。

「七福神のお供をして」は、家の旦那様を持ち上げ、誉めそやす唄だから「七福神が」「七福神を」と唄ったほうがよいかもしれない。

§◎舘松栄喜K30X-217(87)「正調俵つみ唄」三味線/久保正幸、尺八/米谷威和男、鳴り物/山田鶴三、山田鶴助。素朴でけれん味なく唄っている。演奏時間5分26秒の長編。COCF-13284(96)「正調南部俵つみ唄」三味線/佐野佑三、太鼓/佐野玲子。VZCG-130(97)「南部俵つみ唄」三味線/高橋竹山、太鼓/久保正幸。スローテンポで素朴な爺様の唄。竹山の三味線伴奏が立派。〇夏坂菊男TFC-1207(99)三味線/高橋祐次郎、高橋厳、鳴り物/山本謙司、加賀谷美津子、日影礼子、囃子言葉/佐藤礼子。“七福神をお供して”○畠山孝一COCF-13284(96)年輪を重ねた枯れた味ある歌唱。けれん味なく自然体で味を出し“七福神をお供して”。演奏時間3分30秒。三味線/小野寺幸男、熊谷清、尺八/藤原正二、太鼓/美波駒輔、鉦/美波とし輔。○須藤理香子VDR-25215(89)若さ溢れるみずみずしい歌唱。三味線/千葉勝弘、尺八/佐々木淙山、太鼓/美鵬那る駒。△伊藤多喜雄32DH-5123

(88)和太鼓/林英哲、TAKIOBAND。伊藤多喜雄は千葉勝友の愛弟子。民謡の基礎はしっかり身につけていて新感覚で唄う。△夏坂菊男TFC-1207(99)三味線/高橋祐次郎、高橋厳、鳴り物/山本謙司、加賀谷美津子、日影礼子、囃子言葉/佐藤礼子。清澄な声で端正に唄う。

「南部茶屋節」(南部)

♪(チョイサッサー コラサッサー チョイサッサー コラサッサ)

ハァとりつとられて何くよくよと とりつ当座の花じゃもの

(ハァキタコラサッサ コラサッサ キタコラサッサ コラサッサ

囃したついでにもう一つ)

明治から大正にかけて唄われた酒席の騒ぎ唄。テンポも早く大変明るい唄。JR山田線の山田、大槌、釜石の海岸地方が発祥地といわれる。踊りが付いていて、盛岡市や遠野市にも伝えられた。

§○池田ミサ子KICH-2022(91)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、鳴り物/山崎勝世、及川義雄、囃子言葉/千田邦子、小松代澄子。土着の迫力ある歌唱。△佐々木利男CRCM-1OO13(98)三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/山崎勝世、鉦/高橋竹水、掛け声/井上一子、中岩持勝子、池田ミサ子。COCF-9304(91)三味線/佐藤光栄、尺八/遠藤時安、太鼓/藤原正二、鉦/山田鶴助、囃子言葉/池田ミサ子、山崎勝世。△漆原栄美子KICX-8418(97)「南部茶屋福し」三味線/沢田勝秋、沢田勝仁、尺八/米谷市郎、鳴り物/美鵬駒三朗、美鵬那る駒、囃子言葉/西田和枝、西田和弥。ユーモラスな唄の文句をめんこい声で唄う。

「南部どどいつ」(南部)

♪都々逸は下手でも やりくり上手

今朝も質屋で ほめられた

韓信は股をくぐるも 時世と時節

踏まれし草にも 花が咲く

東北の都々逸には江戸の都々逸のような粋さはないが、門付け唄にふさわしい。津軽音頭と同系。

§○つくだ貞夫COCF-13284(96)三味線/佐野祐三、太鼓/舘松栄喜。味のある美声。太鼓が効果的。△山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、横笛/矢下勇厳。声張り上げる民謡調の都々逸。しっとりとした横笛の音色にそぐわない。三味線を弾く夏坂の合いの手は浪曲調。

「南部長持唄」(南部)

♪ハァー今日はナァーハァエ 日もよいナァー

ハァー天気も良いし ナァーヨ

結びナァーハァエ 合わせてナァー

ハァーヤレヤレー 縁となるなヨー

宮城と秋田の長持唄がよく知られているが、南部のものは素朴で未洗練。原初的な唄である。唄の文句は、ほぼ各県共通している。

§○畠山孝一COCJ-30334(99)尺八/藤原正二。味のある声と歌唱。○井上一子COCF-9304(91)尺八/藤原正二。田舎臭い歌唱がよい。CRCM-10014(98)尺八/藤原正二。

「南部なにゃどやら」⇒「南部盆唄(虎丈さま、なにゃとやら)」

「南部荷方節」(南部)

♪新潟(ハヨイサーヨイサ)ハァ出てから(ハヨイサーヨイサ)

ハァ昨日今日で七日(ハヨイサーヨイサ)

七日ハァ なれども(ハヨイサーヨイサ)

ハァまだ逢わぬ(ハヨイサーヨイサ)

港ハァ出た船 ハァ帰りは大漁

五色のハァ 旗立て ハァ祝い酒

祝いの席で唄われる。越後の祝い唄を船頭たちが南部に持ち込んだ。佐渡西海岸地方に出稼ぎに出た漁師たちが故郷に帰るとき、荷を担ぎながら唄ったのでこの字があてられた。

§○山本謙司「南部にがた節」VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、締太鼓/木津茂理。○荒谷みつ子COCJ-30334(99)三味線/京極利則、尺八/矢下勇、太鼓/京極浪子。荒谷は南部民謡の出身。盲目の天才歌手といわれた。野趣と迫力がありビブラートが強い。

「南部盆唄(なにゃとやら、虎女さま)」(南部)

♪何も知らない なされ節ひとつ

なにゃとなされの なにゃとやら

(チョイサー チョイサ)

虎丈さまから 何買てもらった

白粉(おしろい)七色 蛇の目傘

(チョイサー チョイサ)

親父貰ってけだ 嫁(おがだ)コば欲しぐねえ

ならば天間の みよ子欲し

青森県上北の三戸、旧南部領一帯から岩手県二戸郡、九戸郡、下閉伊郡北部一円にかけての盆踊り唄。七戸の天間林(てんまばやし)付近が発祥の地とされる。呪文のような“ナニャトヤラナニャトナサレノナニャトヤラ”を繰り返し、一晩中、唄い踊るところから「なにゃとやら」の名で知られる。現存する盆踊り唄の中では大変に古いもの。後に東北の広くに分布する甚句の母体である秋田甚句を生む。意味不明の元唄に合わせて、いろんな替え唄を作り、さらに曲節を展開して七七七五の歌詞を添えて唄うようになった。“虎女さま唐傘買ってけろ”などの歌詞から「虎女さま」とも呼ばれる。虎女は虎蔵のなまり。虎蔵は町に行ったついでに白粉や蛇の目傘を買ってきて、村の娘たちにプレゼントするような気立ての良い男であったとか。なにゃとやらの意味は不明だが、何が何やら、何とでもしてくださいといった意味に解せられる。

唄にでてくる天間のみよ子は、本名が附田みえ(1891-1960)。評判の美人で働き者だった。娘盛りのときに七戸軍馬補充部の牧草畑の作業員として働いていたが、仲間の若者には目もくれず、坪村の坪元八と結婚した。

§○畠山孝一COCF-13284(96)「虎女さま(南部盆唄)」三味線/井上成美、尺八/藤原正二、太鼓/池田ミサ子、鉦/山田鶴助、囃子言葉/中岩持勝子、山崎勝世、古館千枝、菅原やす子。岩手県の民謡を唄わせれば畠山の右に出る者はない。CRCM-1OO14(98)「とらじょさま」三味線/井上成美、尺八/藤原正二、高橋竹水、太鼓/佐々木利男、太鼓/山崎勝世、掛け声/井上一子、池田ミサ子。○上野まつのCRCM-10010(98)「南部なにゃどやら」太鼓/山道巧、鉦/木村光良。「虎女さま」の古調。田舎のお婆さんが集まって唄っているようで野趣がいっぱい。お囃子連の名前は不記載。△佐々木利男GES-31311(02)三味線/菅原聡、尺八/佐藤和夫、太鼓/及川勝右衛門、囃子言葉/高橋桂子、高橋小松代。力もあり、うまい。

「南部餅搗き唄」(南部)

♪<本唄>

(ソレ)奥州サーハーイ(ハー イヤコラ イヤコラ イヤコラ ハイハイ)

奥州南部の 大畑なれや 出船入り船 繁華の港

陸は豊年 瑞穂の宝(ハー イヤコラ ハイハイ)

<中唄>

揃た揃たよ 餅搗きゃ揃た

秋の出穂より 色は良く揃た

ヨイ ヨホホーイヨ ヨホホーイトナ

宵は酔いから 舞いを舞って

寄せて寄せたら ヨホノホーイ ヨホホイノホイー

(ハー搗けたか 搗けたか 搗けたかな サーット仕上がれ ゆんがおめ

サーット仕上がれ かんぼちゃめ トコサッサ コラサノサー)

イカ釣り船で賑わった下北半島大畑(むつ市)の餅搗き唄。半農半漁の田名部地域を中心に唄い継がれた。下北郡(しもきたぐん)東通村(ひがしどおりむら)一帯の踊りでは、手作りの臼(うす)を真ん中に、杵(きね)を持った七、八人で組みを作り、女性は赤い襷(たすき)をした晴れ着の裾から腰巻きをのぞかせ、鉦と太鼓で賑やかに踊り騒いだ。農家の人々が数少ない娯楽に打ち興ずる姿が彷彿(ほうふつ)する。囃子言葉が面白い。県内の祝いの席では、祝いの踊りとして演じられる。

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、尺八/矢下勇厳、平太鼓/締太鼓/木津茂理、ちゃっぱ/木津貴子、囃子言葉/西田和枝、西田和代。○佐々木利男COCF-13284(96)三味線/小沢安、菅原仙之輔、尺八/佐藤和夫、平井一司、太鼓/及川勝右衛門、鉦/伊藤繁則、囃子言葉/千田邦子。力強くて調子のよい餅つき唄。○中岩持勝子COCJ-30334(99)三味線/小野寺幸山、田村真、尺八/高橋竹秀、佐々木啓一、笛/藤丸東清、太鼓/高橋澄江、鉦/美波祐三郎、囃子言葉/佐藤理子、藤村祥子。いい調子で土地の匂いをうまく出している。△高八卦ちえこCOCF-9304(91)いい調子で端正に唄う。三味線/佐藤光栄、やなだ真栄、尺八/太田勇、横笛/岩井利信、太鼓/千葉栄人、鉦/藤原洋子、鼓/戸沢純一、囃子言葉/佐藤理子、佐藤美樹。

「南部よされ大漁節」(南部)

♪よされよされと ヨサ一つとせ

高い山から 見下ろせば 八太郎沖まで総はみだ

この大漁とせ ヨサレサーヨイ

津軽一円で広く唄われていた七七七五調の古調のよされ節と、物売りが唄う数え唄形式の心中節とを結び付けたもの。鰊(にしん)が大漁のとき、八戸港の漁師たちが酒宴で賑やかに唄い囃した。三陸方面でも唄われる。鰯(いわし)の大漁風景を替え唄に作り、前後に古調よされ節を加えた。“総はみ”は、浜辺に広々と網を張る総網のことか。

§○福士豊秋APCJ-5032(94)渋さと匂いがあり、作業唄らしく元気に唄う。お囃子方はCD一括記載。△関下恵子「よされ大漁節」CRCM-1OO10(98)三味線/山道巧、尺八/奥瀬伶山、太鼓/河原崎知佐子。素人っぽいが元気がある。

「南部よされ節」(南部)

♪ひとつ唄います はばかりながら ヨサレサーヨサイ

文句違いや ヨサかな違い ヨサレサーヨサイ

明治初年の頃、八戸方面にめでたづくしの数え唄が流行した。よいかな節と呼ばれたこの唄が基本となり、雫石(しずくいし)方面から入ってきたよされ節の影響で、よされ数え唄、よされ大漁節ができあがり、三味線の手が付けられた。

§○山本謙司VZCG-243(01)三味線/夏坂菊男、締太鼓/木津茂理。○佐藤陽子SHC-1三味線/月館博、藤本秀一、藤本秀一華、太鼓/月館正英、囃子言葉/宝田文子、佐伯美枝子、月館麻理子。

「南部よしゃれ節」(南部)

♪ハァーよしゃれ 茶屋のかかさ

花染めのたすき サァーハァーヨ(チョイサノサッサ)

肩に掛からねで サァー気に掛かる

よしゃれ サァーハァーヨ

(チョイサノサッサー チョイサノサッサ)

酒席の騒ぎ唄である“雫石よしゃれ”が盛岡に入ってきた。祝い事の宴席や舞台などでは、紋付きを着て格調高く踊られる。よしゃれ節、よされ節と呼ばれる唄は、北海道、青森、秋田、岩手の各県にあり、もとは一つのもの。江戸末期の天保年間(1830-1843)、出羽の庄内節と呼ばれた酒席の拳遊びの唄が母体のようである。これが青森県黒石市の「黒石よされ」となり、南下して秋田県鹿角郡花輪町方面の花輪よしゃれ、雫石町あたりでは雫石よしゃれとなった。

天正(1573-1591)年間、南部宗家の三戸南部信直(1546-1599)が雫石城を攻略した際、小松集落にあったよしゃれ茶屋で見せた雫石女の貞節と心意気を唄っている。雫石町では、毎年八月中旬に雫石よしゃれ祭が開催され、雫石姉っコたちは濃紺に白絣(かすり)模様の着物に編み笠の姿でパレードを繰り広げる。

§◎大西玉子TFC-1202(99)三味線/藤本e丈、藤本秀次、尺八/郷内霊風、太鼓/美波三駒、鉦/西裕之、囃子言葉/大久保正子、武田真木。大西の唄で全国に知られるようになった。土の香りを漂わせ、張りのある迫力ある美声が特徴。○井上一子VZCG-132(97)尺八/斎藤光雄、川村治穂、熊谷三吉、三味線/小沢安、照井真実都、太鼓/月折美津子、鉦/佐々木陽子、囃子言葉/漆原栄美子、堀合睦子、牧島キヌエ。土の匂いがする野趣に富む演唱。太鼓の月折美津子は昭和七(1932)年、二戸郡金田一村生まれ。同二十二(1947)年、津軽民謡の斉藤由松に入門。五年にわたって北海道巡業で唄修行をしている。○高八卦ちえこCOCF-9304(91)めんこい色気でなまりよし。声量はちょっと少ないが土の匂いを感じさせる。鉦が活躍。三味線/佐藤光栄、やなだ真栄、尺八/太田勇、岩井利信、太鼓/千葉栄人、鉦/藤原洋子、囃子言葉/佐藤理子、佐藤美樹。

posted by 暁洲舎 at 00:14| Comment(0) | 東北の民謡
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